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バレリーナに恋する錫の兵隊

 

 

 

 次の日すぐに、アリーニン家へ使いを出した。夜会で令息令嬢に挨拶が出来なかったから、ぜひ会って話したいと。

 父も母も味方だった。それはそうだろう。あんなにも美しく優秀な娘を、他国に奪われるなんて許せるわけがない。

 だが、返って来た返答は。


「ご令嬢が、寝込んでいるから無理だと」


 戻って来た使いが告げた言葉に、我が意を得たりとばかりに大臣のひとりが言う。


「初めての夜会で、緊張したのでしょうな。聞けばルーフィ・アリーニナ嬢は、これまでも度々寝込んでいるとか。可哀相ですがいくら美しく優秀だとしても、王妃の重責に耐えられる器では、ないのではないでしょうか」


 ヒゲの男は自分の娘を、王妃にと推していたはずだ。強力な対抗馬を、蹴落としたくて仕方ないのだろう。

 利害が一致しているからだろう。もうひとり別の大臣が、ここぞとばかりに同調する。


「箱入りで、ずいぶんと甘やかされて育ったとも聞いております。厳しい王妃教育には、すぐ音を上げてしまうかと」


 母が扇で口元を隠し、あら、と首を傾げた。


「あなた方、先の夜会ではお嬢さま方を連れて参加しておいででしたよね。ルーフィの夜会でのダンスや挨拶は、ご覧になりませんでしたか?彼女の方が、あなた方の娘よりも若いですけれど、ダンスも挨拶も美しかったように、わたくしには見えましたが」


 ふふ、と母が笑う。


「成人前の幼い兄弟が、父母も兄も頼らず夜会で立派に立ち回って。アリーニン伯爵家の子供は上の二人も優秀ですが、下の二人も劣らず優秀のようですね」


 言外に、お前たちの娘とは違ってと言う言葉をにじませて、母が口を閉じた。

 甘やかされてわがまま放題に育った、教養のない娘。彼らの娘に対する、母の評価だ。母は彼らの娘を私の妃にとは、全く考えていないのだろう。

 私もそれには大いに賛同したい。なにせ、記憶している彼らの娘たちは、お世辞にも美しいとは言えない見た目をしていたからだ。


 ああ。母が味方であると、こんなにも心強い。

 きっと母がルーフィ・アリーニナとの婚約を、取り付けてくれるに違いない。



   ё  ё  ё  ё  ё  ё



 けれど私の予想通りには、ことが進まなかった。


「エーデルシュヴァルツから正式に、ルーフィ・アリーニナへの求婚が届いた」


 夜会からふた月。まだ、私とルーフィ・アリーニナとの面会が叶わぬうちに、その書状は来た。

 父は難しい顔をして、二通の書状を見下ろした。


「アリーニン伯爵から、ルーフィ・アリーニナがエーデルシュヴァルツ公の求婚を受ける許可を求める書状も届いている。令嬢本人の希望だと」


 エーデルシュヴァルツからの書状は、計ったようにアリーニン伯爵家からの書状と同日に届いた。

 私がルーフィ・アリーニナとの面会を受け入れられず手をこまねいているうちに、魔王はそこまで根回しを進めたと言うことか。


「断ることは」

「ひとまず、アリーニン伯爵と令嬢の意思を、直接聞いて確かめる場を設ける。その結果が出るまでは、エーデルシュヴァルツへの返答は保留にしよう。その後も、エーデルシュヴァルツとの交渉次第だ」


 もちろんこちらも、ふた月なにもせず面会許可を待っていたわけではない。父も母も国内での根回しを進め、ルーフィ・アリーニナの価値は、国内でも認められつつあった。

 価値を認められた令嬢である以上、簡単に国から出しはしない。

 ルーフィ・アリーニナの値段を吊り上げ、そこまでの対価は出せないとあちらに言わせれば、ルーフィ・アリーニナを魔王に奪われることは防げるのだ。


「レオニート」


 母が私を呼ぶ。


「アリーニン伯爵とルーフィが召喚されたら、あなたも必ず同席しなさい。ルーフィを心変わりさせられれば、エーデルシュヴァルツからの求婚も断れます。エーデルシュヴァルツ公は、ルーフィが否と言えば従うと言ったのですから」

