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墓守の少年、千年の声を聞く ― 王国最後の見届け人 ―  作者: スマイリング


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第27話 帰還 ― 焔の下に眠る都

 夜明けの光が、灰色の森を淡く照らしていた。

 木々の枝は焦げて黒く、まだところどころから白い煙が上がっている。夜の戦いの記憶が、地面の熱と共に残っていた。


 「……やっと見えてきたな」

 カイエンが馬の足を止める。遠くの丘の向こうに、王都の白い城壁が見えた。かつて祈りと光の都と呼ばれた場所。けれど、その白さはどこか灰色がかって見えた。


 「王都……懐かしいような、怖いような感じ」

 エリシアが小さくつぶやく。その声には、王女としての誇りよりも、ひとりの娘としての戸惑いがにじんでいた。

 「俺もだよ」ルカが返す。「帰ってきたのに、心が落ち着かない」


 近づくにつれて、空気が重くなった。

 街道沿いには焼けた荷馬車と倒れた標識。行き交う人影はなく、ただ風が灰を巻き上げていた。

 「戦の匂いがまだ残ってるな」カイエンが低く言う。

 その横顔は鋭く、けれどどこか痛みに満ちていた。


 門の前に立つと、巨大な鉄の扉がそびえていた。

 そこに掲げられているのは王国の紋章――だが、その下には黒い布が垂れ、文字が書かれていた。

 “影討伐祭 開催中”

 その不気味な言葉に、ルカの喉が乾いた。


 「……討伐祭?」ミレイアが眉をひそめる。

 「影を倒したことを祝う……のか?」

 彼女の声には戸惑いが混じる。

 「たぶん、違う。これは“警告”だ」ルカが小さく答える。


 近くに立つ兵士が、こちらを一瞥した。

 その目は疲れと警戒で曇り、槍を持つ手がわずかに震えている。

 「王都が、何かに怯えてる……」エリシアが呟いた。

 ルカは胸の奥で、何かがざわめくのを感じた。


 ――戻ったか、墓守よ。


 耳の奥で、確かに声がした。

 ルカは振り返ったが、そこには風に揺れる旗しかなかった。

 「ルカ? どうしたの?」ミレイアが覗き込む。

 「……いや、なんでもない。ただ、ちょっと懐かしい声がした気がして」


 彼は胸のランプを見下ろした。

 小さな炎がふっと揺れ、ほんの一瞬、赤から淡い白に変わった気がした。

 その光は、再び始まる運命の合図のように見えた。


 王都の門をくぐると、街の空気が一変した。

 かつて賑やかだった市場通りは、まるで命を失ったように静まり返っている。開いたままの店もあれば、板で封じられた扉もある。道端の花瓶は割れ、誰かが慌てて逃げたまま戻っていないのがわかった。


