表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/34

第22話 焦土の村

 南へと続く街道を抜け、僕たちはようやくロンダの村にたどり着いた。

 けれど――そこに広がっていたのは、僕が思い描いていた「村の景色」なんかじゃなかった。


 「……っ」

 思わず息をのむ。


 家々の屋根は崩れ落ち、壁は黒く焼け焦げていた。

 まだ煙が上がっているところもある。焦げた木材の匂いが鼻をつき、足元には割れた陶器や血の跡がこびりついている。


 「……ひどい……」

 エリシアが顔を覆った。抱えていた子どもも目を覚まし、母親を求めるように泣き声をあげる。


 クロが耳を立てて低く唸った。

 「ワゥ……」

 その声は、この場所にまだ危険の気配が残っていることを告げているみたいだった。


 僕は足を進める。

 村の広場に出ると、かつて市場だったであろう場所が瓦礫と灰に覆われていた。

 野菜や布を並べていたであろう棚は折れ曲がり、木製の屋台は炭の塊と化している。


 「ここまで徹底的に……」

 ミレイアが聖具を握りしめ、苦しげに呟く。

 「影の仕業にしては……破壊が整いすぎてる」


 「整いすぎてる?」

 僕が問い返すと、彼女は頷いた。

 「影なら無差別に暴れるはず。でもこれは……狙って焼き討ちしたみたい」


 その言葉に背筋が冷たくなる。

 (じゃあ……人間が、関わってる?)


 「誰か!」

 エリシアが声を張った。

 「生きている方はおられませんか! 助けに来ました!」


 けれど返事はなかった。

 風が瓦礫の隙間を吹き抜ける音だけが虚しく響く。


 (遅かったのか……? もうみんな……)


 そう思ったその時――。


 「……た、助けて……」

 かすかな声が聞こえた。


 僕たちは顔を見合わせ、一斉に声の方へ駆け寄る。

 瓦礫の山の下に、小さな影がうずくまっていた。


 「おじいさん!」

 ミレイアが叫び、僕とサイラスが必死に木材をどかす。

 埃が舞い、焦げた板が崩れる音が響く。


 瓦礫の下から現れたのは、白髪の老人だった。

 服は焼け焦げてところどころ破れている。顔には煤がこびりつき、息は荒い。


 「大丈夫ですか!」

 エリシアが手を差し伸べる。


 老人は震える手でその手をつかんだ。

 だが次の瞬間――彼の目がエリシアを捉え、表情が固まった。


 「……王家の……娘か……?」


 その声には驚きと、そしてどこか冷たい色が混じっていた。


 エリシアの顔がこわばる。

 「私は……エリシア。王女としてではなく、人として……助けたいだけです」


 しかし老人は、何か言いかけて口を閉ざした。

 その沈黙が、焦土に立つ僕たちの胸をさらに重く締めつけた。



 瓦礫の下から救い出した老人は、まだ息が荒かった。

 ミレイアがすぐに聖具をかざし、淡い光を彼の体に注ぐ。

 「大丈夫、落ち着いて……傷は浅いわ」


 光に包まれると、老人の呼吸が少しずつ整っていった。

 「……助かった……」

 しわだらけの目に涙がにじむ。


 僕は胸をなで下ろした。けれど、その安堵は長く続かなかった。


 「お母さん! お母さぁん!」

 かすかな声が、別の瓦礫の向こうから響いてきた。


 僕たちは慌てて駆け寄る。

 そこには、小さな女の子が泣きながら石をどかしていた。

 手は血で赤くなり、それでも必死に動かしている。


 「やめて! そんな手じゃ壊せない!」

 エリシアが駆け寄り、少女を抱きとめる。


 「お母さんが……まだ中にいるの……っ!」

 少女の涙がエリシアの胸を濡らす。


 「任せて」

 エリシアは剣を突き立て、テコのようにして重い梁を動かした。

 サイラスと僕も加わり、三人がかりで瓦礫を退かす。


 そこから現れたのは、ぐったりとした女性だった。

 顔に煤をつけ、腕をかばうようにして倒れている。


 「お母さん!」

 少女が泣きながら駆け寄る。


 ミレイアが素早く治療を施すと、女性はゆっくりと目を開けた。

 「……生きて……たの……」

 少女を抱きしめ、声をあげて泣いた。


 その光景を見たとき、胸が熱くなった。

 (まだ……間に合ったんだ)