「はい。母上」


 母譲りの金髪を揺らして頷く。美しい母の血を継いだ私は、誰からも褒めそやされる容姿をしている。あんな魔王より、ルーフィ・アリーニナの横に立つにふさわしい見た目だ。

 会って、話す機会がなかったのが悪かっただけ。

 ルーフィ・アリーニナだって、会って話せば魔王より私が良いと、気付くはずだ。



   ё  ё  ё  ё  ё  ё



 母は根回しをして、父との会談前に、私とルーフィ・アリーニナが話す時間を捻出した。召喚されたアリーニン伯爵と令嬢が会談の時間を待つ間のもてなしを、自分と共にするよう私に命じたのだ。

 騎士に案内されてやって来るアリーニン伯爵夫妻とルーフィ・アリーニナを、玄関広間で待ち受ける。

 アリーニン伯爵に連れられたルーフィ・アリーニナを見留め、みなが仕事も忘れて息を飲む。天使だ、妖精だと、囁き交わす声を聞く。


「よく来てくれました」

「ニコライ・アリーニン、ソーフィ・アリーニナ、ルーフィ・アリーニナ、王命にて馳せ参じました」


 迎え出た母へ臣下の礼を取るアリーニン伯爵に合わせて、夫人とルーフィ・アリーニナも礼をする。

 手本のような美しい礼に、母は満足そうに笑い、周りで見ていたものは感嘆の息をもらした。


「楽に。陛下の御身が空くまでしばらく時間が掛かります。それまで、わたくしとお茶を致しましょう」

「身に余る光栄です」


 アリーニン伯爵の答えを聞いて歩き出した母が、ルーフィ・アリーニナへと目を向ける。


「お話しするのは初めてですね、ルーフィ」

「はい。お初に御意を得ましたこと、嬉しく思います」


 歩きながらの礼ですら、ルーフィ・アリーニナは完璧にやってのけた。一挙手一投足に至るまで、揺らぐことなく美しい。


「あなたの娘は素晴らしい子ね、ソーフィ」

「ありがとう、でも、少しわがままな子なの」


 アリーニン伯爵夫人は、王妃である母と同い年で、お互い結婚前は親しい友人同士だったと言う。その気安い空気に誘われたように、母が斬り込んだ。


「そうね、あなたの子はぜひわたくしの息子の妻にと、わたくし思っていましたのに。ソーフィだって、大事なひとり娘をよその国にやるのは嫌ではなくて?」

「ええ。叶うならずぅっとどこにも行かずに、わたくしの許にいて欲しいわ。この子ったらおてんばで、見ていないうちにどんな危ないことをするか、わからないのだもの。でもね」


 頬に手をあてて、アリーニン伯爵夫人はまるで少女のような笑みを浮かべた。


「エーデルシュヴァルツは遠いでしょう?それなのにエーデルシュヴァルツ閣下は、ルーフィが望むならいつでも里帰りをさせるつもりだって言うの。わたくしがエーデルシュヴァルツを訪れても良いって。その旅費もすべて、閣下が出して下さるとまで言うのよ」


 いつでも里帰りをして良いなんて、たとえ隣の領に嫁いだって言っては貰えないでしょう?


 アリーニン伯爵夫人に問われた母は、一拍言葉を詰まらせたあとで、そうですね、と答えた。

 一度嫁げば里帰りなど、そうそう許されるものではない。貴族同士でもそれは当然で、それが王家に嫁ぐとなれば、里帰りどころかひと目会うだけでも簡単ではなくなる。


「ルーフィがいつでも里帰り出来るように、わたくしが気軽にルーフィを訪ねられるように、竜騎士をひとり専属にして下さるのですって!竜に乗れるなんて、わたくし年甲斐もなくわくわくしてしまったわ。ね、あなた」

「ルーフィ以上に、ソーフィが喜んでいたな。ルーフィのおてんばが、どこから来たかわかるものですね」


 はしゃぐ夫人を優しい目で見下ろして、アリーニン伯爵は苦笑する。


「ですが私としても、エーデルシュヴァルツ閣下の誠意と熱意は認めざるを得ません。離れていても様子が伝わるようにすると言って、エーデルシュヴァルツ辺境公領とアリーニン伯爵領直通の霊鳥便の整備に動き出されて、もう来月には開通する見込みだそうですから」

「あれはね」


 ふふっと楽しげな笑い声を漏らして、アリーニン伯爵夫人が断言する。


「誰より閣下が、早くルーフィと文通したかったのよ。愛されているわね、ルーフィちゃん」


 魔王はルーフィ・アリーニナだけでなく、アリーニン伯爵夫妻まですでに篭絡したのだ。

 気付かされた母と私の身体が強張る。

 王家が同じものを、ルーフィ・アリーニナのために差し出せるか?

