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第1話 墓地の夜

 夜の墓地は、昼間とはまるで別の場所に変わる。

 昼はただの石と草の並びにすぎないのに、月明かりに照らされた途端、そこに眠る者たちがざわざわと目を覚ましたかのように思えるのだ。


 「……また、聞こえる」


 ルカは胸に小さな油ランプを抱え、ぎゅっと息を呑んだ。

 黄色い炎はかすかに揺れ、まるで恐怖に怯える持ち主の心を映すように震えている。


 風が吹いた。冷たい夜風は、草木を擦り合わせ、墓石の間に細い音を残す。

 だが、それだけではない。

 石碑の隙間から、声が――人の言葉が――漏れてきた。


 『……裏切られた……』

 『血は、まだ……地に……』


 低く重なる囁きが、夜の丘を覆う。

 ルカの背筋を、冷たい汗が伝った。


 「う、嘘だ。……こんなの、ただの風の音だ」


 自分に言い聞かせる。だが耳は確かに“言葉”を拾っている。

 死者が語るはずのない真実を。

 胸の奥が、どくん、と脈を打った。


 (やっぱり僕にしか聞こえないんだ……!)


 幼い頃から時々感じていた。墓の近くにいると、誰かの息遣いのようなものが混じる。

 だが今夜のそれは違う。はっきりと、人の“声”なのだ。


 ランプを握る手が震える。

 走って逃げれば楽になる。けれど墓守の家に生まれた自分が、ここで逃げ出していいのか。


 ――墓守は声から目を逸らすな。


 祖父の言葉が、頭の中に響いた。

 「……っ」


 ルカは思わず立ち止まり、振り返った。

 無数の石碑が、月に照らされて白く浮かび上がる。

 どれも無表情で、けれど何かを訴えるように沈黙している。


 『……次は、北から火が来る……』


 その時、また別の声が混じった。

 まるで誰かがルカの耳元で囁いたかのように鮮明だった。


 「……!」


 ルカの心臓は跳ね、思わず一歩後ずさる。

 夜気が急に冷たく感じられ、足の先から感覚が抜けていく。

 恐怖。

 けれど同時に、理解できない興奮があった。


 (これは……未来のことを言っているのか? それとも……過去の記憶なのか?)


 考えれば考えるほど、頭が混乱する。

 亡者の声を聞くなんて、気が狂ったと言われても仕方がない。

 けれど、この声を無視してしまったら――。


 「僕は……墓守だ。聞かなきゃ……」


 自分に言い聞かせるように、小さな声でつぶやく。

 決意は弱々しいが、それでも逃げずに耳を澄ませた。


 すると、重なっていた囁きがふっと静まり、一つの声にまとまっていく。


 『ルカ。――お前こそが、この王国の最後の見届け人だ』


 夜風よりも冷たく、けれど胸の奥を震わせる声。

 ルカは凍りついたように、その場に立ち尽くした。



 『ルカ。――お前こそが、この王国の最後の見届け人だ』


 その声が胸に響いた瞬間、ルカの足は勝手に動いていた。

 「うわっ……!」

 油ランプを抱え直し、石の道を駆け出す。


 夜風が顔に叩きつける。

 石碑と石碑の間を縫うように走るたび、影が大きく揺れ、背後から何かが追ってくる錯覚に襲われる。


 「なんなんだよ……! なんなんだよ、あれはっ!」


 足音が墓地に反響し、心臓の鼓動と混ざって耳を支配する。

 息はすぐに荒くなり、喉がひゅうひゅう鳴る。

 けれど止まれない。止まったら、あの囁きに絡め取られてしまう気がした。


 (どうして僕なんだ……! どうして墓守の家に生まれたんだ……!)


