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第21話 旅の始まり

 夜の闇がゆっくりとほどけ、東の空が淡い朱に染まり始めていた。

 森を抜けた街道には朝露が降り、草の葉先で小さな光がきらめいている。

 冷たい風が頬をなで、心臓の奥が少しだけ軽くなる。


 「……出発の朝、か」

 僕は胸に抱えたランプを見下ろした。炎は小さいけれど、確かに揺れている。


 背後では、エリシアが外套を整えていた。昨日までの重苦しい顔は少し和らぎ、どこか決意の色が宿っている。

 「子どもは?」

 「眠ってる。……きっと安心してるんだわ」

 彼女は背に負った幼子をそっとあやしながら答えた。その声は疲れていたけど、不思議と凛としていた。


 「おーい、そろそろ行こうぜ!」

 サイラスが杖を肩に担ぎ、退屈そうにあくびをする。

 黒犬のクロが先に走り出し、街道を元気に駆けていった。


 ミレイアは聖具を胸に抱き、朝日に祈りを捧げている。

 その横顔は清らかで、どこか安心を与えてくれる光をまとっていた。


 「行くぞ、ルカ」

 彼女がにっこりと笑って言う。

 その笑顔に押されるように、僕も大きくうなずいた。


 「うん……行こう!」


 石畳の街道を踏みしめる。

 靴底に伝わる感触が、これまでと違っていた。

 昨日までは逃げるため、あるいは必死に戦うために走ってきた。

 でも今は――自分の足で、新しい旅へ踏み出している。


 背後を振り返ると、森の向こうに王都の城壁がかすかに見えた。

 あの街で流れた血と涙。

 エリシアが絶望に沈み、それでも立ち上がった日々。

 すべてを置き去りにすることはできないけれど、もう戻ることもできない。


 「ここからが本当の旅なんだ……」

 僕は小さくつぶやいた。


 朝日が顔を照らす。

 その光は暖かく、けれどどこか背中を押すような強さを持っていた。



 朝日が街道を黄金色に染めていく。

 冷え切っていた空気も少しずつ温かみを帯び、歩く足取りが軽くなってきた。


 「ほら、ごはんだよ」

 エリシアは背負っていた子どもをおろし、持参した干しパンをちぎって手渡した。

 眠そうに目をこすっていた子は、もぐもぐと口いっぱいにほおばる。

 その様子を見て、エリシアも小さく笑った。

 「ちゃんと食べられるのね……よかった」


 僕はその横顔を見て思った。

 昨日まで絶望に沈んでいた人と同じとは思えない。

 やっと彼女の中に「王女ではなく、一人の人間」としての表情が戻ってきた気がした。


 「んーっ、朝から歩きっぱなしはこたえるなぁ」

 サイラスが伸びをしながらぼやく。

 「学者ってのは本来、机に向かって本を読むのが仕事なんだ。……旅人になるつもりはなかったんだがな」


 「でも、あなたがいなければ私たちは影のことを知らずに動いていたわ」

 ミレイアが微笑みながら返すと、サイラスは気まずそうに咳払いした。

 「……まあ、多少は役に立ってるってことだな」


 黒犬のクロが「ワン!」と元気に吠え、街道を駆け出した。

 鼻をひくひくさせ、草むらに顔を突っ込んでは何かを探している。

 その姿に僕は思わず笑った。

 「クロ、完全に案内役だね」


 「ほんと。頼もしいわ」

 エリシアが子どもの髪をなでながら言う。


 旅の空気の中で、小さな日常があった。

 笑い合う声、子どもの食べる音、クロの元気な足音。

 それはほんの一瞬のことかもしれない。

 けれど、王都の混乱や影の惨劇を経験した僕たちにとっては、何より貴重な時間だった。


 「……いいね」

 思わずこぼした僕の言葉に、ミレイアが首をかしげる。

 「何が?」


 「こういう普通の時間。みんなで歩いて、話して、笑って……」


 ミレイアはふっと優しく笑った。

 「そうね。だからこそ、守りたいんだと思う」


 その言葉に僕は強くうなずいた。

 ランプの炎が胸の奥で小さく揺れる。

 (この光で、みんなの“日常”を守りたい……)



 街道を進むうちに、太陽は高く昇り始めていた。

 青空の下、鳥の群れが飛び去っていく。

 けれど僕の胸の奥は、どこかざわざわしていた。


 胸に抱えたランプの炎が、小さく揺れる。

 光は頼りないけれど、それでも僕を導いてくれる存在だ。

 ……だけど。


 (僕は……本当に自分の意思で歩いてるのかな)


