File6-1.古耄碌(1)
それは、キスとか口づけとか接吻とか、そういう言葉で表される行為だった。
「にゃあ。」
「うあ……。」
気味が悪い。見知らぬ女性に勝手に唇を奪われ、しかもそれが人生で初めてになるなど。
当然気丈にいられる訳も無く、口元を反射的に手で隠す。
だが、彼女の行動に驚いたのは僕だけではなかったらしい。
「え、あの、玉参さん……?何してるんですか……?」
他でもない僕以外の全員、特にクラノスさん。玉参さんの側まで近寄より、まるで普段の余裕綽々な顔をひっくり返したように唖然としている。
「最近人間不足での、少し味見をさせてもらった。吸血鬼の味しかしなかったが。」
「そりゃそうですよ。大丈夫?レイ君。」
「……あ、はい……。」
その時、一瞬だけ玉参様が目を伏せ__そして何かを言っているように見えた。
「ところで、ウチに依頼があると聞いたが。」
「……ああ、この子の能力についてです。随分珍しい物だから、玉参さんなら何か知っていると思って。」
彼女は僕に向き直り、打って変わって真摯な表情のまま続ける。
「ナイトメア、随分野暮な能力を持っておるな。」
「……何で僕の能力を……。」
「その程度分かる。いいかレイ、確かにその能力は弱い。お主は元々人間の身、武術を鍛えなければそこらの魔物に喰われて死ぬ、隠そうと思っても噂が邪魔をし、碌な待遇も受けられん。」
伏せた顔は首肯と同一化し、あの染み付いた忌々しい記憶が頭を堂々巡りして、次の事が何も考えられなくなる。そんな僕の様子を見かねて、溜息が吐かれた。
「しかしの、何かあれば変わるぞ。もしかしたらもう変わっているかも知れんの。」
「……え?……あの__」
「転機はいつ訪れるか解らぬ。……こんな所じゃな。それにしても丁度良い、ウチもお主らに依頼があるのじゃ。」
「……それは。」
転機。……転機?
考えられる一番の転機と考えたら、きっと__
「五日前、子供が地面から突然現れた魔物にぱっくり喰われそうになったそうでな。幸いその子は助かったが、何分まだ犯人が見つかっていないらしくての。近い内、また被害者が出るかも知れん。粗方、種族の予想は付いている__モウルッシュじゃろうな。」
「モウルッシュって、巨大な口の落とし穴みたいな魔物ですよね。探せば良いんですか?」
「うむ、今夜にでも行って来い。其奴の初仕事には丁度良いじゃろ、それで手を抜かれても困るが。」
「それならもっと早く言ってくれれば良かったのに。でもね、多分私もみんなも賛成出来ないですよ。」
「何故」
「だってまだ何も知りませんし。せめて一度確かめてから行かせたいです。」
そんな事を考えていると、再びこちらに鋭い眼光が向けられる。
「小僧。」
「は、はい!」
「お主は何を使っておった?その身じゃ、戦闘経験位は持っておるじゃろ。」
「えっと……双剣を。」
「双剣か。那冀、もってこい。」
「畏まりました。」
ものの数十秒で、那冀さんは僕の目の前に黒色の双剣を差し出してくる。
黒一色で塗り潰されたそれは光をぐっと吸収して新品同様の輝きを放ち、色沢に優れていた。
「しかし、決めるのは小僧とお前達。ウチは提案しただけじゃ。」
玉参様はそう仰るものの、その雰囲気は正に殺気と変わらない。断れば殺す、口には出さない確かな圧がある。
「ひ、人手は多い方が良いかなって、思います!そうですよね?フィーズさん!」
「え?まあ、ああ、居て損はない……けど。」
今、僕は文字通り苦虫を噛み潰した顔をしているのだろう。
「ええと……。」
眼光に照らされて“嫌です”とも言えず、僕はその双剣を手に取った。
「報告書は頼んだぞ。」
〜*
「権力乱用鬼め……報告書適当に書いてやろう。」
「報告するよ。」
「冗談だって!私が仕事をなおざりにする訳ないじゃないか。でも、今回ばかりは許されても良いと思うんだけど。」
「否定はしない。」
あの城から出て早数分後、僕等は城下町を歩いていた。町は灯籠の火音が聞こえる程に閑散としていて、古風な雰囲気の民家が立ち並んでいる。
気が付けば、あの城は背後にあった。
「ごめんね、仕事をする事になってしまって。」
「いえ……。」
両手の双剣は使っていた物よりずっと重く、鋭い。
「それで申し訳ないんだけど、ちょっとお願いしたい事があってね。耳を貸してくれる?」
僕の耳元を手で囲ったクラノスさんは、小さな声で囁いた。
「呼び方を変えて欲しくてね。私は“ダイヤ”、フィーズは“スペード”、カリファは“クラブ”、カーミラは“エース”、アナは“ルーナ”……それと、もう一つ。“何があっても絶対に殺してはいけない”よ。分かった?」
『頭領と思われる男、医者に似せた白衣姿の男、武術に優れた女性が二人。彼等はそれぞれ、ダイヤ、スペード、クラブ、エースと呼び合っている。』
「……分かりました。」
「ありがとう。それじゃあ二手に分かれよう。スペードとクラブは一緒に、残りの二人は私と行こうか。」
「了解です!それじゃあ……新入り君、行きますよ!」
「う、うん……!」
優しく強い力で、僕はカーミラさんに引っ張られた。
〜*
しんと静まり返った城下町に、人の影が三つ浮かぶ。
「急に突拍子も無い事をされるから、困ったものだ。」
「何か目的があるんだよ、きっとね。……にしたってキスは意味が分からないけど。」
随分古風な街にゆらめく、西洋めいたある種普遍的な影を見て、通りすがりの骸骨はからからと鳴いた。
「行こうか。」
ぼんやりとした月光の下、口角が自然と上がる。
「さあ、仕事の時間だ。」