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第17話 仲間を試す影

 焼け落ちた村をあとにして、僕たちは北の街道を歩いていた。

 風に混じる焦げ臭さはまだ残っていて、昨日見た地獄が頭から離れなかった。


 「はぁ……」

 思わずため息がもれる。

 エリシアは子どもを背負い、まっすぐ前だけを見て歩いていた。

 ミレイアはその横で祈るように聖具を胸に抱いている。


 クロだけはいつものように元気に前を走り、草むらに鼻を突っ込んでいる。

 その姿だけが、少し僕らの気持ちを救っていた。


 けれど――その日、もう一つの出会いが待っていた。


 昼をすぎ、森の手前の街道脇で休憩をとっていたときだった。

 クロが耳をぴくりと動かし、突然うなった。


 「グルル……」


 「また敵!?」

 エリシアが剣に手をかけ、周囲を見回す。


 草むらの奥から、ひとりの旅人が現れた。

 ぼろぼろの外套を羽織り、杖のような棒をつき、腕には分厚い本を抱えている。

 黒髪に白いものが混じった中年の男で、目は鋭いけど笑っているようにも見えた。


 「……これは失礼。驚かせるつもりはなかった」

 男は穏やかな声でそう言った。


 エリシアはすぐに警戒する。

 「何者ですか。ここは通行止めです」


 「いやいや、私はただの旅の学者だよ。サイラス、と名乗っておこう」

 男――サイラスは軽く会釈し、抱えていた本を胸に押さえた。


 ミレイアが小声でつぶやく。

 「……魔術書?」


 サイラスはにこりと笑った。

 「影の研究をしていてね。このあたりに不穏な気配があると聞いたから、調べに来たんだ」


 その言葉に、僕の心臓がどくんと跳ねた。

 影を研究? そんな人が本当にいるのか?


 「影の……研究?」

 思わず口に出してしまった。


 「そう。影の正体、弱点、歴史……知れば知るほど恐ろしく、そして興味深い存在だ」

 サイラスの目が光った。その瞳は学者らしい好奇心にあふれていたが、どこか怪しくも見えた。


 「近づかないで」

 エリシアが剣を抜き、僕の前に立つ。

 「影を語る者を信じるわけにはいかない」


 サイラスは肩をすくめた。

 「まあ当然だろう。信用されなくて当たり前だ。だが……君たちも影と戦っているんじゃないのか?」


 僕は息をのんだ。

 (なんでわかるんだ……?)


 そのとき、耳の奥にいつもの声を待った。

 ――だが、何も聞こえなかった。


 静かすぎて逆に怖い。

 (声が……何も囁かない? 影のときは必ず聞こえたのに……)


 エリシアはサイラスをにらみ続け、ミレイアは観察するように黙っていた。

 そして僕は――声がしないことに、不気味な不安を覚えていた。



 サイラスと名乗った男は、外套の裾を払いながらゆっくりと腰を下ろした。

 抱えていた分厚い本を膝に置き、にやりと笑う。


 「さて……少し話をしてもいいかな? 私は影のことを調べている。影に触れ、影に襲われ、そして影に抗った者たちの記録を集めている。もし君たちが影と戦っているのなら、きっと互いに助け合える」


 その言葉に、エリシアはすぐさま反発した。

 「助け合う? 影を語る人間をどうして信用できるの? 昨日、村が焼かれたのを見たばかりよ。影を知っている人間が味方だなんて思えない」


 彼女の剣先がサイラスの胸元に突きつけられる。

 だがサイラスは眉一つ動かさず、むしろ楽しそうに笑った。


 「はは。警戒心が強いのはいいことだ。王女殿下、君は正しい。だが信じる信じないは行動を見てからでいい。口先だけで信用しろとは言わないさ」


 その余裕ある態度が、逆に怪しく見えた。

 僕はランプを握りしめ、心の中でつぶやく。

 (どうして声が囁かないんだ……? 危険なら警告してくれるはずなのに……)


 ミレイアがそっと口を開いた。

 「あなた、影のことをどこまで知っているの?」


 サイラスは分厚い本を軽くたたきながら答える。

 「千年前から記録がある。影は人の心を食らい、時に国を滅ぼす。王都での惨劇も耳に入っている。だからこそ私は調べているんだ。――影をどうすれば断ち切れるのかを」


 「……!」

 僕の胸が大きく跳ねた。

 (断ち切る……? もし本当にそんな方法を知っているなら……!)


