白鳥になった醜いアヒル
話し掛けて来る令嬢令息と会話しながら、アルノリトに話し掛ける隙をうかがう。
が、これがなかなかどうして難しい。
まず、いつ目を向けても、アルノリトは誰かと交流しているのだ。
多いのは令嬢のダンスの相手。ダンスをしていないと思えば令息に囲まれて談笑。そしてまたダンスの相手。能動的に動かずとも、ひっきりなしにひとがアルノリトへ寄って行く。
気持ちはわかる。なにせこの会場内の令嬢令息全員集めても、アルノリトに叶う美貌のものはいないのだ。しかもアルノリトは、誰が話し掛けても始終穏やかに愛想良く対応している。
顔も性格も良く、母の言葉を信じるなら能力も高いらしい。誰もが関わりを持ちたいと思っても、仕方がない。
それでもどうにか隙を見付け、アルノリトに話し掛けるべく歩み寄ったとき。
ざわりと津波のように、会場をざわめきが伝播した。
発生源は広間の入り口。周囲につられて視線を向けて。
息を呑み、言葉を失った。
さきほどアリーニン家の娘を連れ去った、長身の男。この男も、ぞっとするほど整った顔立ちだが、問題はそこではない。
男が腕に抱く、少女。
ふわりと豊かに広がる巻き毛。色は陽光を紡いだような金色。その巻き毛に縁取られた顔は雪のように白く、薔薇色の頬が愛らしい。髪と同じ金の長い睫毛に囲まれた瞳は、良く晴れた空の色。ふっくらとした唇は、まるで熟れた桜桃のようにみずみずしい。
誰もがその背に、翼を探した。
それほどに美しくも愛らしい、天使のような少女が、男の腕のなかにいた。
会場中が少女に見惚れて立ち止まるなか、一直線、美しい少年が少女へと駆け寄る。
少女とまるで対のような、美しい少年。アルノリト・アリーニンだ。
アルノリトは男の前で立ち止まると、口を開く。
「ルーフィ、探したよ」
彼が口にしたのは、彼の妹の名で。
「申し訳ございませんお兄さま。この方とお話ししておりましたの」
そして当たり前のように、少女はその呼び掛けに応えて。
だって、ルーフィ・アリーニナは、白髪茶肌の不美人であったはず。しかも、みすぼらしい短髪の。
ざわめきと困惑に答えを与えることはなく、アリーニン家の兄妹と魔王のような男は会話を進める。
男がルーフィ・アリーニナに一目惚れした。求婚するつもりだと。
そんなもの。私だって。こんな外見と知っていれば。
「お兄さま、この会場で唯一この方だけが、白い短い髪と日に焼けた肌に、顔をしかめませんでしたの。とても、寛容な方です」
天使は微笑んで言う。
会話を盗み聞きしていた男全員が、その言葉にピクリと顔をひきつらせた。顔をしかめた覚えが、あるからだろう。
そして天使は、そんな男たちを地獄に叩き落とす一言を発する。
「お兄さま、わたくしの人生を託すなら、わたくしはこの寛容な方が良いのです」
外見で顔をしかめるような、狭量な男は願い下げだと。
天使を抱いた魔王は、天使がいとおしくてたまらないと言いたげな顔で、そんな天使を見ている。いったい何人が、その役目を代わりたいと思ったことだろう。
「では、愛しいひと?一曲お願い出来ますか?」
「喜んで」
そこからは完全に、ふたりだけの世界だった。
微笑み合って踊りながら、楽しげに会話を交わしている。ほんの短時間で、そんなに関係を深めたと言うのか。
天使と魔王のようなふたりだと言うのに、寄り添う姿は幼い頃からの許嫁のように自然だ。
もし、あの男より先に、私が話し掛けていれば、立場は逆転していたのだろうか。
曲が、終わる。
母の言葉を思い出す。
アリーニン伯爵に、話は通してあるはずなのだ。
遅れは取ったが、今からでも、ダンスに誘って一曲踊れば。
あの魔王のような男より、私の方が歳も近い。エーデルシュヴァルツなんて遠くに嫁ぐより、国内の方が良いはず。それに、私の妃になれば未来の王妃。誰もが憧れる、国中の女性の頂点だ。
だから、私がダンスに誘えばきっと。
「ルーフィ、近いうちに、必ずまたお会いしましょう」
男が天使に、別れの挨拶を告げている。
「お待ちしておりますわ」
完璧な淑女の礼。ほらやっぱり、彼女は王妃にふさわしい。
歩み寄る。
「ヴォルフさま」
そう口にしたあとの彼女の笑みは、呼吸も忘れるほど美しかった。つい、足が止まる。
「わたくしも楽しかったですわ。さようなら」