 「……まるで別の街ね」

 ミレイアが小さくつぶやく。彼女の声すら、この通りでは響きすぎて聞こえた。

 ルカは首を横に振った。「人の気配はある。でも、全部“怯えてる”感じがする」


 遠くで鐘が鳴った。

 それは祈りの合図ではなく、警告の音だった。鐘の音に合わせて、鎧を着た兵士たちが通りを巡回していく。彼らの目は誰も見ていない。

 「影の疑いがある者は報告せよ」――そんな声が、通りの隅で聞こえた。


 「影討伐……まだ続いてるのね」エリシアの声は震えていた。

 ルカは答えずに周囲を見回した。壁のあちこちに貼られた布告書が風に揺れる。そこには、市民の名と“罪:影の疑い”という文字。

 それを見て、彼の胸の奥が冷たくなった。


 「これが……“討伐祭”の正体か」カイエンが呟く。

 「影を狩ることが、いつの間にか“祭り”になっている。恐怖を誤魔化すために」

 彼の言葉に、誰も何も返せなかった。


 人々の視線が、通りを進むルカたちに集まる。

 その目には好奇でも敵意でもなく、ただ“疑い”があった。

 「見られてる……」ミレイアがつぶやく。

 ルカは無意識に胸のランプを手で覆った。


 そのとき、少年の声が響いた。

 「ママ、あの人……火を持ってるよ!」

 母親が息を呑み、すぐに子どもの手を引いて姿を消す。

 その様子に、ルカの喉が詰まった。


 「……大丈夫だよ、ルカ」エリシアがそっと声をかける。

 「この街も、あなたを責めてるわけじゃない。ただ……怖いだけ」

 「わかってる。でも、やっぱりつらいな」

 ルカは微笑もうとしたが、その表情はすぐに消えた。


 王都の奥には、かつて祈りを捧げた神殿が見える。

 けれど今は、門が鎖で閉ざされ、祭壇の上には黒布がかけられていた。

 「祈りの場所まで……封じられてるのか」カイエンの声が低く響く。

 その言葉に、エリシアは拳を握った。


 「……父上の治める都が、こんなふうになってしまうなんて」

 王女としての誇りよりも、娘としての悲しみがその声に滲んでいた。

 風が吹き抜け、黒布を揺らす。その向こう、鐘の音だけが響き続けていた。


 王宮の門をくぐると、空気が一気に変わった。

 外の街が冷たい沈黙に包まれていたのに対し、城内は整然とした静けさに支配されている。壁にかけられた旗は新しく、床の石は磨き上げられ、まるでここだけ時間が止まっているようだった。


 「誰も話さないのね……」

 エリシアの声が小さく響く。

 通路をすれ違う兵士たちは、無言で敬礼するだけ。視線も交わさず、まるで“決められた動き”を繰り返しているようだった。


 玉座の間へ向かう廊下を歩きながら、ルカは胸の奥がざわつくのを感じていた。

 (整いすぎてる……まるで、何かを隠しているみたいだ)


 扉の前で、カイエンが立ち止まる。

 「謁見の準備を」 衛兵が頷き、重い扉がゆっくりと開かれた。


 玉座の間には、まだ王の姿はなかった。

 代わりに、長い会議卓の前に数人の重臣が並んでいる。白髪の老臣が前に出て、薄い笑みを浮かべた。

 「将軍カイエン、影討伐の報告を願おう」その声は穏やかだが、温度が感じられない。


 カイエンは無表情のまま膝をついた。

 「灰の森の影は討伐済み。被害は限定的。墓守と巫女の力を借りて、民の犠牲も最小に抑えられました」

 「ふむ……」老臣は顎を撫で、目を細める。「その“墓守”と“巫女”はどこに?」


 ルカとミレイアが前に出る。

 老臣は彼らを見た途端、表情をわずかに変えた。

 「なるほど……影の声を聞く少年、か。危うい存在だな」

 「危うい?」ルカが思わず問い返す。

 「影の声を聞くということは、影と心を通わせること。容易く信じられるものではない」


 カイエンが一歩前に出て、低く言い返す。

 「彼は、影を滅ぼすことも、救うこともできる。危うさではなく――可能性です」

 老臣は肩をすくめた。「理想論だ。だが、王都では理想よりも秩序が優先される」


 エリシアが口を開いた。「その秩序が、民を怯えさせているのでは?」

 老臣は微笑を崩さない。「姫様、それは誤解です。王は民のために“清め”を進めておられる。祈りのために、影を焼くのです」


 その言葉を聞いた瞬間、ルカの手の中のランプがわずかに揺れた。

 炎が赤く光り、耳の奥にかすかな囁きが流れ込む。

 ――焼く祈りは、光ではない。


 「……っ」ルカは息を呑む。だが声に出すことはできなかった。

 老臣はそんな彼を一瞥し、淡々と言葉を続ける。

 「王はまもなくお戻りになる。それまで静かに待機されよ」


 そう言い残し、重臣たちは一斉に退室した。

 広い謁見の間に残されたのは、ルカたち四人だけ。


 「歓迎されてるって感じじゃないわね」ミレイアが肩をすくめた。

 「むしろ、排除される空気だな」カイエンが腕を組む。

 ルカは玉座の上を見上げた。そこに差し込む光は白いはずなのに、なぜか血のように赤かった。


 (ここにも“影”がいる……)

 彼の胸の炎が、かすかに音を立てて揺れた。


 王宮を出ると、夕暮れの光が街を赤く染めていた。

 ルカたちは人々の様子を確かめようと、かつて祭りで賑わった中央広場へ向かった。そこは今、黒い布と鉄の柵で囲まれている。かつて祈りの歌が響いた場所に、衛兵の足音だけが残っていた。


 「……ひどい」

 エリシアの瞳が揺れる。

 広場の中央にあったはずの泉は埋められ、代わりに石碑が立っていた。そこには“王の正義に従う者は光に還る”と刻まれている。言葉は立派だが、祈りの気配はどこにもなかった。