 けれどエリシアは首を横に振る。

 「そんな言葉に騙されない。影をよく知るということは、影に近づいている証拠よ。利用される危険だってある」


 サイラスは否定しなかった。

 ただ焚き火に手をかざし、淡々と告げた。

 「君たちの旅路に加われば、役に立つことを証明してみせよう。……どうだ、試してみないか?」


 僕は息を飲んだ。

 (行動で証明……。でも、それまでに裏切られたら?)


 耳を澄ましても、やはり声は聞こえない。

 その沈黙が、余計に不気味だった。



 その夜。

 僕たちは森の外れで焚き火を囲んでいた。

 昼間に出会ったサイラスは、当然のように隣に座り、分厚い本を広げて古代語をつぶやいていた。


 エリシアは背を向け、眠ろうと必死に目を閉じている。

 けれど体はこわばっていて、寝息どころか小さな動きすら警戒しているのがわかった。


 ミレイアは火の番をしながら、ちらちらとサイラスの様子をうかがっていた。

 クロは僕の膝にあごをのせ、じっと相手を監視している。


 ……安心しているのは誰一人としていなかった。


 僕は眠れずに空を見上げていた。

 星が枝の隙間からきらきらと見えるのに、胸は重く沈んでいた。


 そのとき――耳の奥に、冷たい声が落ちてきた。


 ――あの男は裏切る。

 ――墓守を利用している。

 ――仲間にしてはならない。


 「……っ!」

 心臓がどくんと跳ねた。

 (やっぱり……! 声が何も言わないと思ったのに、今になって……!)


 焚き火の向こうで本をめくるサイラスの姿が、途端に怪しく見えてくる。

 光に照らされた顔は静かで、むしろ落ち着いている。

 だけどその落ち着きこそ、何かを隠している証拠のように思えてしまう。


 ――切れ。

 ――その男は災いを呼ぶ。


 さらに鋭い囁きが突き刺さる。

 「やめろ……」

 小さく声に出してしまった。クロが不思議そうに首をかしげる。


 (本当に……仲間にしちゃいけないのか? でも、もし彼の言うことが本当なら……)


 迷いが渦を巻く。

 声を信じるべきか。

 それとも自分の目を信じるべきか。


 サイラスがふと顔を上げた。

 「眠れないのかね、少年」


 「……!」

 ドキッとして体が硬直した。まるで心を読まれたみたいに。


 「無理もない。今日見たものは、君の心に重く残っているだろうから」

 彼の声は落ち着いていて、焚き火の火に混じって妙に優しく響いた。


 ――騙されるな。

 ――その声は偽りだ。


 耳の奥の囁きと、目の前の穏やかな声。

 どちらを信じればいいのかわからない。


 僕は膝に置いたランプを強く握った。

 (もし……彼が本当に裏切ったら……僕が止めなきゃ)