 心の叫びと共に、石段を駆け上がる。

 やっと、丘の下の小さな灯りが見えた。

 ――墓守の家だ。


 「……っ、はぁ、はぁ……!」


 戸口に飛び込む前、そこに人影が立っていた。

 腰の曲がった老人。

 祖父――エルドだった。


 「じいちゃん……!」


 安心と同時に、胸に言いようのない不安が広がる。

 祖父は、ただ黙ってこちらを見ていた。

 目の奥には、深い闇を抱えているように見えた。


 「声が……! また、聞こえたんだ! はっきりと、言葉になって……!」

 叫ぶように吐き出すと、祖父はゆっくり首を振った。


 「恐れるな、ルカ」

 低く、掠れた声。

 「墓守に生まれた者は、誰もが一度はその声を聞く。試練だ」


 「試練……? じゃあ、あれは本物なのか!? 本当に死者が……!」


 ルカの声は震え、ランプの火も同じように震える。

 祖父は近づき、ランプに手をかざした。

 炎が安定し、ふっと明るくなる。


 「声は真実を映すこともあれば、虚を語ることもある。墓は嘘をつかんが、声をどう受け取るかはお前次第だ」


 「……そんなの、わからないよ」

 ルカは視線を落とし、唇を噛んだ。

 「僕には重すぎる。……怖いだけだ」


 祖父はしばし黙っていた。

 やがて、夜風が二人の間を抜け、墓地のざわめきが遠くに響いた。


 「怖いなら逃げてもいい。だが――」

 祖父はルカの肩に手を置いた。

 その手は骨ばっていて、けれど不思議に温かかった。

 「墓守が逃げたら、誰が死者を見届ける?」


 ルカは答えられなかった。

 ただ、喉の奥で小さく鳴った。


 「……僕なんかじゃ、できないよ」


 「できるさ」

 祖父の目が細く笑ったように見えた。

 「お前は聞いた。聞いた以上、見届けねばならん」


 言葉は重い石のように胸に沈む。

 逃げたい。けれど、その石を背負わないわけにもいかない。

 ルカは握りしめたランプを、強く抱きしめた。




『ルカ。――お前こそが、この王国の最後の見届け人だ』


その言葉が胸に突き刺さった瞬間、ルカの足は勝手に動いていた。

「うわっ……!」

ランプを抱えたまま、石の道を全力で駆ける。


夜風が冷たくて、頬が痛い。

墓石の影が左右に揺れ、背後から何かが追ってくるような錯覚がした。


「なんなんだよ……! なんなんだよ、あれは!」


荒い息が喉を焼く。心臓は爆発しそうに打ち続ける。

けれど足は止まらない。止まったら、もう二度と立ち上がれなくなる気がした。


(どうして僕なんだ……! どうして墓守の家に生まれたんだ!)