天使の兄妹が歩み去る。みな惚けて、誰ひとり追い縋れやしない。そんななか、魔王だけが動き、広間の一部始終を見守ることの出来る場所、玉座へと歩み寄る。
「ルスラーン陛下」
「なにかね、エーデルシュヴァルツ公」
「願わくば、ルーフィ・アリーニナ嬢に求婚する許しを頂きたく存じます」
ざわりと、会場が揺れる。
ここで、それを、言うのかと。
父はわずかながら険しい顔をして、答える。
「アリーニナ嬢は、内々にではあるが第一王子妃にとの話が、上がっている」
「本人は知らないようでしたが」
「……アリーニン伯爵の意向だ。望まぬ結婚はさせたくない故、婚約の打診がある旨は伝えず、顔を合わせた正直な感想を聞いて判断したいと」
父の言葉に、魔王は笑った。嬉しそうに。
「つまり彼女が私との結婚を望んでくれれば、アリーニン伯爵は婚姻を許して下さると言うことですね」
「それは」
「もちろん」
にこやかに、魔王は語る。
「見返りなしにとは言いません。伯爵家の大事な姫君を貰い受けるのですから、伯爵家には当然のこと、貴国にも、納得して頂ける対価をご用意しましょう」
「だが」
「アリーニン伯爵は、顔合わせをした感想を聞くと伝え、陛下はそれを受け入れたのでしょう?」
魔王が私を振り向く。赤い瞳が、私を見据えた。
「彼女は自分の人生を託すならこのヴォルフガング・アマデウス・エーデルシュヴァルツが良いと。会場のなかで唯一私を選ぶと、言って下さいました」
この、男は。
母と私が彼女に話し掛けようとしているとわかっていて、目の前で彼女を連れ去ったのだ。
男が玉座へと視線を戻す。見上げているのに、まるで上に立っているかのごとき貫禄。
「それが答えでは?それとも」
見た目だけではなく、男は魔王のような男だった。
「伯爵の意向も、アリーニナ嬢の希望も、すべて踏みにじって、王家の希望を押し通す、と?」
言外に、それを我が国が許すとでも?と言いたげに、魔王は嗤って首を傾げた。
ああ、と父が敗けを悟った顔をする。
なぜ、母が、誰より先にと気を張っていたのか、今さら理解する。
アリーニン伯爵が本人の意思を尊重する意向である以上、公の場でルーフィ・アリーニナが望みを言ってしまえば、彼女の望みを覆せなくなるのだ。
そして真っ先に彼女の手を取ったこの男は、まんまと会場中の耳を集めた場で、ルーフィ・アリーニナから言質を取った。その時点で、この男の勝ちが決まったのだ。
それでも国王としての意地か、父は食い下がった。
「彼女の意思は出来るだけ尊重する。が、国として、大きな損害を出すわけには行かない。彼女は我が国に必要な存在だ。貴国にその補填が出来ると?」
魔王は罠にかかった獲物を見るかのように、すうっと目を細めた。
「ええ。必ずや、貴国を納得させるだけのものを、ご用意致しましょう。当然、交渉の席には、着いて頂けるのでしょう?」
誘導されたと気付いても、否とは言えない。
「……アリーニン伯爵とアリーニナ嬢の意思を尊重するべきと言う以上は、アリーニナ嬢が否と言えば従うのかね?」
「ええ。従います」
余裕を見せるこの男は、ルーフィ・アリーニナに断られない自信があるのだろう。
狡猾で自信家で、傲慢な男。
父もまた為政者らしく余裕を装って、重々しく頷いた。
「では、まずは伯爵とアリーニナ嬢の意思を確認する。交渉はそれからだ」
「十分です。ありがとうございます。その前に、アリーニン伯爵へご挨拶はしても?」
「公の交遊関係に、口出しする気はない」
「寛大なお言葉に感謝致します」
男が会釈し、それでは、と告げた。
「個人的なことで場を騒がせて申し訳ありませんでした。色好いお返事を期待しております」
唇に笑みをたたえ、男は颯爽と歩み去る。誰も眼中にないとばかりに、脇目も振らず。
あの男は天使に、会いに行くと告げ、天使はそれに、待っている、と答えた。
許したのだ。天使は、あの、魔王のような男を。あの男はどんな手を使ったか、無垢な天使を篭絡したのだ。
救わなければ、と思った。あの少女は天使のように美しいが、まだ幼い。きっと魔王に、騙されているのだ。
だって、あんなに美しい娘は、私の妃にこそふさわしい。
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