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第18話 囁きの真実

 夜明け前の森は、しんと静まり返っていた。

 湿った草の匂いと、かすかに残る焚き火の煙が混じり合い、冷たい風に流されていく。


 昨日の戦いで傷ついた体を休めるため、僕たちは森の外れに野営をしていた。

 エリシアは背に子どもを抱いたまま浅い眠りについている。

 ミレイアは聖具を胸に抱き、木の根に寄りかかって目を閉じていた。

 クロは丸くなり、時折ぴくりと耳を動かす。


 ――そんな静かな朝に、僕だけは目を覚ましていた。


 炎が消えかけた焚き火のそばで、ランプを手にしてぼんやりと眺めていると、不意に声がした。


 「眠れぬか、少年」


 顔を上げると、サイラスが木の根に腰を下ろしていた。

 昨夜の傷はまだ癒えていないはずなのに、背筋は伸びていて、視線は鋭い。


 「……あまり眠れなくて」

 僕は素直に答えた。死者の声が、まだ頭に残っていたから。


 サイラスは焚き火に小枝をくべ、ぱちぱちと音を立てさせながら口を開いた。

 「ルカ……君だな。墓守と呼ばれる者は」


 「……墓守?」

 僕は思わず聞き返した。


 「そうだ。古い伝承にある。死者の声を聞き、未来を導く者。王国の歴史に、時折その名が記されている」


 胸が強く打たれた。

 死者の声を聞く自分の力――その呼び名を、初めて他人の口から聞かされた。


 「待ってください」

 ミレイアが目を開け、こちらを見た。

 「墓守……? そんな役割、本当にあるんですか」


 エリシアも目を覚まし、顔色を変えて身を起こした。

 「今、なんて……?」


 サイラスは静かに頷いた。

 「墓守は、決して作り話ではない。千年にわたる記録に、確かに存在している」


 僕はランプを強く抱きしめた。

 (やっぱり……僕はただの偶然じゃなかったんだ。この声には、理由があったんだ)


 森の冷たい空気の中で、焚き火の火がぱちぱちと揺れていた。

 その音がやけに大きく聞こえるほど、僕たちは言葉を失っていた。



 サイラスは外套の内側から分厚い本を取り出した。

 革表紙はすり切れ、角は丸くなっている。何度も読み返された古い記録書だとすぐにわかった。


 「これは私が集めてきた古代の記録だ。王国の正史には載らない、忘れられた出来事や人々の証言が書かれている」

 サイラスはゆっくりとページをめくり、黄ばんだ紙に刻まれた古文字を指でなぞった。


 「ここに“墓守”という言葉がある。――『死者の声を聞き、未来を導く者』と記されている」


 「……未来を導く?」

 思わず声が漏れた。


 「そうだ。彼らはただ死者の声を伝えるだけではなかった。声を糧にして、人々を正しい道へ導こうとした。ある時は王を助け、ある時は国を止める役目を果たしたと記録にある」


 焚き火の火がぱちぱちと爆ぜ、僕の心臓も同じリズムで早鐘を打っていた。

 (導く……僕が? そんな大それたこと……)


 エリシアが驚いたように僕を見た。

 「じゃあ……ルカはただ“声を聞くだけ”じゃなくて……」


 サイラスが代わりに答える。

 「選び、導く存在だ。墓守は、歴史の岐路に立ち、人々を未来へと導くために現れる」


 僕は喉がからからになった。

 昨日まで「死者の声に振り回されるだけの少年」だと思っていた。

 でも本当は――「未来を決める役割」を背負っている?