必死に走って、丘の下の小さな明かりが見えた。

――墓守の家だ。


戸口に飛び込もうとしたとき、そこに人影が立っていた。

腰の曲がった老人。祖父、エルドだ。


「じいちゃん!」


安心したと同時に、心臓がまた大きく跳ねる。

祖父は黙ったまま、深い眼差しでこちらを見つめていた。


「声が……聞こえたんだ! 本当にはっきりと!」

ルカが叫ぶと、祖父はゆっくり首を振った。


「恐れるな、ルカ」

その声は低く、かすれていた。

「墓守に生まれた者は、誰もが一度は声を聞く。試練だ」


「試練……? じゃあ本物なのか? 本当に死者が……!」


祖父はランプに手をかざし、炎を安定させた。

その光の中で、落ち着いた声で言う。


「声は真実を語ることもあれば、嘘を混ぜることもある。

墓は嘘をつかん。だが、どう受け取るかはお前次第だ」


「そんなの、僕には分からないよ……。怖いだけだ」


ルカは唇を噛み、俯いた。

祖父は静かに肩へ手を置く。骨ばっているのに、不思議と温かかった。


「怖いなら逃げてもいい。だが――」

エルドは目を細め、力強く言った。

「墓守が逃げたら、誰が死者を見届ける?」


ルカは答えられなかった。

胸の奥で、小さく「僕なんかじゃ……」とつぶやくだけだった。


「できるさ」

祖父はかすかに笑った。

「お前は聞いた。聞いた以上、見届けねばならん」


その言葉は、重い石のように胸へ沈んだ。



 小さな家に戻ると、土と薪の匂いが広がった。

 かまどには火が残っていて、ぱちぱちと赤い火の粉がはじけている。

 ルカは荒い息を整えながら、椅子に腰を下ろした。ランプを机に置くと、炎は揺れながらもまだしっかり灯っていた。


 祖父エルドは無言のまま、ゆっくり腰を下ろす。

 皺だらけの手で古い布を取り出し、油ランプの真鍮の枠を拭きはじめた。

 その手つきは、まるで神聖な儀式のように丁寧で無駄がなかった。


 「……じいちゃん、本当に僕が……聞いたのか」

 ルカは自分の声が震えているのに気づいた。


 祖父は拭き取りを止めずに答える。

 「そうだ。墓守の血を引く者は、いずれ必ず“声”を聞く。逃れられん」


 「そんな……僕はただ、墓の草をむしったり、石を拭いたりしてるだけだよ」

 「それが墓守の始まりだ」


 エルドは目を上げた。

 「だが本当の役目は、石を守ることでも土を掘ることでもない」


 ルカはごくりと唾を飲み込んだ。

 祖父の瞳は小さな火の光を映し、揺れる炎の中で深い影を宿していた。


 「墓守とは、“声を聞き、語り継ぐ者”だ」


 その一言は、夜風より冷たく、けれど重たく響いた。

 ルカは思わず身を縮める。


 「語り継ぐ……? 誰に? どうやって?」


 「誰に、ではない。生きている人間すべてに、だ」

 祖父はゆっくりと立ち上がり、棚から古びた布包みを取り出した。

 中には小さな鉄の印章指輪が入っていた。


 「これは我らの証だ。墓守の契約は、王国と共にある。

 千年前の王と、最初の墓守が交わした“約束”だ」


 ルカは目を丸くする。

 「約束……? 王様と……墓守が……?」


 祖父は指輪を指先で転がし、炎にかざした。

 古びた鉄に刻まれた紋章が光を反射して浮かび上がる。

 それは確かに、王都の門に掲げられている紋章と同じものだった。


 「死者は黙って眠る。だがときに、どうしても語らずにはいられない者がいる。

 我ら墓守は、その声を聞き届け、必要ならば王に伝える役目を負う。

 それが……本当の墓守だ」


 ルカの頭は混乱していた。

 墓守なんて、下層の汚れ仕事だと思っていた。

 町の人からも「墓くさい」「不吉だ」と笑われてきた。


 けれど今、祖父が語るのは――王国と肩を並べるほどの大きな使命だった。


 「そ、そんなの……僕にできるはずないよ。僕は臆病で、走ってばかりで……」


 ルカは机に両手を突き、顔を伏せた。

 自分の情けなさが悔しくて、目の奥が熱くなる。


 祖父は少しの間、黙っていた。

 やがて、低い声でつぶやいた。


 「ルカ。墓は嘘をつかない。嘘をつくのは、生きている人間だけだ」


 その言葉に、ルカは顔を上げた。

 祖父の目は真剣だった。


 「だからこそ、墓守がいる。

 真実をそのまま伝えるために、な」


 静かな炎の音だけが響いた。

 ルカは何も言えず、ただ祖父の背中を見つめた。

 小さな背中なのに、何よりも大きなものを背負っているように見えた。


 ――逃げたい。

 でも、逃げられない。

 聞いてしまった以上、きっともう。


 胸の奥に、重く冷たいものが沈んでいく。

 それでも、その奥で、小さな火がぽっと灯った気がした。



 翌朝。

 鶏の鳴き声と、かすかな鐘の音でルカは目を覚ました。

 夜の出来事が夢だったならどれほどよかったか。

 だが、胸の奥にはまだ冷たい響きが残っている。


 「見届け人……」


 思わずつぶやくと、隣で寝ていた黒い犬が耳をぴくりと動かした。

 墓地をうろつく野良犬だったが、いつの間にか居着き、今ではルカの唯一の遊び相手になっていた。

 名前は「クロ」。

 犬はルカの声にあくびで応えただけで、また丸まってしまう。


 ルカはため息をつき、外套を羽織った。

 今日も町へ行かなければならない。食料を買うのは墓守の子の仕事だ。


 町は墓地の丘から坂を下った先に広がっていた。

 石畳の通りにはパンの匂いが漂い、朝市の声が飛び交う。

 人々は活気づいている――ただし、ルカが近づくと空気が変わる。


 「……あいつ、墓守の家の子だ」

 「うわ、縁起でもない」

 「こっち来るなよ。声がうつる」


 囁き声が耳に入るたび、ルカは俯いて歩いた。

 慣れているはずなのに、胸の奥がちくりと痛む。


 パン屋で列に並んでいると、後ろから誰かに突かれた。

 「おい、墓くさいのがパンなんて買うなよ」

 振り返ると、同年代の少年たちがにやにや笑っていた。


 「どうせ、死人と話してるんだろ?」

 「ははっ、夜中に“うらぎり”とか“ち”とか聞いてるんじゃないの?」


 わざと墓地の声を真似して笑う。

 ルカの顔が熱くなった。

 図星だったからではない。彼らに信じてもらえるわけがないからだ。


 「……ほっとけよ」

 小さく返すと、少年たちは肩をすくめて立ち去った。


 パンを受け取る頃には、手のひらは汗でじっとり濡れていた。

 (やっぱり、僕なんかが……)