 答えは否だ。そんなことをすれば、ひとつの家を優遇していると周り中から批判される。

 同じ誠意と熱意の示し方は出来ない。ならば代わりに示せるものはなにか。


 ルーフィ・アリーニナはアリーニン伯爵夫人の声掛けに答えは返さず、はにかんだように微笑んで首を傾げて見せた。

 その愛らしい姿に、また周囲のものが息をもらす。


 この話題を続けても、有利は取れない。話題を変えるべきだ。

 母も同じ判断をしたのだろう。ちょうどよく応接室に着いたのもあって、切り替えるように声を上げた。


「ルーフィ」


 母がルーフィ・アリーニナを見下ろして、微笑みかける。


「植物が好きだと聞きました。この応接室のすぐ外の庭園は、珍しい植物がたくさん植えられていますから、よければ見てみませんか」


 問い掛けられたルーフィ・アリーニナは、びくりと身を震わせて目をまたたいた。


「大丈夫、まだ時間に余裕はありますから」


 そんなルーフィ・アリーニナへ、母は努めて優しい声を出す。


「レオニート、案内してあげなさい」

「わかりました。お手をどうぞ、アリーニナ嬢」


 手を差し出せばルーフィ・アリーニナは、助けを求めるようにアリーニン伯爵夫人へと目を向けた。


「あらあら、心細いのね。あなた、一緒に行ってあげて」

「ああ。申し訳ございません殿下、箱入りで育てたもので、知らない場所に緊張しているようです。ルーフィ、一緒に行くから安心しなさい」

「はい」


 アリーニン伯爵の声に答えたルーフィ・アリーニナは、私ではなくアリーニン伯爵の腕を掴む。

 王子の手よりも父親の腕が良いとでも言うのだろうか。魔王の腕には抱き上げられていたのに?


「それではエーデルシュヴァルツなど、より恐ろしいのではないですか?かの地は、魔物も多いと聞きますよ」


 思わず問い掛ければ、晴れ空の瞳がこちらを向いた。吸い込まれそうな青に、見惚れる。


「魔物より」


 春の花のようにほわりと顔をほころばせて、ルーフィ・アリーニナは言った。


「ヴォルフさまの方がお強いですから。ヴォルフさまと一緒ならば、どこであろうと恐ろしくはありません」


 反論は、浮かばなかった。

 エーデルシュヴァルツ王弟ヴォルフガング・アマデウス・エーデルシュヴァルツ辺境公爵は、エーデルシュヴァルツで最も多くの魔物を屠り、北の魔王と呼ばれる魔族。この国に、あの魔王より強いものなど、居はしないだろう。

 庭へと出る窓を通りながら問う。


「強い方が、お好きですか?」

「弱い方よりは安心ですね」


 ルーフィ・アリーニナは迷いもなく答えた。


「わたくしは武術の心得がありませんから、どんなものからも守って下さる強い方には、憧れます」

「領の精鋭が束になってもエーデルシュヴァルツ閣下には勝てませんでしたから、少なくともアリーニン伯爵領に居るよりは、閣下のそばの方が安全でしょうね。魔物害は、どこで起こるかわかりませんから」


 今この瞬間にも、魔物が王城を襲うかもしれませんと呟くアリーニン伯爵。

 アリーニン伯爵領の私兵と言えば、国内でも指折りの錬度を誇る精鋭揃いだったはずだ。それが、束になっても勝てなかったとは。

 魔物の大群に勝つには、それほどの強さが必要と言うことだろうか。だが、我が国だって備えていないわけではない。


「城の守りは、強固ですよ」

「ええ。かつて魔物害で滅びたどの国の城も、守りは強固であったはずです」


 それは魔物に勝てなかったからではない。魔物の大群に襲われて、勝ったとしてもその土地は魔力汚染でヒトの住める土地ではなくなるから、滅びるのだ。


「滅びたのは」

「ええ」


 アリーニン伯爵が頷く。


「魔物が襲って来たとして、戦って勝たねば生き残れません。けれど戦って勝ったとしても、その死体は土地を汚染します。汚染が度を越せば、その土地に住むことが出来なくなる」

