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第23話 信じられぬ声

 ロンダの村を離れてから二日後。

 僕たちは、ようやく次の集落――ミルゼの村にたどり着いた。


 けれど、どこかがおかしかった。


 村に入った瞬間、感じたのは冷たい視線。

 農具を持つ男たちは作業の手を止め、無言で僕たちを見ている。

 子どもたちは物陰に隠れ、年寄りは戸口をそっと閉めた。


 「……歓迎ムードとは言いがたいね」

 サイラスが皮肉っぽく言う。


 ミレイアが小声でつぶやいた。

 「空気が重い……。この村、何かあったみたい」


 エリシアが一歩前に出る。

 「ご安心ください。私たちは旅の者です。怪しい者ではありません」


 その声は落ち着いていたが、返ってきたのは無言だった。


 畑の向こうから、粗末な杖を持った老人が近づいてきた。

 「……旅人か。悪いが、泊める場所はない」


 「私たちは宿を求めているわけではありません」

 エリシアは丁寧に頭を下げた。

 「道を尋ねたいだけです。少しお話を――」


 「話すことなどない」

 老人はそれだけ言うと、背を向けた。

 冷たい風が、砂埃を巻き上げる。


 「ルカ、感じる?」

 ミレイアの問いに、僕は無言でうなずいた。


 耳の奥で、何かが囁いていた。

 ――聞こえるか、墓守。

 ――この村もまた、影に触れた。


 (……影?)


 声はすぐに途切れた。

 けれど、その一瞬で胸の奥にざらつく不安が広がる。

 まるで村全体が、何かを隠しているような感覚だった。


 「……この村にも、何か起きたのかもしれない」

 僕が言うと、サイラスが頷いた。


 「影の痕跡は見えない。だが、怯え方が尋常じゃないな」

 彼は村の方を見回す。

 「王都の混乱は、ここまで届いているのかもしれん」


 「王都……?」

 エリシアの顔が曇る。

 「もしかして、私たちのことが……」


 「王女が影を呼んだ」という噂。

 ロンダでも耳にしたあの言葉が、遠く離れたこの村にも広がっている――そう思った瞬間、背筋が冷たくなった。


 日が傾き、僕たちは村外れの廃屋を借りて休むことになった。

 中はほこりっぽく、窓は壊れ、冷たい風が吹き込んでいる。


 ミレイアが焚き火を灯しながら言った。

 「人の心にまで影が広がってる……そんな気がするの」


 「うん……」

 僕はランプの炎を見つめた。

 小さな光が、風にゆらゆらと揺れている。


 ――信じるな。

 ――この村の声を、信じるな。


 耳の奥で、再び声が囁いた。

 その声は、警告のようでもあり、誘惑のようでもあった。


 (……何を意味してるんだ?)