 耳の奥に残る囁きがよみがえる。

 ――守れ。

 ――捨てろ。

 ――導け。


 影の戦いのたびに聞こえてきた声。

 その導きがなければ僕は戦えなかった。

 けれど、それは同時に僕の行動すべてが“声に操られているだけ”なんじゃないかという不安でもあった。


 「……ルカ?」

 隣から声をかけられ、はっと顔を上げる。

 ミレイアが心配そうに僕を見ていた。


 「顔色が悪い。疲れた?」

 「いや……そうじゃない。ただ……」

 言葉を探すけれど、うまく出てこない。


 彼女は足を止め、まっすぐ僕を見つめた。

 「声のこと、考えてたんでしょ」


 図星だった。

 僕は思わずうつむく。


 「声が導いてくれなきゃ戦えない……。でも、そのせいで僕は自分で選べてない気がするんだ」

 胸の奥の不安を吐き出すと、ミレイアは静かにうなずいた。


 「わかるよ。怖いよね。けど、忘れちゃいけないのは――声はただの道具だってこと」


 「道具……?」


 「そう。剣も、盾も、光も。使う人がどう使うかで意味が変わる。声だって同じ。導きをどう受け取るかは、ルカ次第よ」


 彼女の言葉に、胸の奥の重さが少し和らいだ。

 (僕次第……か)


 クロが前方で吠え、しっぽを振って僕たちを振り返る。

 エリシアも歩みを止め、子どもを抱き直して笑った。

 「行きましょう。影に負けてなんていられないわ」


 その姿を見て、僕は小さく息を吐いた。

 (僕が選ぶんだ。この声を、どう使うかを)


 ランプの炎が揺れ、心の奥で小さな決意が芽生えていく。



 昼近くになり、僕たちは街道脇の木陰で一休みしていた。

 涼しい風が吹き抜け、枝の葉をさらさらと揺らしている。

 子どもはエリシアの腕の中で気持ちよさそうに眠っていた。


 「ふぅ……」

 水筒の水を飲んでひと息ついたサイラスが、ふと口を開く。

 「しかし、王都を離れてまだ数日だというのに……よくここまで持ちこたえたな」


 「私が?」

 エリシアが首をかしげる。


 「そうだ。王女としての重圧を背負いながら、仲間と並んで歩いている。その姿はなかなか興味深い」

 サイラスは口元に笑みを浮かべ、観察するような目を向けた。


 エリシアは少しだけ目を伏せた。

 「……王女としての私は、民に信じてもらえなかった」

 その声はまだ震えていた。


 けれど、次の言葉はしっかりと響いていた。


 「だから私は決めたの。王女としてじゃなく、一人の仲間として歩むって」


 僕とミレイアは顔を上げた。


 「王女としての力がなくても、隣で剣を握れる。声が届かなくても、共に戦える。……それが私の選んだ道」


 瞳は真っ直ぐで、昨日までの迷いはそこにはなかった。


 僕は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 「エリシア……」


 彼女はにっこり笑い、剣の柄に手を添えた。

 「だから、これからは仲間の一人として呼んで。王女じゃなくて……エリシア、と」


 「……ああ、もちろん!」

 思わず強くうなずく。


 ミレイアも柔らかく微笑んだ。

 「仲間としてのエリシア。私も歓迎するわ」


 クロが「ワン!」と吠えて、前足をぴょんと跳ね上げる。

 その仕草はまるで「賛成!」とでも言っているようだった。


 その光景を見て、サイラスは小さく笑った。

 「なるほど……これでようやく“旅の一団”として形が整ったようだな」


 昼の光に照らされながら、僕たちは笑い合った。

 王都を離れて初めて、心からの結束を感じた瞬間だった。



 休憩を終えると、サイラスが大きな地図を取り出した。

 羊皮紙に描かれた道筋は細かく、折り目だらけで何度も使い込まれているのがわかる。


 「さて……これから先の道について話しておこう」

 彼は杖で地図の一点を指し示した。


 「ここから南へ向かうと、二日の行程で“ロンダの村”に着く。食料や情報を得るにはちょうどいい拠点になる」


 僕とエリシアは地図を覗き込み、うなずいた。

 「村……普通に人が暮らしてる場所だよね」

 「そうだ。だが安心はするな」

 サイラスの声は冷静だ。

 「影の気配は王都だけに限らない。地方にもじわじわと広がっている。村も例外ではない」


 ミレイアが口を開く。

 「じゃあ、ロンダで影が出たら……私たちが止めるのね」


 「その通り」

 サイラスは頷き、次に地図の奥を指差した。


 「そしてさらに南へ進むと、“古代遺跡ノアリア”がある」


 「古代遺跡……?」

 僕は思わず声を上げた。


 「そうだ。数百年前の王国建国以前から存在すると言われる遺跡だ。そこには墓守と王家の契約に関する記録が眠っている可能性が高い」


 エリシアの瞳が大きく揺れる。

 「墓守と……王家……」


 「契約が本当にあるのなら、それを知ることで未来の選択が変わるかもしれん」

 サイラスの声は淡々としているけれど、その目は真剣だった。


 僕はごくりと唾を飲み込む。

 (墓守と王家の契約……やっぱり僕はそのために呼ばれたのか?)