「それならば、勝っても負けてもヒトは土地を追われるではないですか」

「おっしゃる通りです。だからこそ魔物害は恐ろしく」


 アリーニン伯爵が、傍らの我が子を見下ろした。


「ルーフィには、なんとしても生き延びて貰わねばならないのです」


 目を向けられたルーフィ・アリーニナが、なぜそんなことを言われたのかわからない、とでも言いたげな顔で首を傾げる。


「それは、なぜ」

「エーデルシュヴァルツ閣下は」


 そっと娘の髪をなで、アリーニン伯爵は答えた。


「それをよく理解していらっしゃいました。ルーフィの価値を正しく評価し、持てる力を尽くしてでも守らなければとお思いでした。もちろん、ルーフィ自身の意思もありますが、なによりそのことが、私にとっては大きな判断材料です」


 それはまるで、王家はルーフィ・アリーニナの価値を、理解していないとでも言っているような。

 なぜかと問うた私は、ルーフィ・アリーニナの相手にふさわしくないと、弾き出されたのか。

 ルーフィ・アリーニナの価値?そんなものわかっている。誰より美しいこの娘こそ、私の隣に立つにふさわしい。そしてこの美しい娘の隣に立つべきは、あんな魔王のような男ではなく私だ。


「……露地ろぢで」


 私がアリーニン伯爵に言葉を返す前に、鈴を鳴らすような声が響く。

 その美しい瞳は、地面に注がれていた。視線を追えば、小さく地味な花があった。

 ほかにいくらでも華やかな花が咲いているのに、なぜそんな地味な花を見ているのだろうか。


「どうかしたかい、ルーフィ」

「高山の花が咲いているので、驚いて」


 父親から手を離したルーフィ・アリーニナが、花へと近付き、あろうことか地面へとしゃがみ込んだ。豪奢なドレスの裾が、地面をこする。


「冷たい。ああ、ここに魔法石が……」


 白い手が土に触れる。


「こちらは暖かい。わざわざこんな近くに熱帯の植物を。土壌条件も全く異なるのに」


 晴れ空の瞳は忙しなく、庭園を行き来した。


「咲いていない花がない。どうして」

「王宮の花壇は、季節ごとに植え替えるからね」


 答えたのはアリーニン伯爵で、しゃがんだ娘の脇に手を入れて、持ち上げる。


「ルーフィ、ここは領地ではないよ」

「っ、申し訳ありません、見苦しい真似を」

「いや」


 植物が好きだと言う話は、嘘ではないようだ。地面に立たされたルーフィ・アリーニナに笑みを向け、庭を示す。


「好きに見ると良い。ああ、これはラーメール国から譲り受けた花です。とても華やかでしょう」

「海沿いの、塩害地に生える花ですね。高気温、高湿度、高塩濃度の環境下でしか咲かない花がこんなに大輪に。塩水で、点滴灌漑を?」


 地面を睨んだあとで、視線を上げたルーフィ・アリーニナが、一点を見つめて息を飲んだ。視線の先には、フリルを重ねたような愛らしい花。天使のような少女に似合いの花だ。


「この花は、ドレスを着た貴婦人のようだと評判ですよ」

「陰樹を、こんな日向で咲かせるなんて」


 驚いた顔で口許に手を当てるルーフィ・アリーニナに、鷹揚に頷いて見せる。


「一流の庭師が、持てる技術を存分に発揮して作り上げた庭ですから。気に入ったなら花束にして差し上げましょう」

「いいえ」


 答えは迷いなく返された。


「わたくしには、もったいないお花です」

「そんなことはない」


 控えていた使用人に目を向ければ、黙って一輪、花を切って私に渡す。その花を、ルーフィ・アリーニナの髪へ挿した。思った通り、挿した花は豊かな金の巻き毛をよく引き立てた。