 しかし、安堵の後には冷たい言葉が待っていた。


 「……王女様、か」

 老人が、再びエリシアを見てつぶやいた。

 「この村を守れなかったのも、王家のせいじゃ……」


 「ち、違います!」

 エリシアは必死に首を振る。

 「私たちは……ここを救うために――」


 「救う?」

 別の村人が集まってきて、その声が遮った。

 「王女が現れたって、もう家は焼け、仲間は死んだ。どこが救いなんだ」


 エリシアの表情が凍りつく。


 彼女は唇を噛みしめ、目を伏せた。

 その肩が小さく震えている。


 「……私は……」

 何かを言おうとしたけれど、声にならなかった。


 僕はその横で拳を握った。

 (違う……エリシアは必死で戦った。なのに……!)


 けれど、村人の冷たい視線に、僕の言葉も喉で止まった。


 ――この村には、王家を信じる心なんて残っていない。


 そう思わせるほどに、村人たちの顔は絶望に覆われていた。



 村人たちの視線は冷たかった。

 感謝よりも疑い、安堵よりも怒り。

 それが焼け跡の中に立つ人々の表情だった。


 「王女だと? だったら、どうしてこんなことになったんだ」

 「結局、王家は遠くから見ているだけじゃないか」


 声が突き刺さる。

 エリシアの瞳は揺れていた。唇はかすかに動くけれど、もう言葉が出てこない。


 そのときだった。


 ――聞け。


 耳の奥に、声が落ちてきた。

 ひどく弱々しく、今にも消えてしまいそうな声。


 「……っ」

 僕は思わず振り返った。

 でも周りにいるのは生き残りの村人だけだ。


 ――聞け、墓守。

 ――我らの無念を伝えよ。


 (……死者の声!)


 声は続いた。

 ――我らは影に襲われた。だがそれだけではない。

 ――人の刃が、村を焼いた。


 僕の心臓が跳ねた。

 (やっぱり……人間が関わってる!)


 「どうしたの?」

 ミレイアが僕を見て、眉を寄せる。


 「……声が聞こえる。亡くなった村人たちの……」

 口にした瞬間、周囲の空気が張りつめた。


 「墓守……?」

 「影を呼んだのは、あの子なんじゃ……」


 生き残った村人たちの視線が一斉に僕に向いた。

 恐怖と疑いが入り混じった眼差し。

 「影の声なんて聞くからだ!」「やっぱり不吉な存在だ!」


 ざわざわと怒りの火が広がっていく。


 「違う! 僕は呼んだんじゃない!」

 思わず声を張り上げる。

 「聞こえたんだ……! 影と一緒に、人間の刃も村を襲ったって!」


 「人間……?」

 村人たちがざわめきを止め、互いに顔を見合わせる。


 その一瞬の沈黙を突いて、僕は必死に言葉をつなげた。

 「影だけじゃない! 誰かが影を利用して、この村を焼いたんだ!

  だから、王女や僕のせいじゃない……本当の敵は別にいる!」


 胸が苦しかった。

 でも言わなきゃ、誰もエリシアを信じてくれない気がした。


 エリシアは驚いた顔で僕を見ていた。

 その瞳には、ほんの少しだけ光が戻っていた。


 けれど村人たちの表情は複雑だった。

 「……本当か?」「でも、誰がそんなことを……」

 「影を使うなんて……人間にできるのか?」


 疑いは完全には晴れていない。

 けれど、怒りがほんの少し和らいだのも事実だった。


 ――伝えよ、墓守。

 ――我らの無念を、次へ。


 声はそう告げ、やがて消えていった。


 僕は胸に手を当てた。

 (必ず伝える。影と人との繋がりを……絶対に)



 死者の声を伝えた僕の言葉に、広場の空気は一瞬だけ静まった。

 けれど、その沈黙を破ったのもやはり怒りだった。


 「人間が影を使うだと? そんな話、信じられるか!」

 「どうせ墓守の幻聴だ!」

 「影を呼んで村を壊したのは、あのランプのせいなんだろ!」


 次々と飛んでくる罵声。

 村人たちの目は恐怖に濁り、理屈よりも不安に支配されていた。


 「やめて!」

 エリシアが一歩前に出て、声を張り上げた。

 「ルカは影を呼んだんじゃない! 彼は皆さんを助けようと……!」


 だがその必死の声すらも、怒りにかき消されていく。


 「王女がかばってるだけだ!」

 「どうせ城の者は影とつながってる!」

 「もう誰も信じられない!」


 声の波が広がり、群衆は一歩、また一歩とこちらに迫ってきた。


 僕は背中に冷たい汗を感じた。

 (ちがう……僕はそんなことしてない……!)


