File3.蒙昧(1)
*本気で文章が思い付かないので一度投稿します。半端な所で申し訳御座いません。
*一部文章の加筆・修正を行いましたので、宜しければご覧下さい。
(2話における登場人物の容姿の説明の追加
1話の説明の追加等)
*一部本来の使用方法とは異なる漢字が御座います。
「無い!失い……ない!ちょっとクラノスさーん!」
僕の目を覚まさせたのは、カーミラさんの大声だった。
部屋の扉はいつの間にか開かれており、枕元に小さく丸まっていたアナもどこかに消えてしまっている。
忙しなく廊下を駆けていった彼女の後についで外に出ると、アナがにゃあと鳴きながら僕の足元に擦り寄って来た。
「心配したんだよ?……昨日はありがとう。」
一度撫で、僕はカーミラさんを追いかけていった。
地上の喫茶店に出ると、昨日とは異なり背中に革鞄を背負って学生服に近い格好をしたカーミラさんが、これまた目新しく黒いエプロンをかけたクラノスさんに声を荒げていた。
「バッチ?さあ……知らないな。あ、おはようレイ君。」
「ええっ、昨日絶対部屋に置いたのに……あっ、どうもです。」
はぁとため息をつくカーミラさんに相反して、僕に軽く手を振りながら笑顔で挨拶をするクラノスさん。
一体どうしたのだろうか。
「何かあったんですか……?」
「実は大切なバッチを無くしてしまって……。ハートの形をしていて、赤くて、金の縁のやつなんですけど……。」
ハート型で金縁。
「……もしかして……。」
それは、晩アナから渡された物と全く同じ特徴をしていた。
あれは確かに、寝る前に懐にしまった筈。
仮に本人の物であれば盗ったと冤罪を掛けられるかも知れないが、このまま黙認する方が余程不味いだろう。
謝罪を吐き出しながら、僕はそれを取り出__
せなかった。
無い。
ない……ない!?
上半身全てを触っても、バッチ如き硬い感触はまるで感じられない。
ベットの下にでも落としてしまったのだろうか。
仮にあれが本当にカーミラさんの物ならば、責任が取れない……!
「また貴女ですか!勝手に盗らないで下さい!」
一人で慌てふためく僕を他所に、カーミラさんが再び声を上げる。その声に再び彼女を見ると、アナとカーミラさんが睨み合っていた。
「もうこの子ったら……!」
バッチ。
首根っこをつかまれて機嫌が悪そうなアナの口には、僕に渡してくれたあのバッチが咥えられている。
夜の細やかな感情は唯の思い過ごしだったかと同時に、では何故渡してくれたのかと懐疑心が募った。
互いに睨み合いをしている様子を見て笑いながら、クラノスさんは赤い液体が入った小瓶をカーミラさんに投げる。
「カーミラ、今日は朝早いって言ってなかったけ?」
それをキャッチするのと同時に、アナが鳴き声を上げながら地面に落ちた。
「にゃあ!?」
「そうでした……!遅刻出来ないので、行ってきます!」
その様子を諸共せずに、カーミラさんはカウンターに手を付いて飛び上がると、こちらを見向きもせずに外へと駆け出していってしまう。
「……凄い……。」
かあらんからん徐々に勢いを無くしていくドアベル合わせて、彼女の姿もまた見えなくなってしまった。
「仲良いね。ほらアナ、大丈夫?」
「にゃあ……。」
先程の衝撃で地面に液体の如く広がったアナを、クラノスさんが優しく抱き上げる。
「あの、カーミラさんはどこに……?」
「学校だよ、まだあの子学生だから。人間で言ったら確か……十六歳くらい、だったかな。」
「学校……。」
唖然とする僕を見て、彼は小さく声を上げて笑う。
「幾らか学んでいないと、こんな事出来てないしね。もしかして学校とか無いと思ってた?」
「……そう、ですね。すみません。」
「別に謝らなくても良いんだけど。」
アナを片方でしっかりと抱きながら、クラノスさんはカウンターに置かれていた切れ味の良さそうなナイフを手に取る。
「ああそうだ……レイ君、今血だけ飲んでくれる?お腹空いちゃうだろうし。」
「……え、あ、ああ……。分かりました。」
それで何をするかと思えば__
首筋に包丁を……刺したのだ!