 「王の正義、か」カイエンが苦い顔をする。

 「戦の後、誰かがこの街を『恐怖でまとめる』方を選んだんだろうな」

 ルカは口を閉ざしたまま、広場の端に立つ市民を見た。皆、肩をすぼめ、祈るふりだけをしている。


 「……私、話すわ」

 エリシアが一歩前に出た。

 その姿を見て、ルカは思わず止めようとした。「エリシア、今の状況じゃ――」

 「わかってる。でも、黙ってる方がもっと苦しいの」

 彼女の声には覚悟があった。


 エリシアは群衆に向かって声を上げた。

 「皆さん、どうか聞いてください! 王国は、あなたたちを守るためにあります! 影を恐れないでください、祈りはまだ消えていません!」

 だが、人々は顔を伏せたままだった。


 「……王女様、本当かい?」

 どこからか震える声が返ってきた。「影を見た者は、もう戻らないって聞いた。だったら祈りなんて……もう意味ないんじゃないか」

 その言葉に、エリシアの表情がかすかに歪む。


 「意味はあります!」彼女は強く言い切った。「影に呑まれた人を、私たちは見捨てません!」

 「でも……」

 老女が首を振る。「王の兵が、昨日も“影の疑い”で人を連れていったよ。誰も帰ってこない」

 広場に静かな波が走った。


 エリシアは言葉を失った。

 ルカはその横顔を見つめながら、胸の奥が締めつけられるのを感じた。

 (誰も信じられない世界になってる……光を掲げるはずの人たちが、影を恐れて祈りをやめてる)


 「エリシア……」ルカが小さく声をかける。

 彼女はゆっくりと息を吐き、微笑もうとしたが、うまく笑えなかった。

 「ごめんね、ルカ。私、こんな時でも信じていたかったの」

 その瞳は赤く、けれど強い光を宿していた。


 その時、広場の鐘が鳴った。

 夕暮れを切り裂くような音が響き、人々が一斉に動きを止める。

 鐘の音の下、ルカの耳に再び“声”が届いた。


 ――この街の祈りは、眠っている。

 ――墓守よ、目覚めさせるか、見送るかを選べ。


 ルカは息を呑み、胸のランプを握りしめた。

 炎が小さく跳ね、風の中で白く光った。


 その夜、王都は月の光に包まれていた。

 昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、通りの灯りはすべて落とされている。影を恐れて火を使わない――それがこの都の夜の“掟”になっていた。