 でも、いくら口を開こうとしても喉が詰まって声にならない。

 目の前に突きつけられたのは、理不尽な憎しみ。

 「墓守」というだけで背負わされる疑いだった。


 クロが牙をむき出しにして吠えた。

 「ガルル……ワンッ!」

 群衆はひるんだが、それでも怒声は止まらなかった。


 「……っ!」

 エリシアが振り返り、僕をかばうように立ちふさがった。


 「この者を責めるな!」

 その声は震えていたけれど、強かった。

 「もしも責めるなら、私を責めなさい! 王女として、この惨状を防げなかった私を!」


 広場に重い沈黙が落ちる。

 村人たちは互いに顔を見合わせ、困惑したように口を閉ざした。


 だがすぐに、年配の男が口を開いた。

 「王女……あなたが何を言っても、家はもう戻らん。

  仲間も……子どもも……死んだ者は帰ってこない」


 その言葉に、エリシアの表情が苦しげに歪む。


 「……わかっています」

 彼女は震える声で答えた。

 「だからこそ……もう二度と同じことを繰り返させない。私は――」


 言葉は強かった。

 けれど、村人たちの目から怒りが消えることはなかった。


 「王女の約束なんて、もう信じられない」

 誰かが冷たく言い放った。


 その一言は、鋭い刃のようにエリシアの胸を切り裂いた。


 彼女は立っているのがやっとのように見えた。

 それでも剣の柄を握りしめ、必死に顔を上げ続けていた。


 (……エリシア……)

 僕はその背中を見つめ、拳を握りしめるしかなかった。



 村人たちの怒りは消えなかった。

 その視線は冷たく、王女としてのエリシアを突き刺す。


 「王家は民を守らない。何度だまされれば気がすむんだ」

 「結局は高い城の中で贅沢してるだけだろ!」


 罵声が次々と飛ぶ。

 エリシアは剣の柄を握りしめ、ぎゅっと唇を噛んだ。


 そして、彼女は一歩前へ出た。


 「……それでも」


 声は小さかったけれど、広場にいた全員が聞き取れた。

 彼女は顔を上げ、涙をこらえながら言葉を続けた。


 「私は王女としてではなく、一人の人間として……皆さんを守りたい」


 ざわめきが走る。

 「王女が……仲間として?」

 「そんなこと言って、何が変わるんだ」


 しかし、エリシアは退かなかった。


 「王女の肩書きでは信じてもらえない。

  けれど、私は一人の仲間として剣を取り、共に戦います。

  影に抗うこの旅を、皆さんの未来のために続けていきます」


 彼女の瞳は真っ直ぐで、震えてはいたけれど決して折れてはいなかった。


 僕は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 (エリシア……)


 けれど村人たちは顔をそむけた。

 「言葉なんかいらん。死んだ者は戻らない」

 「誓いより、目に見える守りをくれ」


 吐き捨てるような声が広場を覆い、冷たい風が吹き抜ける。


 エリシアは小さく息を飲んだ。

 でも、背筋を伸ばして顔を上げたままだった。


 「……信じてもらえなくてもいい」

 彼女は静かに、しかしはっきりと言った。

 「それでも私は、ここで誓います。

  仲間と共に歩み、必ず影を退け、民を守ると」


 剣を高く掲げる。

 その刃に、わずかな陽光が反射して光った。


 沈黙の中で、誰も拍手も声もあげなかった。

 ただ、村人たちの瞳に一瞬だけ迷いが走った。


 「……行こう」

 ミレイアが小声で僕に言った。

 僕はうなずく。


 エリシアの誓いは、まだ誰にも届いていない。

 けれど、その背中には確かに覚悟が宿っていた。


 僕はその姿を目に焼き付けた。

 (……絶対に、この誓いを無駄にはしない)