 星明かりの下、影の囁きが夜をさらに深くするようだった。



 翌朝。

 森の中の道を進む僕たちの足取りは重かった。

 昨日から一緒にいるサイラスの存在が、仲間の間に薄い壁を作っていた。


 エリシアは一言も口をきかず、剣の柄を握ったまま先頭を歩いている。

 ミレイアは表情を崩さず、ちらちらとサイラスを観察していた。

 僕は……耳の奥の囁きがまだ残っていて、どうにも落ち着かない。


 そんなときだった。


 ――ざわっ。


 森の木々の奥で、不気味な揺れが広がった。

 クロがすぐに反応し、唸り声を上げる。


 「また……!」

 エリシアが剣を抜いた。


 黒い靄が木の間から溢れ出す。

 次の瞬間、鎧をまとった兵士の影が十体以上も姿を現した。

 目は赤黒く光り、ゆらゆらと揺れるような動きでこちらに迫ってくる。


 「くっ……数が多い!」

 僕が息をのむ。


 そのとき――。


 「下がれ!」

 サイラスが低く叫んだ。

 彼は外套の内側から一枚の巻物を取り出し、地面に広げる。


 古代語のような言葉を唱えると、巻物の文字が光り出した。

 眩しい光の紋様が地面に広がり、影兵たちの足を絡めとるように輝いた。


 「……動きが止まった!?」

 エリシアが驚きの声を上げる。


 影兵の体がぎしぎしと軋み、動きが鈍くなる。

 その隙に僕たちは体勢を立て直した。


 「お前……!」

 僕がサイラスを振り返る。

 「今の、術なのか?」


 サイラスは額に汗を浮かべながら頷いた。

 「影を封じる古代の呪だ。ただし完全じゃない……」


 言い終わる前に、影兵たちの体から黒い靄が噴き出した。

 封印の光を押し返すように膨れ上がり、兵士たちの体がひび割れる。


 「……やばい!」

 僕の叫びと同時に、影兵たちが苦悶の声をあげて暴れ出した。


 「サイラス! これは……!」

 エリシアが剣を構えながら怒鳴る。


 「封印が……効ききらなかった!」

 サイラスの声は苦しげだった。


 影兵のひとりが力づくで紋様を踏み砕き、地面を裂きながら飛びかかってきた。

 「うわっ!」

 僕はとっさにランプを振りかざした。炎が影の腕をはじく。


 しかし数が多すぎる。

 木々の間から次々と影兵が現れ、あっという間に包囲されてしまった。


 「結局……罠だったのね!」

 エリシアが叫び、サイラスをにらむ。


 彼は答えなかった。ただ苦い表情を浮かべ、再び巻物を握りしめる。


 森の中は剣と靄の音で満ち、戦いが始まろうとしていた。



 影兵たちが暴れ、森の木々がばきばきと折れていく。

 巻物から広がった光の紋はすでに砕け、足元に残っているのはただの紙切れだけだった。


 「やっぱり……!」

 エリシアがサイラスをにらみ、剣を突きつける。

 「影を操ってるんじゃないの!? 封印だなんて嘘で、本当は呼び寄せたんでしょ!」


 「違う!」

 サイラスは短く否定した。

 だがその声は落ち着いていて、逆に不気味に聞こえた。


 「じゃあどうして完全に封じられなかったの!? 村を焼いた連中と同じじゃないの!」

 エリシアの声が森に響く。

 影兵たちはその怒声に呼応するように、さらに勢いを増して迫ってきた。


 僕の耳に、また囁きが刺さった。


 ――その男を斬れ。

 ――裏切り者を、今ここで。


 「……っ!」

 頭の奥がぐらりと揺れる。

 (また声が……! 本当にサイラスを仲間にしちゃいけないのか?)


 目の前でエリシアが剣を構え、今にも飛びかかりそうな気迫を放っている。

 ミレイアでさえ眉を寄せ、判断を迷っているようだった。


 「サイラス……本当に敵じゃないの?」

 僕が必死に問いかける。


 「信じたければ信じればいい。信じられないなら斬ってもかまわない」

 サイラスは淡々とそう言った。

 その表情には恐怖も焦りもなく、むしろ試すような静けさがあった。


 ――ほら、言っただろ。

 ――お前を利用するだけの男だ。


 声が強くなる。

 (わからない……! 本当に敵なのか、それとも……!)