 坂道を登る帰り道。

 丘の上には墓石が並び、昨夜のざわめきが幻のように思える。

 でも耳を澄ませば、まだ残響があるような気がした。


 「見届け人、か……。僕には似合わないよ」


 ルカは呟き、パンの袋を胸に抱き直した。

 クロが迎えに来て尻尾を振る。

 その素直な仕草に少しだけ救われた気がした。


 けれど、頭の奥では祖父の言葉が何度もこだましていた。

 ――墓守が逃げたら、誰が死者を見届ける?


 ルカは思わず立ち止まり、振り返った。

 墓地の丘は朝日を浴び、白い石が光っていた。

 まるで無数の目が、彼を見ているように。



 夕方。

 赤い夕日が墓地の石を染めていた。

 ルカはパンをしまい、手に油ランプを持って丘へ戻ってきた。

 昼間の町で受けた視線や嘲笑が、まだ胸に残っている。

 でも、どうしても確かめたかった。

 ――あの声は、本当に自分にしか聞こえないのか。


 「……クロ、行くぞ」

 黒犬が軽く吠えて、先に走り出す。


 石の並ぶ細い道を歩くと、冷たい風が頬を撫でた。

 日が落ちるにつれて空気が重くなり、鳥の鳴き声も消えていく。

 世界が静まり返ると――。


 『水を……水を……』

 『我らは……捨てられた……』

 『北から火が……』


 まただ。

 昨日よりもはっきりしている。

 しかも今夜はひとつじゃない。何人もの声が重なり合っていた。


 「……っ!」


 ルカはランプを握りしめ、耳を澄ませた。

 ひとつひとつの声は断片的で、誰が何を言っているのかは分からない。

 けれど確かに、意味を持った言葉だった。


 (これは……ただの風の音じゃない。……本当に、死者が話してるんだ)


 胸がどくどくと脈打つ。

 怖さよりも、強い確信が心を支配した。

 町の連中に笑われてもかまわない。

 ――これは、嘘じゃない。


 クロが吠えた。

 石碑の影から冷たい気配が流れ込んでくる。

 ルカは後ずさりした。


 『血はまだ乾かぬ』

 『裏切り者は……眠っていない……』


 「……誰だ。誰が……話してるんだ」


 声は止まらない。

 兵士、農民、女のすすり泣き――。

 まるで墓地全体が語り出しているようだった。


 (これじゃ……真実なんて分からない。どれが本当で、どれが嘘なんだ……!)


 ルカは頭を抱えた。

 耳を塞いでも、声は心の奥にまで染み込んでくる。


 「やめろ……やめてくれ……!」


 膝をついた瞬間。

 ふっと、囁きが一斉に静まった。


 ルカははっと顔を上げる。

 墓地の奥、丘の最も高い場所。

 ――千年王が眠る大理石の廟が、夕闇の中に白く浮かび上がっていた。


 その方向から、声が集まってくる。

 無数の囁きが一本の流れになり、彼の耳に突き刺さった。


 『ルカ。聞け』


 体が固まる。

 夕暮れの風が、冷たい刃のように頬を撫でた。


 『王は裏切られた。

  その血はまだ地に染みている。

  そして――お前は、聞き届けねばならぬ』


 「……!」


 ルカの胸が震えた。

 逃げたくても、足は動かない。

 怖い。けれど、耳を塞ぐことはできなかった。


 ――この声は、ただの幻じゃない。



 墓地の最奥にそびえる大理石の廟。

 そこには、千年王と呼ばれる伝説の王が眠っているとされていた。

 町の人々にとっては「近づいてはいけない禁忌の場所」。

 だが今のルカには、そこから呼ばれているとしか思えなかった。


 「……僕を……呼んでる……?」


 ランプの炎が大きく揺れる。

 クロが低く唸り声をあげ、ルカの足を止めようとする。

 だが声は確かに廟の奥から響いていた。

 無数の囁きが一つにまとまり、重く、低く――。


 『ルカ』


 「っ……!」


 その名を呼ばれ、胸の奥がびくりと震える。

 恐怖と同時に、不思議な安堵もあった。

 (やっぱり……僕を指してるんだ)