「うん。よく似合う」

「そう、でしょうか」


 どんな令嬢だって、私が褒めれば頬を染めて喜ぶ。美しい第一王子に、褒められて喜ばないはずがない。

 そう、思っていた。

 だが、ルーフィ・アリーニナは、強ばった顔で視線を落としただけだった。

 緊張や照れではない。


「ありがとう、ございます」


 ぎこちなく上げた顔に笑みを貼り付けて礼を口にする姿は、とてもではないが喜んでいるようには見えなかった。


 花が好みではなかっただろうか。


「花、お気に召しませんでしたか?」

「えっ、いえ、とんでもないことでございます。このように、貴重なお花を頂けるなど、身に余る光栄です」


 ルーフィ・アリーニナが庭園を見渡して、言う。


「素晴らしい、お庭ですね。他国からの使者も、この庭を見ればこの国の、技術と財の豊かさを思い知ることでしょう」


 強い風が吹き、金の巻き毛がなびいた。


「風が冷たいな」


 呟いたアリーニン伯爵が娘の肩を抱く。


「身体を冷やす前に戻った方が良い。やっと寝台を出られたばかりだと言うのに、熱が振り返してはいけない。殿下、庭園の案内、ありがとうございます。申し訳ありませんがそろそろ、部屋に戻らせて頂きます」

「アリーニナ嬢は、寝込んでいたのでしたね。こちらこそ、気遣いが足りず申し訳ありません、戻りましょうか」

「申し訳ありません」


 呟いたルーフィ・アリーニナのドレスが揺れる。魔法で汚れを落としたのだと気付いたのは、ぱらりと土が落ちる音を聞いてからだった。息をするように使われた魔法に驚くが、本人もアリーニン伯爵もなんてことのない顔をしているので、気にしないそぶりで元いた部屋へと先導する。

 部屋に戻ろうと窓をくぐれば、華やかな笑い声。けれど笑っていたアリーニン伯爵夫人は、私たちにすぐ気付いて立ち上がった。


「おかえりなさい、早かったのね」


 声を掛けたのはアリーニン伯爵へ。


「風が強くてな。ルーフィが身体を冷やすといけないから戻ったんだ」

「まあ!」


 夫人が目を見開いて、足早にアリーニン伯爵の許へと歩み寄る。そのたおやかな手が、ルーフィ・アリーニナの頬を包み込んだ。


「本当だわ、こんなに頬を冷たくして、はやくいらっしゃいな、温かいお茶を頂きましょう。ああ大変、指先も冷たくなっているわ」


 ついぞ私には触れることのなかった小さな手が、夫人の柔らかな手に包まれる。


「ごめんなさいね、せっかくの厚意を。殿下も、案内して頂いたのに申し訳ありません」


 娘の手を引きソファへと座らせながら、アリーニン伯爵夫人が眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。


「ずっと寝込んでいて、やっとベッドから出られるようになったところなの」

「それは」

「とても頭の良い子なのだけれど、そのせいで考え過ぎて、熱を出してしまうの。ね」

「お恥ずかしいことです」


 夫人が手ずから注いだ紅茶を手に、揺れる水面へ目を落としながら、ルーフィ・アリーニナが呟く。

 その姿を見つめながら、問い掛ける。


「身体が弱い、わけでは」

「どうでしょうか。体力はあるわよね、ルーフィちゃん。乗馬が上手って褒められていたものね」


 娘のすぐ横、肩が触れるような位置に座って、アリーニン伯爵夫人がルーフィ・アリーニナの髪をなでる。

 アリーニン伯爵夫妻は、よく娘の頭をなでるのだな、と思った。私は、父母に頭をなでられたことなど、あっただろうか。

 なでる頭の変化に、夫人はめざとく気付いた。


「あら、可愛い花ね。殿下から頂いたの?」

「はい」

「蓮華の花冠もよく似合ったけれど、これもよく似合うわね。とっても華やか。娘に素敵なお花を、ありがとうございます、殿下」


 娘よりずっと自然な笑顔で、アリーニン伯爵夫人は礼を口にする。


「蓮華の、花冠とは?」

「エーデルシュヴァルツ閣下から、お見舞いに頂いたのです。ね、ルーフィちゃん」

「はい、ヴォルフさまが、ご自身で編んで下さったものだと」


 ルーフィ・アリーニナがはにかむ。私が与えた花には、顔をこわばらせたくせに。


「ルーフィちゃんがお礼に編んだ月桂冠も、とても喜んで下さったのよね」

「わたくしはあまり上手に、編めませんでしたが」

「気遣いがあって寛容な方ね、閣下は」

「はい」


 蓮華なんて、どこにでも生えている、野花ではないか。

 私が与えた花の方が、よほど価値があるし美しいと言うのに。

 ああ、貧民の姫だったか、この娘は。


「庭園の花より野辺の花がお好きでしたか」

「いいえ」


 ルーフィ・アリーニナは、はっきりと否定した。


「どちらも素晴らしく、どちらも必要なものです、殿下。王城がみすぼらしくては、他国から侮られてしまいますもの。ただ」


 ルーフィ・アリーニナの持ち上げた手は、けれど花には触れなかった。


「わたくしが場にそぐわないだけなのです。必要なものと理解していても。この一輪を咲かせる財力と技術があれば、いったい何人の子供が飢えずに済むだろうかと。そんなことを考えてしまうから」