「えっ!?」
深々と突き刺さった包丁の隙間から衰えることなく溢れ出ている鮮血。この状況下でも平然そうな本人と、自然と開いていく僕の眼。
「月一コップに淹れるのも手間が掛かるから、このままお願い。あ、ナイフは抜いてね。」
「え、あの……大丈夫ですか?」
「うん、全然平気。それより早く飲みな?」
それには昨日理性も忘れて飛び付いたとは言え、やはり抵抗感は拭えないまま。
しかし、どう頑張っても目が離せない。
このまま喉の渇きを放置して昨日の様に暴れてしまったら、きっと迷惑を掛ける。
「うっ……じゃ、じゃあ、そう言うことなら……。」
そんな頭の釈明を飲み込んで、僕はナイフをゆっくりと引き抜いた。
歯を肌に沈めて、滲む血液を舌先で掬い取る。
甘味が口内を支配するのと同時に、数秒前の下らない羞恥心が消え失せる。
狂気に隠れていた背徳感がスパイスとなり、全身の細胞を刺激した。
「……ご馳走様です。」
「はい、お粗末様でした。」
中毒に陥る寸前に、僕は牙を首から離す。
「それでさ……悪いんだけど、今日はちょっとアナと下にいてくれるかな。」
口許から流れ出た血を手で拭うのと同時に、クラノスさんが僕の方を向いて申し訳なさそうに言った。
「昨日言った気がするけど、この喫茶店は私が運営していてね。少ないけどお客様は来るし、滞在時間もそれなりに長い。そんな彼等がなりかけの君を人間だと勘付いて襲って来ても別に不思議な話じゃないんだ。時々様子は見に行くから、お願いできる?」
「……分かりました。」
アナを僕に手渡し、クラノスさんは一見瓶が陳列しているだけの唯の棚を引く。すると、あの地下へ続く階段が姿を見せた。
「これ凄いでしょ?」
「……本当に、そうだと思います。」
そこに向かおうとしたところで、クラノスさんが僕を呼び止める。
「レイ君の能力って何?」
その言葉に体が硬直した一瞬に、脂汗が滲んだ。
「ああ、ごめんね。君が昨日“馬鹿げた能力”と揶揄していたからさ。」
確かに、言っていなかった。
事情を話した相手に隠す言い訳も特に思い浮かばず、階段を凝視しながら僕は告げた。
「ナイトメア……って、知ってますか?」
空気の振動が止まって、静寂が場を支配する。予想通りすぐに答えは返って来ず、刹那が心臓の鼓動を脈々と高めた。
「分かった、ありがとう。引き止めてごめんね。」
しかし、この妙な疑問符は何なのだろう。
〜*
……そう言う訳で、僕達は地下に移動した。
昨日はよく見てなかったが、アンティーク調の家具で満たされた部屋は落ち着きがあり、到底地下に作られた空間とは思えない。
ソファやら棚やらが置かれたこの部屋は、一見すると居間の様だ。
特段することも無いなと立ち尽くしていたら、アナが僕のズボンを口で引っ張ってきた。
「どうしたの?」
その仕草と真っ直ぐこちらを見つめてくる青い瞳は正にこっちへ来いと言っている様で、僕は促されるままに着いて行く。
「にゃー。」
アナが立ち止まったのは、昨日焦燥の中通り抜けた扉の前。
「確かに、どんな部屋があるかはよく分かってないけど……開けて良いのかな、許可貰ってないよ。」
僕の言葉をすっかり無視し、彼女は閉まっている扉に顔面を押し当て懸命に足を動かし、その先に進もうとする。くぐもった声が、空気が入り込めた僅かな隙間から漏れた。
「…………う、うん。分かった、分かった。開けるよ。」
僕へ向けられたその瞳は、先程よりも輝いているように見えた。
〜*
開けてみると、宿屋のような印象を持った。
廊下は二人程が通れる幅になっており、壁のランタンが淡く照らしている。
