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灯る熱(2)


 風に頬を撫でられる感触で、ルーチェは目を覚ました。


(………ここは?)


 見慣れない天井だ。深い青色に、蔦のような模様が白色で描かれている。上半身を起こすと、毛布代わりにと誰かが掛けてくれたらしいコートが、するりと下に落ちた。


(これって……)


 ルーチェはコートを拾い、辺りを見回した。

 部屋の中央には書類が積み上げられている机があり、その後ろには大きな窓が、壁には本棚が三つ並んでいる。ルーチェが寝ていた大きな長ソファを含めて、室内の家具はこれだけだ。


 広く殺風景な部屋だが、青や白の調度品で整えられているこの部屋は、ヴィルジールの仕事部屋だろうか。


「お目覚めになられましたか? ルーチェ様」


 いつからそこに居たのか、扉の横にはセルカと離宮の使用人であるイデルが立っていた。ふたりとも温和な笑みを浮かべている。


「……あれ、私…」


 ルーチェはコートを見つめながら、記憶を巡らせていった。


 今日は正午から書庫を訪れていた。そこでノエルに会い、聖なる光の力を使い方を教えてもらい、その足で中庭に行き──読書をしていた時に、ヴィルジールがやって来たのだ。


(そうだわ…!ヴィルジールさまがお休みに…)


 肩を貸せと言ってきたヴィルジールに、ルーチェは応えた。だがそれからの記憶がないということは、おそらく隣で眠ってしまったのだろう。


 そして、ヴィルジールがここに運んでくれたのだ。彼のものであろう、清廉なデザインのコートからは、知っている香りがした。

 

 ルーチェが答えを見つけたと分かったのか、セルカが静かに微笑む。


「陛下がこちらに運ばれたのです。先ほど来客があり、仕事に戻られましたが」


「そう…なのですね」


 ルーチェはセルカの手を借りてソファから立ち上がった。


 イデルが先導するように歩き出し、その後ろについて部屋を出る。だが外に出たところで、一本の糸がピンと張るような感覚がルーチェの足を縫い止めた。


「ルーチェ様?」


 イデルが心配そうに声を掛けてきたが、ルーチェは返事をせずに後ろを振り返った。


 今はまだ、そこにはいない。だが、そこに現れるという確信がある。


「……ヴィルジールさま?」


 突然足を止めるなり逆側を向いたルーチェを見て、迎えにきてくれたセルカとイデルは不思議に思ったことだろう。


「ルーチェ様、陛下がどうかなさったのですか?」


 セルカがいつもの調子で問いかけ、ルーチェの前に回ってくる。


「……ごめんなさい」


 ルーチェはひと言だけ吐いて、床から足を剥がして駆け出した。



 花も飾りも窓すらもない長い廊下をひた走る。息が切れ、途方もなく遠く感じるその道のりの途中で、鼓動ばかりが速くなっていった。


 切れる息、激しく高鳴る胸に気付かぬふりをして、必死で廊下を走る。やっとの思いで角を曲がると、目の前には初めて見る男性に支えられるようにして歩くヴィルジールがいた。


「ヴィルジール様っ…!」


 ルーチェは転がるように駆け寄り、ヴィルジールの顔を見上げた。


 ただでさえ白い顔が、正気を失ったように蒼白だ。唇の色も悪く、何かを訴えているのか、或いは寒いのか──小刻みに震えている。


「……貴方が聖女様ですか?」


 ヴィルジールを支えている男性が、ルーチェを見て大きく目を見開く。その瞳の色はヴィルジールのものよりも薄いが、曇り一つない晴れ空のように澄んでいる。


 初めて見る顔だが、ヴィルジールが肩を預けているくらいだ。エヴァンのように、気の許せる相手なのだろう。


 ルーチェはただ一言、ルーチェと申しますとだけ短い挨拶をし、二人の後を追った。


 来た道を少しだけ戻り、ひっそりと佇む階段を上る。ヴィルジールの私室はさらに上の階にあるらしく、介助をしている男性は「自動昇降機があったらいいのに」と呟いていた。

 


 私室に到着すると、ヴィルジールはベッドに寝かされた。先ほどの男性が医者を呼びに部屋を出て行くと、室内にふたりきりになった。


 ベッドの上で仰向けに寝転ぶヴィルジールは、苦しげに呼吸をしている。そっと額に触れてみたが、熱はなさそうだ。


 ルーチェは部屋の隅にあった椅子を拝借し、ヴィルジールの傍に座った。そして、右手を握る。 


「………ルーチェ?」


 薄らと開かれた目は潤んでいた。視界が定まっていないのか、ぼんやりと遠くを見ているようだ。


 ルーチェは安心させるように微笑んでから、両手で包むようにして握ったヴィルジールの右手に、自分の額を当てた。


(──触れて、想って。そして、光を求める)


 今のルーチェに、出来るかは分からない。だけど、奇跡を起こした日のことを思い出しながら、ノエルから教わったことを守れば、出来る気がした。


 聖なる光の力。それは魔力のないルーチェでも出来るという。その力で、ヴィルジールを癒すことができたのなら。


 ルーチェは瞼を下ろし、胸の内で願い事を告げながら、祈りを捧げた。


(ヴィルジールさまの痛みが和らぎますように。今夜はゆっくりと、眠れますように)


 ノエルがあたたかくて優しい気持ちをくれたように、ルーチェも伝えたいのだ。泣きたくなるような、あの優しい光を。



 ──どれくらいの間、そうしていたのか。


 扉が閉まる音で目を開けると、ヴィルジールが穏やかな顔で眠っていた。

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