 ランプの炎が胸で小さく揺れた。


 「ロンダの村を経由してノアリアへ。これが我らの次の目的地だ」

 サイラスは地図を畳み、腰に収めた。


 「なるほど……」

 エリシアは剣の柄に手を添え、真剣な表情でうなずく。

 「影に怯える人々を放ってはおけない。村を守り、そして真実を探しましょう」


 その言葉に、僕も強くうなずいた。

 「うん……僕も知りたい。この声の正体を」


 クロが吠え、道の先を駆けていく。

 まるで「早く行こう」と急かしているように。


 僕たちの胸に、それぞれの決意が灯っていた。



 僕たちが南へ向かって歩みを進めているそのころ。

 街道から少し離れた林の影で、別の足音がひっそりと動いていた。


 「……あれが墓守の一団か」

 低い声が闇の中に漏れる。


 木々の隙間から覗く視線の先に、僕たちの姿があった。

 エリシアが子どもを抱き、ミレイアが祈りを捧げながら歩く。

 クロが先を走り、サイラスは冷静に道を指示している。

 その真ん中で、僕はランプを胸に抱えていた。


 「ちっぽけな炎に見えるが……影が恐れるのも無理はないな」

 声の主は、顔を布で覆った密偵の一人だった。


 彼らは五人。

 王都の裏門から送り出された、カイエン卿の配下である。


 「殿の命はひとつ。――墓守の少年を葬れ」

 先頭の男がそう告げると、仲間たちは黙ってうなずいた。


 「どうやって近づく?」

 「村に入るのを待つのがいいだろう。人混みに紛れれば、狙いやすい」

 「影の力も借りられる……あの方はそう仰っていた」


 囁き声が闇に溶け、林の中を漂う。


 クロが立ち止まり、こちらを振り返って吠えた。

 「ワンッ!」


 僕たちは何事かと振り返ったが、林の中を警戒しても何も見えなかった。

 エリシアが眉をひそめる。

 「今、何か……?」

 「いや、気のせいかも」

 僕は首を振った。


 けれど、背筋には冷たいものが走っていた。

 (誰かに見られている……?)


 林の中で密偵たちは息を潜め、じっと待っていた。

 「ふん……犬に気づかれたか。だが、今は動く時ではない」

 「南の村……ロンダで仕掛ける」


 彼らの目に宿るのは、冷たい殺意。

 王都を離れたばかりの僕たちに、その危険はまだ知らされていない。


 新しい旅路の先に、確実に影が迫っていた。



 午後になり、街道はなだらかな丘へと続いていた。

 僕たちは坂を登りきり、ようやくその頂に立つ。


 「わぁ……」

 エリシアが思わず息をのんだ。


 目の前には広大な景色が広がっていた。

 遠くには青く連なる山々。

 その手前に、いくつもの村や畑が点在しているのが見える。

 陽光に照らされて輝く川が流れ、白い鳥が群れを成して飛んでいた。


 王都で血と影にまみれた日々を過ごした僕たちにとって、その景色は眩しすぎるほど希望に満ちていた。


 「ここからが……本当の旅の始まりね」

 エリシアが剣の柄を握りしめ、静かに言った。

 その横顔は決意に満ち、もう“王女”ではなく“仲間”の表情だった。


 「うん」

 僕もランプを胸に抱き直す。

 「守るだけじゃなく、真実を探す旅だ」


 ミレイアが頷き、サイラスは口元に笑みを浮かべた。

 クロはしっぽを振りながら丘を駆け下り、先導するように吠える。


 「ワンッ!」


 そのとき、耳の奥に囁きが響いた。


 ――墓守よ、選択の旅が始まる。


 (選択の……旅)


 声は冷たくもあり、どこか背中を押すようでもあった。

 胸の奥が熱くなり、僕は拳を握る。


 「行こう。未来を変えるために」


 仲間たちと共に歩みを進める。

 丘を越えたその先には、影に潜む危機も、まだ知らない真実も待っている。

 けれど、それでも――僕たちは進む。


 新しい旅の始まりを告げるように、風が背中を押してくれていた。

 仲間として一つにまとまったルカたちは、ついに本格的な旅へと出発しました。

 その影ではカイエン卿の刺客が迫り、危険はすでに目前まで来ています。

 次回、第22話「焦土の村」で、新たな試練が待ち受けます。

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