 「そんな……僕にそんな力があるわけない!」

 気づけば声を荒げていた。


 サイラスは首を横に振る。

 「力があるかどうかじゃない。選ぶのは君の意志だ。声は道を示すが、歩くのは墓守自身だ」


 エリシアはぎゅっと拳を握りしめていた。

 「……墓守が未来を導く……そんな存在が本当にいるなら、私は信じたい」


 ミレイアは目を細め、焚き火の火を見つめながらつぶやいた。

 「なるほど……だからルカは“声”に苦しめられながらも、時に救いを与えられるのね」


 僕はうつむき、膝の上のランプを見つめた。

 小さな炎が、これから歩むべき道を照らしているように思えた。



 焚き火の炎が小さく揺れて、赤い光が僕たちの顔を照らしていた。

 その炎を見つめながら、僕は思い切って口を開いた。


 「……サイラス。僕に聞こえる声はね、いつも同じじゃないんだ」


 彼は静かにうなずいた。

 「どういうことだ?」


 「あるときは冷たくて……人を突き放すような囁き。『血は止まらぬ』とか、『宿命だ』とか。聞いているだけで心が凍る」

 思い出すだけで背筋が震える。

 「でも別のときは、導いてくれるんだ。『影の胸を狙え』とか、『守れ』とか……。まるで誰かが一緒に戦ってくれてるみたいで」


 ミレイアが頷いた。

 「確かに。あのときのルカは、声のおかげで私たちを導いてくれた」


 サイラスは顎に手を当て、興味深そうに僕を見つめた。

 「ふむ……なるほど。だとすれば、声は一つの存在ではないな」


 「え?」

 僕は思わず聞き返した。


 「死者の声は、数えきれないほどある。墓に眠る人、戦場で倒れた人、国に見捨てられた人……。そのすべてが君に届いている。だから時に矛盾し、正反対の言葉を囁くんだ」


 「……複数の声……」

 心臓がどくんと跳ねた。確かに思い当たる。

 戦いの最中、『守れ』と『斬れ』が同時に響いたこともあった。


 「じゃあ、僕に囁いてくるのは……死者みんなの想い?」


 「その通りだ」サイラスは真剣な目で言った。

 「彼らは未練を残し、怒り、悲しみ、希望を抱いて消えた魂たち。君はそのすべてを“聞いてしまう”」


 「そんな……全部なんて……!」

 胸がぎゅっと締めつけられる。

 あまりに多すぎる声を受け止めれば、心が壊れてしまう。


 ミレイアがそっと僕の肩に手を置いた。

 「大丈夫。ルカは全部を信じなくていい。必要な声だけを選べばいいのよ」


 「選ぶ……」


 サイラスも深くうなずいた。

 「声は道を示すだけだ。どれを選び、どう進むかは墓守である君の意志に委ねられている」


 僕はランプを見下ろした。炎が小さく揺れ、心臓の鼓動と重なる。

 (全部に従うんじゃなくて……僕が選ぶ。僕の意志で)


 ほんの少しだけ、胸の重さが軽くなった気がした。



 焚き火の炎が落ち着きを取り戻したころ、サイラスは本を閉じて静かに言葉を継いだ。


 「墓守の記録を追っていくうちに、もう一つわかったことがある。……それは王家との関係だ」


 「王家……?」

 エリシアの声がぴんと張り詰める。


 サイラスは頷き、真剣な目で彼女を見た。

 「古代の書にはこうある。――『王の代替わりのとき、必ず墓守が現れる』」


 「代替わり……?」

 ミレイアが眉をひそめた。


 「そうだ。王国の歴史を振り返ると、時代の転換点――戦乱や王位継承の危機には、必ず“墓守”が関わっていた。死者の声を伝え、その導きが新しい時代を開いたと記されている」


 僕は息をのんだ。

 (じゃあ……僕が墓守として現れたのは、偶然じゃない……?)


 エリシアは小さく震えながら口を開いた。

 「つまり……今、父上の代にも墓守が現れた。そういうこと……?」


 サイラスは静かに頷いた。

 「無関係とは言えまい。王国に大きな変革が迫っている。その渦中に墓守が現れたのは必然だろう」


 「……っ」

 エリシアの顔色が青ざめた。


 僕は慌てて言葉を探す。

 「待ってよ、エリシア。まだ“必ずそうだ”って決まったわけじゃ……」


 「いいえ」

 彼女は首を振った。

 「私、わかってしまったの。――あの日、父上の背後で影が動いたときから」


 玉座の間で見た惨劇。

 父王の背後に渦巻いた影。

 取り憑かれた重臣の刃。


 あの光景が、エリシアを縛っているのだ。


 「王家と影……そして墓守。全部がつながっている。もしそうなら……私はどうすればいいの?」


 彼女の声は震え、炎の明かりの中でその瞳が揺れていた。

 ミレイアがそっと手を伸ばし、エリシアの肩に触れる。

 「大丈夫。全部を背負う必要はないわ。……今はまだ」


 僕も拳を握りしめた。

 (王家と墓守……そんなつながりがあったなんて。でも、それでも……エリシアに全部を押しつけるわけにはいかない)


 サイラスは焚き火を見つめたまま、低い声で告げた。

 「真実を知るには、まだ旅を続けるしかない。墓守と王家の因縁……その答えは、これから明らかになるはずだ」



 サイラスの言葉が、僕の胸の奥で重く響いていた。

 墓守と王家はつながっている――。

 それはエリシアにとって耐えがたい真実であり、僕にとっても逃げられない運命のように思えた。


 静寂を切り裂くように、また声が囁いた。


 ――王家を守れ。

 ――王家を捨てろ。


 真逆の言葉が同時に響き、頭の奥をかち割られるような痛みが走る。


 「うっ……!」

 思わず頭を抱え、膝をついた。


 「ルカ!?」

 エリシアが駆け寄り、肩を支える。

 ミレイアも慌ててそばに来た。


 「声が……また……」

 かすれた声で答えると、エリシアの表情が揺れる。


 ――守れ。お前の使命は王家を守ることだ。

 ――捨てろ。王家は血で民を裏切ってきた。滅びを見届けろ。


 左右から同時に叫びを浴びせられるみたいで、耳が張り裂けそうだった。

 (やめろ……! どっちも信じられない!)