 十二歳だと言うその年齢に似合わぬ笑みを顔にのせ、ルーフィ・アリーニナは言う。


「ふさわしくないのです、わたくしは。このような華やかな場所に」

「そんなことはない!」


 びくりと揺れた肩を掴み、晴れ空の瞳を見据える。


「あなた以上にこの場がふさわしい女性など、私は母上しか、」

「ヒュッ、カ、っ、ひゅ」


 言葉の途中、見据えた顔がみるみる青ざめて行くのにぎょっとする。


「ルーフィちゃん?ルーフィちゃん!?」


 娘の異変に気付いたアリーニン夫人が、私の手を退けて娘を抱く。


「どうしたの、ルーフィちゃんっ」

「っ」


 ルーフィ・アリーニナは、私の挿した花を頭からむしり取って床へ投げ捨てた。

 ひゅーひゅーと苦しげな呼吸の合間に、言う。


「は、な」

「花?」

「花、に、ど、く」


 花に毒。


 言葉の意味を理解して、控えていた使用人に目を向ける。

 顔面蒼白になった使用人が、ぶんぶんと首を振った。


「そ、んな話は。無害な花だと……っ」

「ならばなぜアリーニナ嬢は苦しんでいる!いや、今はいい。医者を」

「いいえ」


 否定の声は、アリーニン伯爵から上がった。


「家へ帰らせます。ソーフィ」

「はい。エルルーシヤ、ルーフィを」

「かしこまりました。お嬢さま、抱き上げますよ」


 ぜ、ぜ、と肩を揺らして呼吸しながら、ルーフィ・アリーニナは頷いた。いままで気配を消していた侍女がルーフィ・アリーニナの身体を抱き上げる。


「ごめ、なさ……ちゃん、と、でき、な、くて」


 ちゃんと出来なくて、ごめんなさい。

 毒の影響か、感情の揺れか、頬に涙を、額に汗を滴らせたルーフィ・アリーニナが絞り出せば、立ち上がって娘の手を掴んだアリーニン伯爵夫人ははっきりと首を振った。


「良いの。良いのよ。よく頑張ったわ。すぐ、お家に帰りましょうね。もう少しだけ頑張ってね」


 優しく娘に告げたアリーニン伯爵夫人は、片手で娘の手を握ったまま、簡易的な礼を取った。


「娘の大事なので、お暇させて頂きます。申し訳ありません」

「毒なら、早く処置した方が、」

「王都の街屋敷に、植物に詳しい薬師を抱えております。はやく彼女にさせたいのです。どうか、お許しを」


 片手で娘の手を握りしめたまま、深々と頭を下げるアリーニン伯爵夫人の横で、アリーニン伯爵までもが頭を下げる。


「陛下との謁見には、私が残ります。どうか妻と娘は、下がらせて下さい」


 そうして頭を下げる伯爵夫妻の横で、ルーフィ・アリーニナは絶え絶えの息を吐いている。

 ここで要求を拒めば、結果がどうであれ王家とアリーニン伯爵家にしこりが残るだろう。


「経過は早馬で伝えさせます。信頼出来るものの許で、落ち着いて治療を受けさせてやりたいのです。箱入りで育てた娘で、ここでは気も休まりません」

「わかりました。ルーフィ、どうか無事で」


 意識もおぼろと言ったていにもかかわらず、ルーフィ・アリーニナは顔を上げ、母へと目礼を見せた。夫人も感謝を口にして、深々と礼をした。

 そうしてルーフィ・アリーニナと彼女を抱えた侍女、アリーニン伯爵夫人の三人は、足早に立ち去る。


「お騒がせして、申し訳ありません」


 立ち去る妻子を見送って、アリーニン伯爵は今一度頭を下げた。


「いいえ」


 母が硬い声を上げ、床に打ち捨てられた花を見下ろす。


「ルーフィの不調の理由が本当に花であるなら、こちらこそとんでもないことを」

「おそらく」


 椅子に戻り、母と同じように花を見下ろしたアリーニン伯爵が、低く言う。


「娘は毒とわかっていて、花を受け取ったのでしょう」

「まさか」

「さほど強い毒ではないはずだったのでしょう。だから、一輪髪に挿すくらいなら、帰るまで耐えられるだろうと考えたのだと思います。けれど病み上がりで抵抗力が落ちていて、過敏に毒に反応してしまった」


 花を挿した私に礼を言ったときの、強ばった顔を思い出す。毒花を髪に挿されたから、あんな顔をしていたと?