 答えのないまま、夜が静かに迫っていった。



 夜が更けるころ、村の中央にある集会所から人々の声が漏れていた。

 窓の隙間から、かすかに明かりが揺れている。


 僕たちは廃屋の陰から、その光を見つめていた。

 「……話し合ってるみたいだね」

 僕の言葉に、サイラスがうなずく。


 「外の者が来れば、恐怖も刺激される。火に油を注ぐようなものだ」


 エリシアは黙っていた。

 王家の紋章を隠すために外套のフードを深くかぶり、拳を握りしめている。


 集会所の中では、低い声がいくつも交わされていた。


 「南の方でも影が出たらしい」

 「王都が混乱しているって噂もある。王女が影に取り込まれたとか」

 「本当か? 王家が滅んだって話も聞いたぞ」


 デマと恐怖が入り混じった声。

 焚き火の明かりに照らされた顔は皆、怯えと不信でこわばっていた。


 「……だから旅人は泊められん。誰が影を連れてくるかわからん」

 年配の村長が杖をつきながら言う。


 その言葉に、周りの村人たちがうなずいた。


 僕たちはその会話を、壊れた窓越しに聞いていた。

 エリシアの肩が小さく震えている。


 「……王都の混乱、って……私のことを言ってるのよね」

 かすれた声でつぶやく。


 ミレイアがそっと彼女の腕に手を置いた。

 「エリシア、今は耐えよう。きっと誤解は解ける」


 「でも、このままじゃ……」

 彼女は唇を噛みしめた。

 「この村も、ロンダのように疑心に飲み込まれてしまう」


 その時、扉が軋む音がして、村長が外に出てきた。

 彼の視線が闇の中の僕たちを捉える。


 「そこにいるのは……旅人か?」


 僕たちは姿を現した。

 「ごめんなさい、盗み聞きするつもりじゃ――」


 村長は手を上げて制した。

 「いい。お前たちがどんな者か、確かめさせてもらう」


 彼の目は鋭く、警戒の色を隠さなかった。


 「王家の者だと聞いたが、本当か?」

 その言葉に、エリシアが一瞬固まる。


 サイラスが間に入ろうとしたが、エリシアは静かにうなずいた。

 「……はい。私はエリシア・アルシオン。この国の王女です」


 村長の眉がぴくりと動く。

 「ならば証を見せろ。王家の血を名乗るなら、印か文を持っているはずだ」


 エリシアは言葉を失った。

 逃げるように王都を出てきた今、身分を証明するものなど持っていない。


 沈黙が、重く広がる。


 「……持っていません」

 小さな声だったが、確かに届いた。


 その瞬間、村人たちの表情が冷たく変わった。


 「やはり偽物か」

 「影を呼ぶ女だ!」

 「出ていけ!」


 怒号が響き、石が投げられそうな勢いで人々が詰め寄る。

 ミレイアが慌ててエリシアの前に立った。

 「落ち着いて! この方は――」


 「うるさい!」

 誰かが叫んだ。

 「影を呼ぶ王家の娘を、この村に入れるな!」


 エリシアは立ち尽くしていた。

 目を閉じ、唇をかすかに動かす。

 「……信じてもらえないのね」


 その声は震えていたけれど、涙はこぼさなかった。


 僕は拳を握った。

 (信じてもらえない? なら……僕の“声”で……!)


 ランプを強く握りしめると、炎がかすかに明るくなった。

 耳の奥で、あの囁きが再び流れる。


 ――墓守よ、声を使え。


 次の瞬間、僕は決意していた。



 怒号が広がる中、僕はただ立ち尽くしていた。

 群衆の視線が怖かった。

 けれど――その奥にある“怯え”の方が、もっと痛かった。


 (みんな怖いんだ……影も、王家も、そして僕の声も)


 胸の中のランプが小さく揺れる。

 炎が風に揺らぐたび、耳の奥で囁きが響く。


 ――導け。

 ――真実を示せ。


 その声に背を押されるように、僕は一歩前へ出た。


 「待ってください!」

 僕の声が、ざわめきを裂いた。


 村人たちが一斉にこちらを見る。

 怖かった。けれど、もう黙っていられなかった。


 「僕は……墓守です。影の声を“聞く”者です!」

 広場に静寂が落ちた。

 「でも、僕は呼んだりしません。聞こえるんです……影のせいで苦しむ人の“声”が!」


 「声……?」

 誰かがつぶやく。


 「今も、聞こえてます」

 僕は耳を澄ませた。

 ――助けて。

 ――痛い。

 ――水が……。


 (……水?)


 「この村のどこかで、誰かが……水で苦しんでる」

 自分でも何を言っているのかわからなかった。

 でも、その囁きが確かに聞こえたんだ。


 「お前……何を言ってる?」

 村長が怪訝そうに眉をひそめる。


 僕は走り出した。

 声が導く方向へ――村の中央にある古い井戸へ向かう。


 井戸の縁に立つと、腐ったような匂いが鼻をついた。

 水面が濁っていて、どす黒い泡が浮かんでいる。


 「……これだ」


 ミレイアが駆け寄り、聖具をかざした。

 「この水……影の瘴気で汚れてる!」


 周囲の村人たちが息をのむ。


 僕はランプを掲げた。

 炎が揺れ、その光が井戸の奥を照らす。


 ――清めよ。

 ――声を光に変えよ。


 「ミレイア!」

 「わかってる!」


 ミレイアの聖具からまぶしい光が放たれた。

 風が吹き抜け、濁った水が一気に澄んでいく。

 井戸の底から白い泡が上がり、やがて透明な水面が広がった。


 「……きれいになった……」

 誰かの声が漏れた。


 そのとき、家の奥から子どもの泣き声が聞こえた。

 母親が駆け込み、しばらくして外に出てくる。

 「この子……熱が下がってる!」


 その一言で、空気が変わった。

 村人たちは顔を見合わせ、戸惑いながらも僕たちを見た。


 「井戸が……汚されてたのか」

 「墓守の声で助かったのか……?」


 誰かがつぶやくと、次々に安堵の声が広がった。


 「ありがとう……!」

 「助けてくれて、本当にありがとう!」


 村人の中から笑顔が生まれ、エリシアも胸を押さえて涙ぐんだ。


 僕はただ、胸の中の炎を見つめた。

 (この声は……人を助けることだってできる)