 「ルカ!」

 エリシアの声が焦りで震えている。


 そのとき、サイラスの低い声が焚き火の向こうから響いた。

 「選ぶのは声じゃない。君自身だ」


 「え……」

 顔を上げると、サイラスの鋭い目がまっすぐ僕を射抜いていた。


 「墓守は、死者の声を聞くだけの存在じゃない。導く者だ。矛盾する声が届くのは当然だ。その中から何を選ぶか――それが墓守の責任だ」


 「……僕が……選ぶ……」

 呟いた瞬間、胸の奥で鼓動が強く打った。


 「ルカ!」

 エリシアが必死に僕の手を握る。

 「私は……あなたに守られた。だから私も、あなたを信じたい」


 ミレイアも膝をつき、静かに言った。

 「声に惑わされないで。大事なのはルカの心。あなたがどうしたいかよ」


 仲間の声が耳に届いた瞬間、冷たい囁きが少しずつ遠のいていった。

 (そうだ……選ぶのは僕だ。死者の声じゃない。僕自身の意志で決めるんだ……!)


 震える体を必死に支えながら、僕は立ち上がった。

 焚き火の炎が大きく揺れ、僕の影を長く伸ばしていた。



 焚き火の赤い炎が、夜の闇に小さく揺れていた。

 頭の奥に響いていた冷たい囁きは、まだ完全には消えていない。

 けれど――代わりに別の声が耳に届いていた。


 「ルカ」

 ミレイアが僕の名を呼んだ。

 彼女の手が肩に触れる。その温もりは、死者の声よりも確かな現実だった。


 「あなたの声は、死者のものじゃない。私たちに届いたのは、ルカ自身の言葉よ」


 「僕の……声?」


 「そう。影の中で戦ったとき、あなたが『胸を狙え』って叫んだでしょ? あれは死者の声そのままじゃない。あなたが聞いた声を“言葉にして”、私たちに伝えてくれたの」

 ミレイアはまっすぐ僕を見つめる。

 「だから私たちは動けた。救えた。あれはルカの力だよ」


 胸の奥がじんと熱くなる。

 (僕の……言葉……)


 「私も信じてる」

 今度はエリシアが前に出てきた。

 彼女はぎゅっと拳を握りしめ、僕を見つめた。

 「父上を守れたのは、あなたの声のおかげ。だから私は……あなたを信じたい。王女としてじゃなく、一人の仲間として」


 「……エリシア……」


 涙でにじんだその瞳は、本気でそう言っているのが伝わってきた。

 僕の心にからみついていた黒い鎖が、少しずつほどけていく気がした。


 クロが「ワン」と短く吠え、僕の足元に寄り添う。

 その仕草も「大丈夫だ」と言っているようだった。


 ――守れ。導け。

 耳の奥にまた声がした。けれどそれは冷たい囁きじゃない。

 仲間の言葉と混じり合い、やわらかく響いてきた。


 「……うん。僕は、みんなを守る。声に振り回されるんじゃなくて、自分の意志で」


 ランプの炎を掲げると、焚き火の光と重なって夜を照らした。

 その小さな明かりの中で、仲間の顔がはっきりと見える。

 ――僕は一人じゃない。



 夜が深まっていった。

 森を吹き抜ける風が冷たく、焚き火の炎を揺らす。

 仲間たちはそれぞれ横になり、静かな寝息が聞こえていた。


 エリシアは子どもを抱いたまま眠っている。

 ミレイアも聖具を胸に置き、疲れ切った顔でうとうとと揺れている。

 クロは僕の足元で丸まり、寝息を立てていた。


 眠れなかったのは――サイラスと僕だけだった。


 サイラスは焚き火の前に腰を下ろし、例の分厚い本を開いていた。

 彼の横顔は炎に照らされ、影が深く落ちている。


 「……墓守」

 低い声でつぶやいた。


 僕は寝たふりをしながら耳を傾けた。

 サイラスの独り言は、焚き火の音に混じって静かに続いていく。


 「墓守は契約を背負う者……千年もの昔から続く、王国の罪と共に」


 ――契約? 罪?


 僕の胸にざわめきが走った。

 サイラスの声は誰かに語りかけるようでもあり、自分自身に言い聞かせているようでもあった。


 「王が血を継ぐたびに、墓守が現れる。……それは偶然ではない。むしろ、王家そのものが墓守を縛っているのかもしれん」


 ぱち、と火の粉が舞った。

 僕は思わず目を閉じ、眠っているふりをした。


 (王家が……墓守を縛ってる? 千年の契約……?)


 胸の奥が重くなる。

 けれど体は動かせなかった。

 眠気ではなく、恐怖で。


 ――墓守。お前の選択が未来を変える。


 耳の奥で、また声が響いた。

 それが死者の声なのか、それとも自分の心の声なのか、もうわからない。


 僕はランプを胸に抱え、震える手で炎を隠すように握りしめた。


 (契約……罪……。僕は何を背負わされてるんだ?)


 森の闇が一層濃くなり、焚き火の光だけが頼りなく揺れていた。

 その夜、僕の眠りは訪れなかった。

 ルカは「墓守」が王家と千年の契約で結ばれていることを示唆されました。

 仲間の支えで恐怖を乗り越える一方、真実はさらに深い闇に包まれていきます。

 次回、第19話「王女の誓い」で、エリシアが仲間としての決意を新たにします。

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