「毒なら毒と言えば良かったでしょう」

「それで」


 アリーニン伯爵の瞳が、私を見、それから、真っ青な顔で震える使用人を見た。


「何人が罰されましょうか」


 まず間違いなく、花を摘んだ使用人は罰されるだろう。それからおそらく、周りに控えていた使用人と兵士も。当然ながら毒花を植え、育てた庭師たちも、罰を与えられることになる。

 わざわざ呼び寄せた相手。それも、他国から縁談の来ている令嬢に、気付かず毒を差し出すなど、とんでもない恥だ。王族にそんな恥をかかせたなら、責任は厳しく追及しなければならない。


「なにもない振りでやり過ごし、あとから秘密裏に指摘すれば、罰されるものは減るはずです」

「そのために、毒を受け取ったと?」

「そう言う娘なのです、ルーフィは。我が身を削ってでも、救える限り、ひとりでも多くに、手を伸ばそうとする」


 母も私も言葉をなくす。ルーフィ・アリーニナは伯爵令嬢だ。由緒ある血筋の父母を持つ、生粋の貴族令嬢。下々のものに気を配らずとも、許される立場の子。


「王妃殿下、ルーフィが領地の食料支援をしたことは、すでにご存じでしょう?」

「ええ。聞いております。かの地の民はみな、ルーフィにこの上なく感謝し、神のように崇めていると」

「はい。ルーフィ宛に、感謝の手紙が届きました。紙も高いですから、みなでお金を出しあったのでしょうね。一枚の紙に、大勢の連名がされて、つたない字で感謝の言葉が綴られていました。その手紙を読んで、ルーフィは泣いていました」


 喜ばれて、嬉しかったのか。

 優しい娘だと言う話かと結論付けた私を笑うように、アリーニン伯爵は続ける。


「努力が実って、感謝されて、それに感動したのだと思うでしょう?」

「違うのですか?」


 母も同じように思っていたのだろう。問い掛ける母へ、アリーニン伯爵は頷いて見せた。


「こんなことでこんなに感謝させては駄目なのだと、ルーフィは泣きながら言うのです。食べ物があることは当然でなくてはいけない。飢える心配をせずにみなが生きられることが、あるべき姿で、彼らはこんなことで感謝してはいけない。もっと多くを望んで良いのに、自分の力ではまだ届かないのだと、悔しがって泣くのです」

「それ、は」


 母が色をなくして、言葉を途切れさせる。

 誰もが飢えずに生きられる世界。そんなものは、夢物語だ。すべてを救おうなど無謀で、そんな考えで領地を治める貴族などいない。

 ルーフィ・アリーニナならば貧困層をなくせるかもしれないと言っていた母も、彼女の理想が事実そうであるとは思っていなかったのだろう。

 理想?いや、彼女はそれが当然だと、あるべき姿だと言っているのだ。間違っているのは今の姿の方だと。

 愚かな、考えではないか。

 富めるものがあれば、貧しきものも必ず生まれる。そんな常識を、ルーフィ・アリーニナは理解していないと言うのか。


「妻は泣いている娘に、あなたは十分やったと声を掛けました。けれどルーフィは当たり前のように、少しも十分ではないと言うのです。こんな感謝の手紙が届くようでは、全く駄目だと」

「日々のかてに感謝するのは、大事なことでしょう」

「ルーフィも、日々の糧には食事のたびに感謝していますよ。道徳としての感謝を否定しているわけではありません。食べ物を欠いて命を失うところを救われたと言う感謝を、多くの人間が覚えねばならない状況が問題だと」


 アリーニン伯爵が、眉を寄せる。


「言われてみればその通りです。領主として私は、領民の心まで守るべきですから。明日の糧への不安を抱えたまま生きるなど、健全な生き方ではありません。たとえ実現が難しくとも、領主として諦めてはいけないことです。私も妻も、たった十二歳の娘に言われてやっと気付きました」