 影兵の一体が飛びかかってきた。

 僕は反射的にランプを振り上げ、炎で押し返す。

 熱風が髪をなで、背筋に冷たい汗が流れた。


 「ルカ!」

 エリシアが叫ぶ。

 「迷ってる暇なんてない! この男を信じるかどうか、今決めなきゃ!」


 剣の切っ先がサイラスに近づく。

 その一瞬の緊張で、森の空気が張りつめた。



 影兵の群れが迫る。

 木々の影から伸びる黒い腕が、僕の体を狙って揺らめいた。

 心臓がぎゅっと縮み、呼吸が浅くなる。


 ――その男を斬れ。

 ――裏切り者を、今ここで。


 耳の奥で声が繰り返す。

 僕は迷ったまま動けず、ただ炎を握りしめていた。


 その瞬間――。


 「危ない!」


 目の前に黒い外套が飛び込んできた。

 次の瞬間、重い衝撃音。

 影兵の爪がサイラスの胸を切り裂いた。


 「サイラス……!?」

 僕は思わず叫んだ。


 彼は血を吐きながらも踏みとどまり、僕を庇うように立ち続けていた。

 「……やはり封印は未完成だったか。だが……君は生きろ」


 その声は、落ち着いていて、それでいて力強かった。


 「なぜ……どうして僕なんかを庇ったんだよ!」

 僕の問いに、サイラスはかすかに笑った。


 「利用するなら……守る価値を示すだろう? 君が信じられないなら……行動で示すしかない」


 影兵が再び迫る。

 サイラスは力なく膝をついたが、杖を振り上げて叫んだ。

 「ルカ……君の声で導け! 影の弱点は、必ず見えるはずだ!」


 「僕の……声で……!」


 耳の奥に、別の囁きが走る。


 ――胸だ。

 ――赤い光が脈打つ場所を狙え。


 「エリシア! 胸だ! 影の胸に赤い光がある!」

 僕は全力で叫んだ。


 「わかった!」

 エリシアが飛び込み、影兵の胸を斬り裂く。

 黒い靄が爆ぜ、赤い光が消えていく。


 「右! もう一体来る!」

 「任せて!」

 ミレイアが聖具を掲げ、白い光を放った。

 影兵の体がはじけ、煙のように霧散していった。


 僕は必死に声を張り上げ、仲間を導き続けた。

 「後ろ! 左! 足元からも!」


 そのたびにエリシアとミレイアが動き、クロが吠えて飛びかかる。

 影兵は一体、また一体と倒れていった。


 「……やれる……!」

 息を切らしながらも、胸に希望がわき上がる。


 サイラスは血を流しながら、かすかに笑んでいた。

 「そうだ……君は墓守だ。ただ声を聞くだけじゃない……仲間を導けるんだ……」


 彼の言葉が、炎よりも強く僕を照らした。



 森の中に、ようやく静けさが戻った。

 斬り倒された影兵たちは黒い靄を残して霧散し、風に溶けるように消えていった。

 湿った土と焦げた匂いだけが、戦いの痕を物語っている。


 「……はぁ、はぁ……」

 僕はランプを握りしめたまま、膝に手をついて荒い息を吐いた。

 全身がまだ震えている。けれど――確かに勝てた。仲間を導けたんだ。


 「ルカ、無事!?」

 エリシアが駆け寄り、僕の肩を押さえた。

 彼女の額には汗がにじみ、頬には土がついている。それでも目は強く輝いていた。


 「うん……なんとか」

 そう答えると、クロが「ワン!」と吠えて僕の足に頭をこすりつけてきた。

 まるで「よくやった」と言ってくれているようで、胸が熱くなった。


 ふと視線を移すと、木の根元にサイラスが座り込んでいた。

 胸から血を流しているが、必死に布を巻いて止血している。

 僕たちを見上げて、苦笑を浮かべた。


 「……まったく。若い連中の力は侮れないな」


 「どうして……」

 エリシアが息を詰まらせる。

 「どうしてあんな傷を負ってまで……ルカを庇ったの?」


 サイラスは少しだけ目を細めた。

 「簡単なことさ。私は影の研究者だ。知識も術も持っているが、戦いの中で信頼を得るには、言葉より行動が必要だろう?」


 「……」

 エリシアは黙り込んだ。剣を下ろし、その手を強く握りしめる。


 ミレイアが代わりに口を開いた。

 「行動で示す……確かにその通りね。あなたのおかげで、ルカは助かった」


 サイラスは軽くうなずいた。

 「改めて名乗ろう。私はサイラス。影を追う学者。真実を知るために、そして……未来を変えるために、君たちと行きたい」


 彼の言葉に、僕は胸が大きく揺れた。

 (未来を変える……。さっきの声と同じ言葉だ……)


 沈黙が流れた。

 エリシアはまだ迷っている。けれど、彼女の剣先はもうサイラスには向けられていなかった。


 「……一度だけ信じる」

 ついに彼女は言った。

 「あなたが本当に味方かどうか、私たちと旅をする中で確かめる」


 サイラスは安堵の笑みを浮かべた。

 「それで十分だ」


 ミレイアは小さく微笑んで付け加える。

 「仲間は多いほうがいい。影と戦うなら、なおさらね」


 「……仲間、か」

 僕は小さくつぶやいた。

 サイラスを見ながら、胸の奥で確かな実感が芽生える。


 (信じるのは怖い。でも、行動を見た。命を懸けて庇ってくれた。それを無視するのは……違う)


 「サイラス……よろしく」

 僕が手を差し出すと、サイラスは迷わず握り返した。


 森の木漏れ日が、差し伸べた手を温かく照らしていた。

 サイラスが登場し、行動で信頼を示すことで仲間に加わりました。

 ルカは「声」だけでなく、自分の意志で誰を信じるか選ぶ力を学びます。

 次回、第18話「囁きの真実」で、墓守と声の関係に新たな謎が迫ります。

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