File3-2.蒙昧(2)
居間へ続く扉を開けると、クラノスさんが僕に手を振ってきた。
「あ、レイ君。」
「……いつの間に……。」
「たった今。お客様もたまたま居ないし?ちょっと音が聞こえた気がするし?来ちゃった。」
来ちゃったと言う割には、部屋を探索している時に階段を降りる音も気配も感じなかった。
僕の実力が劣っているだけなのだろうが、それにしたって少し気味が悪い。
あたかも全て分かられているように振る舞うその姿に。
「……凄いですね、地下に凄い沢山部屋があって。内装もお洒落だし。あ、いや、あの!勝手に開けちゃってすみません……。」
自慢気に笑って、クラノスさんは胸の前で両手をパンと叩く。
「そうでしょ!我ながら凄く良く出来た秘密基地だと思っていてね、むしろ見て欲しかったから謝らなくて良いんだよ。」
「それなら……ありがとうございます。」
「別に暇だったら案内してあげるし……ってもう一通り探索したのかな。カーミラと私の部屋も見たの?」
その言葉に、あの妙に新しいバニラとペンキの臭いを思い出す。
「書斎……っぽいやつと、アトリエみたいな部屋……の……?」
「そうそう。書斎っぽいのが私の部屋で、アトリエがカーミラの部屋。」
お洒落でしょと得意気に笑う彼に、僕は頷いた。
「……突き当たりを左に曲がった部屋は風呂場……ですよね?」
「大正解。毎日温泉とか川に通うのも怠くて作っちゃった。右の部屋は使う用途が思い付かなくてそのままにしてる。」
「なるほど……。」
ここまで話して下さるのなら、あの窓達について訊いてみても良いかもしれない。
『そんな事も分からないのか。』
そんな愚直な考えが、一直線に流れ始めた空気に溶け出す。
幾らか経って、クラノスさんは上を見上げて少し首を傾げた。
「ああごめん、お客様がいらっしゃったみたいだ。もっと話したいけど、もう行くね。……窓は唯の装飾だよ。」
「……あ、はい……。」
指を鳴らすのと同時に、彼の姿が僕の前からパタリと消える。
瞬間移動。
彼の能力だろうか。
あの窓が装飾の意味一つだけならば、梯子を設置する意味がまるで無い。
地上に繋げる手間暇も__少なくとも、風呂場以外にそれを費やす必要性は無い。
クラノスさんが去った後で、このあたり何も発さなかったアナが俄然鳴き声を上げ地上へ続く扉の方へと向かう。
にゃあと鳴きながら、彼女は再び僕に示す様に振り向いた。
「……もしかして、僕も行けってこと?駄目だよ、地下に居てって言われたんだから。」
猫の鋭い視線が見えた。
「本当に駄目だって。」
逃すことなく、彼女はじっと僕を凝視してくる。
「……言われたんだよ?」
瞬きを一度もすること無く、細胞まで見通されそうな鋭い眼光だ。
「アナだって怒られるかもしれないよ?」
……。
……。
……。
「ほんとに、駄目。」
先と同じく扉にぐりぐりと頭を押し付けるかと思ったが、意外にもアナは大人しくそこから離れてくれた。
「……ごめんね、ありがとう。」
その代わりと言わんばかりに、今度は目立たない場所に置かれた棚へ徐に歩き始める。
そこを漁って彼女は一枚の紙を取り出すと、それを咥えて僕の目の前に駆けて来た。
「何でも屋?」
咥えていたのは、何でも屋という組織についての記事。
何でも屋、別名メモリーズと呼ばれているその組織は、その名の通り”どんな依頼も受け持つ”……と言われている四人組らしい。
頭領と思われる男、医者に似せた白衣姿の男、武術に優れた女性が二人。彼等はそれぞれ、ダイヤ、スペード、クラブ、エースと呼び合っている。
頭領の種族は悪魔だとか、少女は魔法が使えないだとか、様々な噂が飛び交う中でたった一つ確実なのは__
人間と大差無い姿をし、一度も殺しを行ったことがない、という情報。
「何か……凄い組織だね。」
僕がアナに笑いかけると、彼女は僕の横を通り抜け、ソファの方へと走り去っていく。
にゃあともう一度だけ鳴いて、彼女は再び僕を凝視した。
新聞を読み始めてから、果たしてどのくらいが経過しただろう。
噂の何でも屋についての新聞や資料は底を尽きることを知らず、特段他にしたいことも無い僕はソファに座ってずっと読み続けていた。
いつの間にか膝の上で丸まっているアナは、たまに欠伸をしながら鳴くだけで、導くようなことはしてくれない。
今読んでいる老いて破けた記事には、その何でも屋が重大な事件の解決に貢献した……と思われる事が書かれている。