 村人たちの冷たい視線を背に、僕たちは広場を後にした。

 焼け落ちた家々の間を抜けると、サイラスがふと立ち止まった。


 「……待て」


 彼は瓦礫に膝をつき、焦げた木材を手に取った。

 「やはりな……」

 灰にまみれた指先で、黒く焦げた板の表面をなぞる。


 「何かわかったの?」

 僕が尋ねると、サイラスは顔を上げ、険しい目で答えた。


 「火の回り方が妙だ。影の炎にしては、燃え方が均一すぎる」


 「均一?」

 ミレイアが首をかしげる。


 サイラスは頷いた。

 「影は破壊衝動そのものだ。燃やすなら無秩序に炎を広げる。だが、ここの火は狙って建物を焼いている。……人間の意志が働いている」


 彼はさらに瓦礫を探り、やがて小さな黒い札を拾い上げた。

 焦げてもなお、不気味な赤い模様が残っている。


 「これは……」

 エリシアが息を呑む。


 「術符だ」

 サイラスの声は低い。

 「影と結んだ者が使う印。つまり――この村を焼いたのは影と、それを操る人間だ」


 僕の背筋に冷たいものが走った。

 (やっぱり……死者の声が言っていた通りだ!)


 「誰が……そんなことを」

 エリシアが震える声で呟く。


 「わからん」

 サイラスは札をじっと見つめる。

 「だが、これは偶然じゃない。王都を出た我々の動きと、村の襲撃は明らかに連動している。……何者かが意図的に仕組んでいるんだ」


 ミレイアが息をのむ。

 「じゃあ……王国の中に、影と結んだ人がいるってこと?」


 「その可能性は高い」

 サイラスの目が鋭く光る。

 「影は外から来た怪物じゃない。人間の欲望と結びつき、利用されている……。だから厄介なんだ」


 彼の言葉に、僕は拳を握りしめた。

 (影はただの敵じゃない……人間が呼び込んでるんだ……!)


 「……ルカ」

 エリシアが僕を見た。

 その瞳は迷いながらも、強さを求めていた。

 「もし本当に人間が影と結んでいるなら……どうすればいいの?」


 僕は答えられなかった。

 けれど胸の奥でランプの炎が揺れ、耳の奥にかすかな囁きが届いた。


 ――暴け。

 ――影と人との繋がりを。


 その声に、僕はうなずいた。

 「……必ず真実を暴く。たとえ誰が相手でも」



 夕暮れの光が、焼け跡の村を赤く染めていた。

 崩れた屋根や黒焦げの柱の影が、まるで亡霊のように立ち尽くしている。


 僕たちは村の外れに立っていた。

 荷を整え、街道へ戻るために足を踏み出そうとしている。


 「……いいのか?」

 サイラスが問いかける。

 「ここに留まれば、まだ手助けはできる」


 エリシアは振り返り、村の残骸を見つめた。

 抱いていた子どもは、いつの間にか眠っていた。

 「……でも、今の私の声は届かない。ここに残っても、民は王女を信じてくれない」


 その言葉は苦く、けれど冷静だった。


 「だからこそ……先に進むの。影と人の繋がりを暴き、二度と同じことを繰り返させないために」


 僕は彼女の横顔を見て思った。

 それは王女の表情じゃなく、一人の少女の決意だった。

 失った信頼の痛みを抱えながらも、それでも前を向こうとしている。


 「エリシア……」

 僕は小さく呼んだ。

 「僕も一緒に行く。墓守として、無念の声を伝えるために」


 「もちろん私もよ」

 ミレイアが微笑んでうなずく。

 「光が闇に届くまで、歩き続ける」


 クロが「ワン!」と吠えて、街道の方へ走り出した。


 サイラスが地図を広げる。

 「次の目的地はノアリア遺跡だ。その前に南の村をいくつか通ることになる」

 彼の目は鋭いが、その奥には強い使命感があった。

 「影の真実を追うなら、そこが最も近い道だ」


 僕たちは顔を見合わせ、うなずき合った。


 背後では、まだ煙が細く空へ昇っていた。

 その煙は、村人たちの怒りと悲しみの象徴のように見えた。


 「……必ず戻る」

 エリシアが小さく呟いた。

 「その時は、信じてもらえるように」


 誰に届くこともない言葉だったけれど、確かに誓いだった。


 僕たちは街道へ足を踏み出した。

 焼け跡の村を背に、影と人の闇を暴くための旅が、また一歩進む。


 その時、耳の奥に冷たい声が忍び込んだ。


 ――これが始まりにすぎぬ。

 ――墓守よ、さらなる血と涙を見届けよ。


 僕は奥歯をかみしめた。

 (……見届けるだけじゃない。守るんだ。絶対に!)

 焼け落ちた村で、影と人間の繋がりが浮かび上がりました。

 信じてもらえない悔しさの中で、エリシアはそれでも前を向く決意を固めます。

 次回、第23話「信じられぬ声」で、その痛みがさらに彼女を試すことになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