 ルカは小さな宿の窓辺に座り、胸のランプを見つめていた。

 白い炎は穏やかに揺れている。けれど、その奥にかすかな赤が混じっているのに気づいた。

 「……眠ってるようで、目を覚ましてる」彼は小さくつぶやいた。


 部屋の隅でミレイアが聖具を磨いていた。

 「落ち着かないのね、ルカ」

 「うん。街全体が息をひそめてる気がして。まるで、誰かが見張ってるみたいなんだ」

 「見張ってるのは、きっと“影”だけじゃない」ミレイアの言葉に、ルカは苦笑した。


 廊下の向こうから足音がした。エリシアが部屋に入ってくる。

 「眠れないのね」

 「姫様こそ」ミレイアが微笑む。

 エリシアは窓の外を見つめた。月の光が彼女の金髪を淡く照らし、横顔が儚く見えた。


 「……父上に会ってから、胸がずっと重いの。王宮の中が、何かを隠しているようで」

 その言葉に、ルカは顔を上げた。

 「エリシアも感じるの?」

 「ええ。特に、王宮の下の方から……冷たい気配が流れてくるの」


 その瞬間、ルカの耳の奥で声が響いた。

 ――王宮の下に、影がいる。

 ――そこに“眠る祈り”がある。


 ランプの炎がふっと赤く染まる。

 「ルカ?」ミレイアが顔をのぞき込む。

 「今……聞こえたんだ。“王宮の下に影がいる”って」

 「また、声が……?」エリシアが驚く。


 「前の戦いの時と違う。これは……呼んでる声だ」

 ルカの声には恐れと確信が混じっていた。

 炎が強く揺れ、窓に映る三人の影が重なり合う。


 「行くのね」ミレイアが静かに言う。

 ルカはうなずいた。「行かなくちゃ。この街の祈りが、まだ眠ってるなら」

 エリシアも頷いた。「王都を救うために……私も行くわ」


 その決意を照らすように、ランプの白炎が小さく明るくなった。

 夜風が吹き込み、炎が月光と溶け合う。

 その光の中で、三人の影が揺れていた。


 王宮の裏門から忍び込む夜風は、冷たく湿っていた。

 ルカたちは灯りを最小限にして、王都の地下区画へと向かっていた。廊下の奥に降りる古い階段は、誰も通らなくなって久しいらしく、苔と埃に覆われている。


 「ここ、本当に入っていいの?」ミレイアが小声で言う。

 「たぶん、誰も見てない」ルカが答える。

 エリシアは後ろを見て、静かに扉を閉めた。「父上の許可はないけど……私も確かめたいの。あの冷たい気配の正体を」


 階段を下るたびに、空気が重くなっていく。

 石の壁には古い紋章が刻まれ、時折、蝋燭の残り火がかすかに光っていた。誰かが最近までここを使っていた――それだけで、背筋に冷たい汗が流れる。


 「……この感じ、影とは違う。もっと古い“祈り”の気配だ」

 ルカがつぶやくと、ミレイアが聖具をかざした。

 淡い光が壁に反射し、うっすらと文字の跡が浮かび上がる。


 「……ラテン語? いえ、この国の古語ね」

 エリシアが手を伸ばし、指でなぞる。「“祈りは光、影は眠りの守り手”……」

 その言葉を口にした瞬間、足元の石がかすかに震えた。


 「待って……何か動いた」ミレイアが声を潜める。

 ルカのランプが白く光り、壁の奥に光の筋が走る。

 まるで封印の境界が“呼吸”を始めたようだった。


 「ここだ……“声”がここから聞こえる」ルカが前に出る。

 ランプの炎が揺れるたび、壁の文様が赤く反応する。

 「やっぱり、王宮の下に“何か”が封じられてるのね」エリシアの声が震えた。


 「……でも、影じゃない」

 ルカは目を細め、耳を澄ませた。

 ――これは、“祈りの残響”だ。

 声が優しく響き、胸の奥を包むように広がる。まるで誰かが眠りの中から語りかけているようだった。


 「祈りが……泣いてる」ミレイアが聖具を抱きしめた。

 「封印された祈り。その光が閉じ込められてるのよ」

 ルカは壁に手を当て、深く息を吸った。

 「ここに眠る祈りを、僕たちが……解き放つんだ」


 炎が白く弾け、地下通路の奥で鈍い音がした。

 暗闇の中、わずかに覗いた光の筋が、次の道を指し示す。


 地下通路の先は、広い空洞になっていた。

 壁一面に古い祈りの文様が刻まれ、中央には割れた祭壇が置かれている。長い年月のせいか、石の隙間から白い光が漏れていた。


 「ここが……王都の下?」

 ミレイアが息をのむ。

 エリシアは祭壇に近づき、ひざをついた。「祈りの場……だったのね。誰かが封じて、閉ざしてしまった」

 その指先に触れた瞬間、地面がわずかに震えた。


 ルカは胸のランプを掲げる。

 白い炎が揺れ、祭壇の上に影の輪郭が浮かび上がる。人の形をしているが、苦しそうに膝を抱えていた。

 「……眠ってる」ルカがつぶやく。「これは“影”じゃない、“祈り”の残骸だ」


 「祈りが、影になるの……?」

 エリシアの声が震えた。

 ルカはうなずく。「誰かの“助けて”が届かなかったとき、祈りは形を変えるんだ。だから影は敵じゃない。忘れられた願いの、もうひとつの姿なんだ」


 祭壇の光が強くなる。

 石壁の文様が赤く脈動し、地下の空気が震えた。

 「やばい、封印が……」ミレイアが後ずさる。

 だがルカは一歩前に出た。「いいんだ。この光は、怒ってるわけじゃない。……目を覚ましたいだけだ」


 炎がふっと伸び、白と赤の混じった光が祭壇を包む。

 耳の奥で声が重なった。

 ――我らは眠りを強いられた。

 ――けれど、光を憎んだことはない。

 ――墓守よ、今こそ聞け。祈りはまだ、ここにいる。


 ルカは拳を握り、炎に語りかけた。

 「僕たちは、もう祈りを焼かせない。影を消すんじゃなく、共に歩く方法を探す」

 声が止み、地下空洞を満たしていた赤い光が、ゆっくり白に変わっていく。


 エリシアが小さく息を呑んだ。「……美しい」

 天井の亀裂から光が差し込み、白い粉塵が舞う。それはまるで、空の祈りが地上へ帰ろうとしているようだった。


 ルカは炎を胸に戻し、静かに呟いた。

 「この都は、祈りを失っていなかった。……ただ眠っていただけだ」

 エリシアが微笑む。「なら、私たちが目覚めさせるのね」

 ルカはうなずき、白い炎を見つめた。その光の中に、確かな希望があった。

 王都の地下で、ルカは“影の正体”に初めて触れました。

 それは恐怖ではなく、忘れられた祈り――失われた願いの残響。

 次回、彼らを待つのは「正義」と「嘘」が交わる、新たな王宮の影です。

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