赤と言う言葉が題名に使われていることは分かるが、余りに破けて読解が困難になっており、詳細までは掴めない。
「……義賊、か。」
そんな彼等の記事を読み進めていく中で、義賊という印象を受けた。
密告、盗賊、捕獲……確かに彼等の行為は犯罪だ。しかしそこに、卑劣さは見えない。
密告は著名人の非行を、盗賊行為は誰かが盗まれた物を盗み返し、捕獲は脱走した犯罪者が対象で……。
殆ど警察と相違ない働きをする彼等は、僕が一昨日まで想像していた魔物とはまるで違う。
それこそ、あの四人と同じく。
〜*
「レイさーん!こんばんは!」
そのまま新聞を読んでいると、カーミラさんが数時間振りに僕に姿を現した。早朝の訝しげな眼差しはすっかり消え、いつもの明るい笑顔を浮かべている。
「あ、カーミラさん……。」
「お元気そうで良かったで……ん?」
僕に近付いて来たところで、彼女は机上に広がっている資料を見て首を傾げる。
「もしかして、棚開けました?」
「あ、はい……。えっと、アナが教えてくれて。」
ああと彼女は独りでに呟き、僕の膝の上で大人しく丸まっているアナへ視線を向けた。
「……まあ、地下ってそんなに面白い物ないですしね。」
特段気にも留めていないその様子に内心安堵しつつ、それならばと汗を掻いた口を改めて開いてみる。
「何でも屋……の、記事ですよね。」
それに動きが止まって、彼女はちょっと困った様子で苦笑した。
「そうです、何でも屋。気になっちゃいました?」
「ああ、その……はい。何か、凄いなって思って。」
そのまま数秒間沈黙が続き、忙しい足音が聞こえてくる。
と思った瞬間には、カーミラさんは僕の目の前に顔を近付けていた。
「ですよね!私も凄いなあって思います。かっこよくないですか?大好きなんです私!」
ソファの座面に手を置いて、照明一つに理由を背負わせられない程眼を輝かせながら。
「そんなに気になるなら、一緒に簡単な遊びでもしながら話しませんか?トランプとか!豚のしっぽって知ってます?」
「順番にカードを引いていって……一つ前のカードと同じマークか数字が出た時に、場にあるカードを全部回収する……みたいな感じでしたっけ。それで、枚数が少ない方が勝ちだったような……。あ、ジョーカーが出たら、自分の持ってるカードを全部場に戻せるんですよね?」
「それです!お話だけしてても飽きちゃうので、折角ならそれしながら話しましょう!」
〜*
数分も経たない内にカーミラさんは自室からトランプを持って来ると、手慣れた様子でそれを切り、綺麗にドーナツ型に広げた。
彼女の合図でゲームが始まり、次々とカードが中央に置かれて厚みを増してきたが、僕らの手の中には一枚もトランプが無い。
先に条件を満たした方が、まず間違いなく負けるだろう。
「……あ、それでですね。新聞を見たなら分かると思うんですけど、何でも屋っていうのは、その名の通り何でも行うお店なんですよ。……殺し、以外は。」
意味の無いジョーカーの上にスペードの四を置きながら、カーミラさんは途端に告げた。
「例えば盗みとか、討伐とか。後は純粋に誰かを助けることもします。でもやってる事は普通に犯罪だから、賛否両論激しくて。私は凄く格好良い!って思うんですけど。」
クラブの三を引いた。
「詳しいですね。」
「有名なので。……あ、あと!みんな顔は分からないんですよ。噂はあるけど。あれだけやってたら、一人くらい知っててもおかしくないのに。」
その上に、反対側から引いたダイヤのエースが重なる。
「……どうして殺しは行わないんですか?」
「さあ……多分、彼等なりの規定とかじゃないですかね。」
もう一枚引いて、その上にダイヤのキングを置いた。
「……あ、被った。」
「もうジョーカーは引いてしまいましたね!」
手で持つには丁度良い厚みのそれを手に取って、思わず笑みが溢れた。__負けだ。
僕の様子に彼女も失笑して、トランプを指差した。
「続けますか?」
「カーミラさんがしたいなら。」
「ふふ、じゃあやめにします。」
大人しくカードをカーミラさんに渡すと、机上の物と合わせて素早く切り始める。
「レイさんは、何でも屋に入ってみたいって思います?」
その最中、ふと思い出したように彼女は僕に訊いてきた。
えっと、
「いや、やっぱり忘れて下さい。次は何をしましょうか。」
目が合うのと同時に言葉が彼女に飲み込まれて、そのまま僕は何も発せなくなってしまう。
その明るい笑顔から微かに覗いた蒼い鷹は、一体何を示しているのだろうか。