 そう思えた瞬間、初めて“墓守の力”を誇りに感じた。



 翌朝。

 鳥のさえずりが村の上を飛び抜けていった。

 昨日の夜とは違い、空は穏やかで、井戸の水面も澄んでいる。


 僕たちは村の広場に立っていた。

 子どもたちが笑いながら水を汲んでいる。

 その様子を見て、エリシアはほっとしたように微笑んだ。


 「よかった……本当に、助かったのね」


 ミレイアがうなずく。

 「村全体が影に呑まれなくてすんだ。あの声が導いたおかげね」


 僕は胸のランプを見つめた。

 まだ小さく光が揺れている。

 (この光が、少しでも人を救えたなら――)


 そう思った、その時だった。


 「おい……聞いたか?」

 村の入口で、数人の男たちが何かをひそひそと話していた。


 「墓守の少年、影の声を使って井戸を清めたらしい」

 「声を使う? あれは……影の術だって聞いたぞ」

 「つまり……影と取引して力を得たってことか」


 ささやきは瞬く間に広がった。

 昨日、感謝の言葉をかけてきた人たちの表情まで、再び曇っていく。


 「ちょ、ちょっと待って……」

 僕は慌てて近づいた。

 「そんなことしてない! 影と取引なんかしてない!」


 「嘘をつくな!」

 怒鳴り声が返ってきた。

 「人の声を聞くなんて、普通じゃねぇ! 影の眷属に違いない!」


 周りの人々が後ずさり、僕から距離を取る。

 昨日とはまるで反対の空気だった。


 「どうして……?」

 エリシアが小さく呟く。

 「ルカが命がけで助けたのに……」


 ミレイアが前に出て、両手を広げた。

 「落ち着いて! 彼は私の前で祈りを受けたの! 影なんて関係ない!」


 しかし、村人の一人が叫んだ。

 「祈りも魔も、どっちも同じだ! 人ならざる力なんて信用できるか!」


 怒号が広がり、群衆が押し寄せる。

 石が地面に転がる音がした。


 「やめて!」

 エリシアが叫ぶが、誰も耳を貸さない。


 僕はその場に立ち尽くしていた。

 昨日まで感謝してくれた人たちの顔が、今は恐怖にゆがんでいる。

 (どうして……たった一晩で、こんなに変わってしまうんだ)


 耳の奥で声が囁く。

 ――それが人の心。

 ――救われるときには感謝し、恐れるときには拒む。


 「やめろ!」

 僕は思わず叫んだ。

 「そんなふうに言うな!」


 だが声は冷たく笑った。

 ――信じられぬ声は、すぐに憎まれる。


 群衆の中から石が投げられた。

 それが地面に当たり、土が跳ねた。

 ミレイアが僕をかばい、前に出る。


 「ルカは敵じゃない!」

 その叫びがかすれる。

 彼女の目にも、悔しさと悲しみが滲んでいた。


 エリシアが僕の肩をつかむ。

 「ここはもう……出ましょう!」


 「でも……!」

 「これ以上いたら、あなたが傷つく!」


 彼女の声に押され、僕はようやく頷いた。

 胸のランプが揺れ、光が不安に震えていた。


 村人たちの怒声を背に、僕たちはその場を離れた。

 昨日と同じ道を歩いているのに、景色はまるで別の世界みたいに見えた。


 「ルカ……」

 エリシアの声が、風にかき消されそうになる。

 「人の心は、こんなにも……脆いのね」


 僕は何も言えなかった。

 ただ、耳の奥に残る囁きが消えない。


 ――信じられぬ声こそ、真実を暴く。


 (……僕の声は、本当に“正しい”のか?)