 『王は裏切られた。

  血は乾かず、真実は土に眠る。

  お前こそ、見届け人となれ』


 耳で聞いているはずなのに、声は心臓の内側から響いてくるようだった。

 冷たいのに熱い、不思議な感覚が体を貫く。


 「ど、どうして僕なんだ……! 僕は、墓守の子で……ただの、ただの……!」


 震える声が夜に吸い込まれる。

 答えは返ってこない。

 ただ廟の扉の隙間から、ひやりとした風が吹きつけた。


 クロが吠えた。

 けれどすぐに尻尾を下げ、怯えたようにルカの後ろに隠れる。


 ルカの足はもう動かなかった。

 逃げたいはずなのに、どうしても背を向けられない。


 『聞け。

  嘘を語る者は生者。

  真実を残すのは、死者。

  そして語り継ぐのは――墓守だ』


 「……!」


 祖父の言葉と同じだ。

 まるでエルドの声が重なったように感じた。


 「ぼ、僕には……できない」

 声は小さく、震えていた。

 だが心の奥底では、分かっていた。

 聞いてしまった以上、背を向けても意味がないことを。


 『逃げるな、ルカ。

  お前は選ばれた。

  千年の声を、次の世へ渡す者だ』


 その瞬間、ランプの炎が大きく燃え上がった。

 石の壁に影が広がり、無数の人影が一斉に祈るように両手を上げているように見えた。


 「――っ!」


 ルカは目を閉じ、両手で耳を塞いだ。

 だが声は止まらない。

 耳を塞いでも、胸の奥で鳴り続ける。


 (これが……墓守の宿命……なのか)


 やがて炎は静かに落ち着き、影も消えた。

 ただ冷たい風だけが吹き抜けていく。


 ルカは膝をつき、肩で大きく息をした。

 クロが心配そうに寄り添い、彼の手を舐める。

 その温もりが、ほんの少しだけ現実に引き戻してくれた。


 「……僕は……見届け人……」


 夜空には、月が静かに輝いていた。

 その光は、彼を祝福するのか、それとも突き放すのか。

 ルカには分からなかった。



 夜が明けはじめていた。

 東の空が薄い紫から橙に変わり、鳥の声が聞こえはじめる。

 墓地を包んでいた重たい空気も、少しずつほどけていくようだった。


 ルカは墓石の影に座り込み、白む空を見上げていた。

 膝はまだ震えている。

 けれど、もう声は聞こえなかった。


 「……夢じゃ、ないよな」


 ランプの炎はとっくに消えていた。

 冷たい真鍮の枠だけが、夜の出来事が現実だった証のように残っている。

 胸の奥では、昨夜の声がいまだに鳴り響いていた。


 ――ルカ。お前こそが、この王国の最後の見届け人だ。


 耳の奥ではなく、心に直接焼きついている。


 「……見届け人、か」


 小さくつぶやく。

 まだよく分からない。

 自分が何をすればいいのか、何を見届けろと言われているのか。

 だけど、一度聞いてしまった以上、もう逃げられないことだけは分かった。


 クロがルカの膝に頭を押しつけてくる。

 その温もりに少し勇気をもらい、ルカは立ち上がった。

 夜露に濡れた靴が、きゅっと鳴る。


 丘の上から見下ろす町は、朝の光を浴びてまるで別の世界のように見えた。

 パン屋からは香ばしい匂いが漂い、人々の声が通りに響く。

 ――そのどれもが、声を知らない者たちの世界。


 (僕だけが聞いた。僕だけが、知ってしまった)


 胸に重さを感じながらも、不思議な静けさがあった。

 祖父の言葉を思い出す。

 ――墓は嘘をつかない。嘘をつくのは、生者だけだ。


 「……僕が、聞く」


 言葉は自然に口からこぼれた。

 弱々しかったけれど、確かに自分の意思だった。


 「僕が……見届ける」


 その瞬間、朝日が王廟を照らした。

 白い大理石の扉が黄金に輝き、ルカの小さな決意を静かに受け止めるかのように。


 クロがわん、と吠えた。

 ルカは思わず笑った。

 怖さも、不安も消えたわけじゃない。

 それでも――逃げずにいようと思えた。


 夜の恐怖と、朝の光。

 その狭間で、ひとりの少年が最初の一歩を踏み出した。


 ――墓守の少年の物語は、ここから始まる。

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