左一つ、右に二つそれぞれ扉があり、突き当たりには地下というのにも関わらず窓が設置されていた。その先には岩を背景に梯子が掛けられている。
窓の左右にも道が広がっているようだ。
「そう言えば、医務室にも窓があったような……。」
「にゃ。」
左手の扉を開けると、そこにはつい先刻まで僕が過ごしていた医務室が広がっている。やはり、そこには窓が置かれていた。
岩石と梯子だけで構成される不恰好な景色に大差は無く、設置された意味もまるで見当がつかない。
開けようと手を伸ばして__
『そこの窓は開けないでね。』
クラノスさんの言葉を思い出した。
医療関係の物を無理に触る気にはなれず、僕は部屋から出て、正面に見え始めた二つの扉の前に立つ。一見唯の木の扉だが、よく確認するとそこには小さな飾りが掛けられていた。
右は黄色いダイヤ、左は赤いハート。
何となく選んだダイヤの扉をそっと開けると、焦茶色の洒落た部屋が姿を見せた。
少しのワインボトルと背の高い本棚、書斎机と座り心地の良さそうな赤いソファ。ベットの上には、白表紙の分厚い本が放置されている。
「……部屋……?」
僕にそうだと言わんばかりに鳴くと、前を歩くアナはずかずかと中へ進んで行く。
後を追い掛けると、バニラの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
少しだけ散らかった机は“始末書”と大きく書かれた紙を下敷きに赤いペンが置かれ、金色の小さなランタンの蝋は少し煤けている。
生活感のある書斎は、クラノスさんかカーミラさんの部屋だろうか。
ハートの扉の先に行くと、絵の具のあの独特な匂いが鼻をついた。
壁は所々色彩豊かなインクで汚れ、部屋の中心に置かれたイーゼルには新しいボードが立てかけられている。
厚いボードが置かれた背の低い棚と、様々な大きさの筆が刺さって混雑したケースはとりわけ色とりどりになっていて、一口のベットとクロゼットは華奢だった。
「アトリエ……どっちの部屋だろう。」
突き当たりを左に曲がり、他の部屋と離れていたその部屋の重い扉を開けると、湿った空気の中に大きなカーテンが掛けられていた。
その先には人一人が入れるくらいの大きく濡れた木箱が置かれ、壁には相変わらず窓が設置されている。
「お風呂……っぽいね。」
「にゃー。」
ふと窓を見る。
先に梯子は無く、岩石がコントラストを持っていた。
……開けることは禁止されていても、先の景色を見るなとは言われていない。
本能的に窓の縁に手を掛け見上げると、石と緑の半月の隙間から僅かに水色が見えた。
__空だ。
これは地上に繋がっている。
とすれば、もしかすれば先程の窓も。
出られる。
『なりかけの君なら、誰かが人間だと勘付いて襲って来てもおかしくない。』
「……あ。」
しかし、僕にそれを行う勇気は無かった。
部屋を出て、今度は突き当たりを右に進んだ部屋に進む。
扉に飾りは無く、開けてみると中は伽藍堂だった。埃を被った部屋に光は在らず、逆光で何とか視認が出来る状態になっている。
ここには何も無いと、大人しく部屋の扉を閉じた。
居間、医務室、(多分)風呂場、二人が過ごしているであろう部屋に空室……。
一つひとつの大きさはそこまででは無いものの、地下にこれだけの施設が揃っていれば十分御殿と言えるだろう。
気になるのは、地下にも関わらず設置されている複数の窓。
岩石と梯子だけの粗末な風景を写した格子は、もっぱらこの地下に設置する意味は無い。
強いて風呂から立つ蒸気を追い出す為に置いた、くらいしか理由が見つからない。
「君が喋れたら良かったのに。……もうきっと、部屋はないよね。居間に戻っても大丈夫?」
マイペースに尻尾を揺らして、アナは元気良く鳴いた。