 村を離れ、森の中に入った頃だった。

 怒鳴り声も石の音ももう聞こえない。

 けれど、胸の奥に残った痛みは、まだ消えなかった。


 エリシアはずっと無言で歩いていた。

 風に揺れる金の髪が頬にかかるが、それを払おうともしない。

 足取りは重く、まるで自分を責めているようだった。


 「エリシア……」

 僕が声をかけようとしたとき、彼女は立ち止まった。


 「……私のせいだわ」

 かすかな声だった。

 けれど、その言葉は僕の胸にまっすぐ突き刺さった。


 「さっきの村、あの人たちがルカを疑ったのは……私が一緒にいたから」


 振り返ったエリシアの瞳は、夕暮れの光の中で悲しく揺れていた。

 「王家の名があるだけで、人は距離を置く。

  私が名乗った瞬間、ルカまで疑われる……。

  もう、誰も私を信じないのね」


 「そんなことない!」

 僕は思わず声を上げた。

 「エリシアがいたから、僕は戦えた! 村の人を助けることもできた!」


 けれど彼女は、かすかに首を振った。


 「違うの、ルカ。

  あなたは“声”が導いたから動けたの。

  私がいたからじゃない。

  ……むしろ、私がいるせいであなたは苦しんでる」


 彼女の声は静かだった。

 でも、その静けさが、僕には何より苦しかった。


 「エリシア……」


 「私は王女として生まれた。

  けれど王都では民を守れず、ロンダでも信じてもらえなかった。

  そして今日、あなたまで――」


 彼女は胸の前で拳を握りしめた。

 「私が“信じられぬ声”そのものなのよ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕は息をのんだ。

 まるで、あの囁きの声が彼女の心を通して話しているように思えた。


 「違う!」

 僕は一歩踏み出して、強く言った。

 「たとえ誰にも信じてもらえなくても、僕は信じてる!

  エリシアの声は……きっと届く日が来る!」


 彼女は驚いたように目を見開いた。


 「僕の声だって、恐れられてばかりだった。

  でも、井戸を清めたとき、少しだけ人を救えた。

  だから信じてる。信じることをやめなければ、声はきっと――」


 言葉の途中で、エリシアが目を伏せた。

 「ルカ……優しいのね」

 かすかに笑ったけれど、その笑顔はどこか痛々しかった。


 「でもね、私は王女。

  信じられるかどうかじゃなく、信じさせなければならない立場なの。

  それができなかった私は……無力なのよ」


 彼女の声が震え、唇がかすかに噛まれる。

 その小さな仕草が、胸に刺さった。


 ミレイアがそっと歩み寄り、彼女の肩に手を置いた。

 「それでも、立ち止まらないで。

  信じられない声でも、光を失ってはいけない」


 エリシアは小さく息をつき、うなずいた。

 その目に、わずかに光が戻る。


 「……ありがとう、ミレイア。

  そして、ルカ……あなたにも」


 彼女の声は震えていたが、少しだけ優しかった。


 その瞬間、僕の耳の奥で再び声が囁いた。

 ――信じられぬ声ほど、真に強い。


 (……あぁ。きっと、そうなのかもしれない)


 風が木々を揺らし、落ち葉が舞う。

 僕たちは無言で歩き出した。

 沈黙の中に、少しだけ希望の音が混じっていた。



 その夜、僕は眠れなかった。

 森の外れで焚き火の火がパチパチと鳴る。

 ミレイアとエリシアは並んで眠っている。

 クロも静かに丸くなり、尻尾だけがときどき動いていた。


 夜風は冷たかったけれど、頭の中は妙に熱い。

 目を閉じても、昼間の光景が浮かんでくる。

 石を投げられた瞬間。

 「影の声を使った」という言葉。

 そして――エリシアの涙をこらえた顔。


 (僕の声って……本当に正しいのか?)


 火の粉がふわりと飛ぶ。

 その小さな光を見つめていると、耳の奥でまた“声”が響いた。


 ――迷っているのか。

 ――墓守よ。


 「……誰だ」

 思わず声が漏れる。

 けれど周りの仲間は眠ったまま、誰も起きない。


 ――信じられぬ声を恐れるな。

 ――お前の声には、導く力がある。


 「導く……?」

 呟く僕に、声は冷たくも優しくもない調子で続けた。


 ――信じられぬ者こそ、世界を変える。


 「世界を変える……?」

 あまりにも大きな言葉に、息が詰まる。


 「僕なんかに、そんなことできるわけない。

  影を追うのが精いっぱいで……」


 ――それでも、お前は“選ばれた”。

 ――声を聞く者は、時に刃となり、時に光となる。


 焚き火の炎が、不意に強く揺れた。

 火の粉が舞い上がり、影が木々の間に広がる。


 「……っ!」

 僕は反射的に立ち上がった。

 けれどそれは、ただ風が通り抜けただけだった。


 (幻聴……? それとも本当に……)


 考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。

 僕の声は誰かを救えるけれど、同時に誰かを傷つける。

 ロンダでも、ミルゼでも。

 助けたはずの人たちが、次の日には僕を恐れた。


 「もし、この声が……本当に“影の力”だったら?」


 その問いが喉から漏れた瞬間、炎が小さく揺らいだ。


 ――力に善も悪もない。

 ――選ぶのはお前だ。


 声が返ってくる。

 その音が、胸の奥に重く響いた。


 「僕が……選ぶ?」

 (どう使うかは僕次第、ってことなのか)