 愚かだと思いますかと、アリーニン伯爵は母に、私に、問い掛ける。


「愚かな娘と思うでしょう。本当に、愚直に、救い様のないほど、優しい娘です。だからこそ」


 アリーニン伯爵の視線が、私と母を縫い付ける。


「あのこは王宮では生きられません。本人も言っていた通り、いくら見た目がふさわしかろうと、才がたぐいまれなるものであろうと、心根がこの場所にそぐわないのです。どうか、ご理解下さい」


 凍り付いたように動けない私と母の前で、アリーニン伯爵は深々と頭を下げた。


「……エーデルシュヴァルツの縁談は関係なく、ルーフィと王家の婚姻は望まないと、そう言うことでしょうか」


 母が低く問う。


「それでも本人が望むならばと、思ってはおりました」


 顔を上げ、はっきりと、アリーニン伯爵は答えた。


「親の欲目ではありますが、大人でも驚嘆するほどの努力家です。もしも本人がその場所に在ることを望むなら、必要な努力は惜しまず、どんな努力も苦とは思わないでしょう。けれどわがままな娘ですから」


 苦笑する顔はしかし、娘への愛情にあふれて見える。


「望まぬ場所で努力を強いられれば、たちまち折れてしまうでしょう。だからこそ、エーデルシュヴァルツ閣下にも、陛下、あなたにも言ったのです。娘が望まぬならば、どんなに良い縁談であっても受けることはないと」


 女の子だから、お姫さまに憧れそうなものですが。

 さらりと美しい金髪を揺らして、アリーニン伯爵が首を傾げる。


「歳の割に大人びた考え方をする娘で、美しい場所への憧れよりも、その場所に立つことで生じる義務や責任への恐れが勝つようです。王妃などとても自分には務まらないと」

「わたくしは、そうは思いませんが。聞く限り、ルーフィの能力はとても優秀です」

「ええ。優秀な子です。限られた分野では」


 切り捨てるように付け足された一言に、母が目をすがめる。


「意欲を持って取り組めば、なんでも人並み以上にこなして見せます。けれど意欲を持てぬことは、そもそもやろうとしないのです」

「それは、でも、やれば出来るのでしょう?」

「出来るでしょうね。もし、自分の目標のために必要であれば、いくらやりたくないこと、苦手なことでも、努力でやり遂げて見せるでしょう」

「ならばなにも、問題などないでしょう」


 母が告げる言葉に、そうですねとアリーニン伯爵は頷いた。


「おっしゃる通りです。なにも、問題などありません。本人の心をなきものとして扱うのであれば」

「貴族であるならば家のために嫁ぐのは義務でしょう」

「ええ。そして」


 アリーニン伯爵が、目を細める。


「ルーフィは立派にその役目を果たしました。なにせ大国エーデルシュヴァルツの、王に溺愛される王弟閣下との婚姻を、向こうが是非にと乞うかたちで引き寄せて、おそらくルーフィが嫁ぐことで得られるなかでは最高の見返りを、閣下に約束させたのですから」

「王家との婚姻よりはるか遠い異国の辺境公爵夫人の方が、価値があると?」

「そうは思いませんが」


 アリーニン伯爵の言葉には、迷いも焦りも感じなかった。


「ルーフィは、婚姻など結ばずとも、すでに十二分に、家に貢献してくれています。違いますか」

「……違いません」

「その上、他国とは言え王族との婚姻です。これ以上を望むのは、ルーフィの献身へ仇で返すようなこととは思いませんか。あのこはもう、私たちが与えた以上のものを返してくれたのだから、ここからさきの人生は、自分のために生きて良い。私は、そう思っております」


 だから、とアリーニン伯爵が私を見る。


「殿下と話させて頂いた娘が、閣下より殿下と婚姻を望むなら、エーデルシュヴァルツとの縁談は断るつもりでした。それは、偽りのない事実です」


 あくまで真摯に言ってアリーニン伯爵は、いま一度頭を下げた。

 私も母もなにも言えないうちに、父の身が空いたと侍従が呼びに来る。立ち上がるアリーニン伯爵に母が付き添い、私はその後ろへと付き従った。

 

 

 

つたないお話をお読み頂きありがとうございます


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