手の中の星はどこ?
美しいエメラルドグリーンの海に囲まれた小さな小さな島国。
自然豊かで穏やかな気候のマリーニ国。
色とりどりの花が咲き乱れ、人々の笑顔があふれている素敵な国。
私はそんな自分の生まれ育った国が大好きだった。
住処である古城のバルコニーから、私は国の様子を見渡していた。
柔らかい風が吹いて頬を撫でていく。
空には海鳥が群れをなして飛んでおり、輝く太陽の光を背負っていた。
「リルはまたここにいるのか?」
気がつくと、呆れた顔をしたラニスお兄様がバルコニーに入ってきた。
「ここから見渡すマリーニ国を私が大好きなのは知ってるでしょ?」
私は心地の良い風に目を細めながら笑った。
青い光を儚げに放つ光の粒が、私をぐるりと囲むように飛ぶと、風に乗って離れて行った。
風の精霊だ。
「本当にリルは精霊に好かれているな」
ラニスお兄様が、光が飛んでいった彼方を見つめながら言った。
この国の人たちは、古来より精霊の力を借りて魔法を使っていた。
そのため、精霊の宿る自然を愛し、あらゆるものに感謝の気持ちを忘れずに慎ましく暮らしている。
そんな私たちは他国から〝精霊の民〟と呼ばれていた。
中でも私は特に精霊に好かれており、生まれつき加護の力を授かっていた。
ただ平和なこの国で危険な目にあったことはなく、どれほどの加護の力が備わっているのか自分でも分かっていない。
暖かくて優しい力が、体の中を巡っているのだけは感じることが出来た。
私は隣に立ったラニスお兄様を見た。
「私も精霊が大好きだから、気持ちが伝わるのかな?」
「え? 俺もそうなんだけどな」
「フフフッ。足りないんじゃない?」
私は冗談っぽく笑いながら、ポケットからチョコレートの包みを取り出してパクッと食べた。
「ラニスお兄様も食べる?」
「今はいいよ。ありがとう……まだチョコを持ち歩いているのかい? リルはいつまで経ってもお子様気分が抜けてないな。身長が低くてただでさえ見た目がアレなのに」
ラニスお兄様が大袈裟に肩をすくめる。
「おととい成人の祝いをしたから、正真正銘大人ですー。でも、年頃なのにパパたちから何も縁談について話がないんだよね……」
私はバルコニーの手すりに手をついて、遠くを眺めながら、ラニスお兄様に近頃少しだけ悩んでいたことを打ち明けた。
「この年齢で縁談が無いってことは、私はのほほんと暮らせばいいんでしょ? マリーニ国にはお兄様がいるから、私が王族として頑張ることも特にないし。弱小国家だから」
思い描いているゆったりまったりライフが案外楽しみで、私はニコニコと笑った。
私はこの小さなマリーニ国のお姫様。
両親とラニスお兄様に何不自由なく愛情たっぷりに育ててもらった。
国の人々も私をたくさん可愛がってくれた。
いつか好きな人も現れて、この国で幸せに暮らし続けたい。
それが私の小さな願いだった。
そんな願いを胸にして未来を思い描いている私に、ラニスお兄様が遠慮がちに話し始めた。
「……実はリルは、小さい時から縁談が決まっていたんだ」
ラニスお兄様もバルコニーの手すりに片手をかけた。
少しだけ私の方に体を傾けて、顔を覗き込んでくる。
「え?」
私はそんなお兄様と目を合わせて続けた。
「縁談が決まってた? 誰と?」
「落ち着いて聞けよ……エトバール王とだ」
「…………」
私はラニスお兄様の顔を穴が開くほど見つめた。
え?
エトバール王って確か……
「あの大国の国王様?」
「……そうだ」
「何で私と?」
「よく分からないけれど、エトバール王からのご指名だ。リルが強い精霊の加護を宿しているからかもしれない」
エトバール王は、私より10歳ぐらい年上の遠い国の国王様だ。
激しい王位継承争いを勝ち抜いた冷徹非道な王様だと聞いている。
なんでも噂ではめっぽう強く、彼が剣を振るった戦場は、何もかも焼き尽くされたように跡形もなく消え去るらしい。
そして1番人間離れしているのがその強靭な体。
剣はおろか魔法さえも彼の体を傷付けることは出来ないそうだ。
私の加護、必要かなぁ?
と即座に思うほど、彼は敵うものなしの無敵の状態だった。
そんな化け物じみたエトバール国王は、長らく伴侶を得ていない。
噂では釣り合う人が居ないだとか、すごく偏った趣味をお持ちだとか……
私はごくりと固唾を飲んで、ラニスお兄様に意を決して聞いた。
「……自分で言うのも何だけど……私の幼い見た目が気に入られた?」
「…………」
「そこだんまり? ある意味肯定してるよね」
私は瞬時に青ざめてしまった。
私たちマリーニ国の人々は、大国の人に比べると小柄で幼い顔立ちの民族だった。
それを揶揄してか〝精霊に気に入られるぐらいだから、子供に近しいのだろう〟と他国から言われるほどだった。
そんな民族の中でも人一倍小柄な私は、大国に行けば子供にしか見えないだろう。
エトバール国王には、まことしやかに囁かれる噂があった。
彼は幼くて可愛らしい見た目の女性……少女が大好きだとか。
それでこの国に目をつけて、王族として生まれた私を小さな時から目星をつけたのかな。
……うん。
納得したくないけど、妙にしっくりくる。
私は重いため息をついて頭を抱えた。
そして言葉を絞り出す。
「…………何で隠していたの??」
「リルが逃げ出すと思って……」
ラニスお兄様が、あんまりな理由を述べた。
私はそっと顔を上げて恨めがましく兄を見る。
「……逃げはしないわよ。王族としての役目ぐらい理解しているから」
嘘です。
見栄を張りましたが、本当は嫌です。
私は背中に冷や汗をかきながらも、涼しい顔をして笑っていた。
「そう? なら良かった。弱小国家だから大国の国王様の命令を無下には出来ないし……」
ラニスお兄様がニコリとほほ笑みながら続ける。
「リルはもう大人になったから、エトバール王が黒髪で背の高い大柄な男性だとしても大丈夫だよね?」
お兄様はそう言い終わると、私の腕をガシッと掴んだ。
「……っそれは嫌ー!!」
私は血相を変えて暴れ始めた。
けれどラニスお兄様は掴んだ腕を離してくれなかった。
彼は、私が逃げ出そうとすることが分かっていたのだ。
「嫌よ! 絶対イヤ!」
「大丈夫。エトバール王は実在する人物だから……」
「やだやだ! 怖すぎるっ!!」
半泣きなって叫びながら、私はトラウマである黒髪の幽霊を思い出していた。