 思い出す。

 ミレイアの「光は届かなくても消えない」という言葉。

 エリシアの「信じてもらえなくても、歩き続ける」という声。


 みんなが、自分の言葉を信じて進んでいる。

 なら、僕も――。


 「僕は……この声で、人を救いたい」

 口に出すと、胸の奥の炎がふっと強く輝いた。


 ――それが、お前の選択か。

 ――ならば見届けよう。


 囁きは、静かに消えていった。


 風が止まり、焚き火の炎が穏やかに揺れる。

 その光が、眠る仲間たちの顔を照らしていた。


 エリシアの表情は穏やかで、涙の跡がうっすら残っている。

 ミレイアは手を組み、祈るように眠っていた。

 クロは小さく寝息を立てている。


 僕はランプを抱え、火のそばに座り込んだ。

 「……信じられぬ声でもいい。

  僕がこの声を、希望に変えてみせる」


 そう呟くと、闇の中で小さな光がひとつ、静かに灯った。



 朝が来た。

 森の向こうから差し込む陽の光が、木々の間を黄金色に染めていく。

 けれどその光は、昨夜の冷たい出来事を消してくれはしなかった。


 僕たちは荷をまとめて、再び村を通り抜けようとしていた。

 沈んだ顔をした村人たちが道の両側に立っている。

 誰も口を開かない。ただ、重苦しい沈黙だけが漂っていた。


 「……出ていけ」

 静寂を破ったのは、一人の男の低い声だった。


 「もうこれ以上、村に災いを呼ぶな」

 それに続いて、別の人も言う。

 「影の声を使う者など信用できん。あの井戸だって、何をしたのかわからない」


 僕の喉がきゅっと締まった。

 (また……同じだ)


 助けたはずなのに、恐れられる。

 その事実が、胸の奥にじわじわと痛みを広げた。


 エリシアが一歩前へ出る。

 「この子は、皆さんを救おうとしただけです!」

 必死に訴えるその声も、誰にも届かない。


 「王家の娘が何を言おうと関係ない!」

 「王都を滅ぼしたのも、影を呼んだのも王族のせいだ!」


 怒号が飛び、誰かが石を投げた。

 地面に当たって砕けた破片が、エリシアの足元に散る。


 「やめて!」

 ミレイアが盾のように立ちふさがった。

 その瞳には怒りと悲しみが入り混じっていた。


 僕は一歩、前に出た。

 「もういいよ」


 その声に、エリシアがはっと僕を見る。


 「僕は……わかってる。みんなが怖いんだよ。影も、声も、僕の存在も」

 小さな子どもが母親の後ろに隠れるのが見えた。

 その目の中にある恐怖は、まるであの王都の夜と同じだった。


 「だから、もう争わない。僕たちは行くよ」


 そう言って、背を向けた。


 背後で、エリシアが震える声を出した。

 「ルカ……あなたは優しすぎるわ」


 「優しいんじゃないよ」

 僕はランプを握りしめた。

 「もう怒るのも疲れたんだ。

  信じてもらえないのは、きっとこれからも続く。

  それでも――僕は信じたい」


 「信じる……?」


 「うん。

  影に染まらない人の心を。

  そして……僕たち自身の声を」


 エリシアはしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。

 「……そうね。信じてもらえなくても、歩くしかない」


 その言葉は弱々しかったけれど、どこか芯のある響きを持っていた。


 サイラスが地図をしまい、短く告げる。

 「南へ行こう。次はノアリア遺跡だ。真実を求めるなら、そこだ」


 ミレイアも頷いた。

 「行きましょう。影に“心”を奪われる前に」


 クロが「ワン!」と吠え、道の先を指すように走り出した。


 僕たちはゆっくりと歩き出した。

 村人たちは何も言わない。

 ただ背後で、風が吹き抜ける音だけが残った。


 振り返らずに、僕は心の中で呟いた。

 (信じられなくても……いつかきっと、届く日が来る)


 耳の奥で、またあの声が響く。


 ――信じられぬ声こそ、真実を映す鏡。


 僕は小さく笑った。

 「だったら……鏡ごと、信じてやるさ」


 そう言って、歩幅を少しだけ広げた。

 信じられぬ“声”が、ルカとエリシアをさらに孤独へと追い込んだ。

 それでも二人は、信じる力だけを胸に歩き出す。

 次回、第24話「闇より来る刃」――新たな危機が彼らを試す。

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