遺書
「私は今から死のうと思います。その前にある人に伝えておきたいことがあるのです。
タエ子ちゃんにです。
どこに住んでいるのか、家族も分かりません。唯一『タエ子』という名前だけしか知りません。本人に直接教えてもらったから確かです。
タエ子ちゃんは子どもです。タエ子ちゃんは私の生きずらさや生きる苦しみを理解してくれた唯一の人間です。タエ子ちゃんに会えなかったら、今頃私はとっくに死んでいることでしょう。泥を飲むような人生をここまで続ける気にはならなかったでしょう。ですから、伝えたいのです。
『ありがとう』と。
タエ子ちゃんは子どもでしたから、純粋な子どもでしたから、ある種の大人のように、生きることの意義をくどくどと説教するということはしませんでした。それが何よりも私にとってありがたかったのです。
結局、死を選ばざるを得ないにしても、タエ子ちゃんとの時間は決して無駄ではなかったし、むしろ何にも勝って意義あるものでした。
夕方の公園で二つ隣り合ったブランコに私とタエ子ちゃんで並んで座り、ただ過ぎていく時間を共に過ごしていくだけでしたが、私にとってかけがえのないひとときでした。
タエ子ちゃんは私と同じくいつも一人ぼっちでした。薄汚れた服を着て、ぼさぼさの髪をしていたのも、私と似ていました。
タエ子ちゃんが学校を終わって公園にやってくるのを、私はいつも楽しみに待っていました。タエ子ちゃんが、ブランコを高くこいだり、低くこいだり、得意気にこぐ姿はキラキラと輝いていました。自信に満ち溢れているその笑顔を見るのが好きでした。
季節は秋から冬になりました。タエ子ちゃんは突然公園に来なくなりました。
そして、春になりました。新入生の子どもたちが大きすぎるランドセルを背に、希望と不安を胸に秘め通学する季節になっても現れませんでした。
雨が降り続くじめじめとした日、傘を差していつものブランコに座っていたら、タエ子ちゃんが水玉模様の傘を差して隣のブランコに座りました。私は今まで公園に来なかった訳を聞いてみようかとも思いましたが、止めました。なんとなく聞かない方が良い気がしたからです。タエ子ちゃんが来てくれたことが何よりも嬉しかったので、これまでのことなんてもう、どうでも良かったのです。
それからまた時間は静かに過ぎていきました。
ある時ふと、隣のタエ子ちゃんを見ると、目からたくさんの涙を流していました。その時初めて、私たちの目が合いました。そして互いに申し合わせたように笑いました。タエ子ちゃんと私は話もせずにただ並んで座っていました。
しかしまたしばらくすると、タエ子ちゃんは公園に来なくなりました。でも私は、タエ子ちゃんが来る日を信じて、毎日待っていました。
ある日のこと近所のおばさんたちがこそこそと話しているのを聞いてしまったのです。
タエ子ちゃんが死にました。
学校の屋上から飛び降りたのだそうです。ずっと親から暴力を受け、学校ではいじめられていました。
私は生前のタエ子ちゃんの姿と、あの瞳の輝きを決して忘れません。今は亡きタエ子ちゃんを誇らしく思っています。一生忘れないでしょう……。
しばらくはあの公園には行けませんでした。とても悲しかったからです。
昨日久しぶりに行ってみたら、ブランコの近くの砂地に、少しかすれていたけれど、確かに言葉が刻まれているのを見つけました。
『ありがとう さようなら』と。
タエ子ちゃん、あの素晴らしい命の日々をありがとう。そして、さようなら」