Prelude 1 華音坊/Cannon Ball
「弾丸の街、碧空の島、宇宙人の植民地、華音坊。
数多の異名を持つこの地は、世界唯一にして最後の科学技術を保有する国・藍海の宝珠の領土である。
大陸から遠く離れて、何人もたどり着けない秘境。
直径約17520メートル、面積約240平方キロメートルのこのまん丸い島は、宇宙へ発つ人々の始発駅である」
「始発駅ってなーに?」
「駅ってのは、旅をする者が荷物を整えたり、泊まって休むところだ。始発駅ってのは最初の駅で、出発するところだ」
「何見てんの?」
「この端末に保存された情報を読み込んでんだ。オイラは機人だからねえ。血肉でできているお前から見れば、きっとおかしな光景だろう」
「まあな、おかしいと思うよ。何書いてあんの?」
「華音坊の歴史さ。歴史ってのは、過去に起きたことを、何らかの者のさじ加減で書かれたもんだぜ。真実は保証できないだろうが、クォリティはたいてい良いぞ」
「へえ、その内容は?」
「7000年前、科学の果てと呼ばれる組織は、汚染された惑星を儚み、かつてきれいだった故郷を取り戻すだめに躍起になって世界を征服した。その結果、100億もの人間は命を落とし、星は死に絶えた。その後、科学の果ては持ちうる様々な技術を駆使し、焼け野原にされた地表と赤黒く染まった海洋を5000年もの年月をかけて、少しずつ、少しずつ元に戻していった。やがて地に木々が茂り、獣は草原を駆け抜けて、海は青くなり、魚群に満たされたのは、ほんの2000年前のことだった。9000年前、救世主と奉られた人物が預言したという『神の御国』は、ついに降臨しなかったのだ」
「救世主って言っても、みんなを救うことができなかったね」
「そうだな。例えば今日の日付のこれ、A.D.9723.10.21のA.D.がそうだ。誰だかもわかんない救世主を信じる者はもういないし、かつて救世主が存在したという記憶もこれぐらいしかのこってないんだ。そしていずれ忘れ去られるんだ」
「でも、あんたは憶えているよね?」
「おいおい、オイラが憶えたところで、なんになるというんだい?オイラがどこぞの馬の骨に教えたところで、そいつはオイラのことを信用してくれるとは限らないし。いやそもそもオイラ自身も信じてない。自分を疑わずにして生きてられるか。いまのはただ、オイラが、この端末に蓄えられている情報を読み上げただけだし」
「それでも、あんたは憶えるだろ?得意そうだし」
「だから忘れるって言ったじゃないか」
「忘れるって誰が?」
「オイラが、だ」
「いや、あんたロボだろ?一度憶えたものを忘れるだなんて、それこそ物理的に無理だよ」
「あのな、憶えるっつうのは、生きている限りという前提での話だよ。オイラが死んだら、それこそ忘れるのと同じさ」
「ちょっと待って。あんた、死ねるの?」
「死ねるよ、そりゃ。水爆の爆心地にいたらオイラは巻き込まれて死ぬし、直径10キロの隕石が頭上に落ちたらオイラはぺしゃんこになって死ぬよ、間違いなく」
「それどれもが非現実的じゃないか」
「じゃあ、寿命が尽きて死ぬ」
「あんた、寿命とかあんの?」
「おいおい、何言ってんだ。オイラ、ロボだけど、人間でもあるし。ちゃんと父さんと母さんがいて、母さんの子宮から生まれたし。いまはところどころ機械に置き換えられたからと言って、加齢に伴った老化がないわけじゃないんだよ。寿命がないのは、オイラみてぇな機人ではなくてだな、それこそプログラムで書かれた心を持つ程序や、リンゴが赤くなったら地に落ちるという物理法則ぐらいしか思いつかないぜ」
「へえ。てっきりあんたは程序だと思ったよ。そのへんてこな頭に目玉がついてないから、とても人間には見えなかったなぁ」
「お前、バカにしてんのか?ほれ、この虫眼鏡でちゃんと見ろ」
「…うっわ。小さい目玉がいっぱい。きもちわりぃ。ぞわぞわするぜ」
「目玉なんて所詮は電磁波を受信するアンテナだ。お前のそれらには、悲しみや喜びとかをあらわにするという『涙を流す』機能が備わっているが、オイラにとっては不要だ」
「え?な~んで?」
「オイラは、そういうの表に出したくないから、眼孔ごと目玉を捨てたんだよ」
「え~、もったいないなぁ」
「オイラ、弱いからなぁ。感情を表に出すと、心の弱いところをつけこまれそうで怖いよ」
「なーんだ。怖いのか。ならまぁ仕方ないか。ところでさ、A.D.ってなんのことだ?」
「ああ、あれか。この端末の情報によると、A.D.はANNO DOMINI NOSTRI JESU CHRISTIの略だな。そのまま訳すと、『その年の救世主は、エス・クリスティである』だぜ。A.D.1年に、『神』っていうやつが、エス・クリスティを処女の身に宿したということを記念するために、ディオニシュス・エキグースという人が年の数え方を決めたんだと」
「決めたって誰だよそんな偉そうなやつ」
「わからん。A.D.470年生まれ、A.D.544年に亡くなったらしいぜ。9000年前の人だ。知るはずなかろうが」
「でも、いま知るようになっただろ?」
「知るようになったって、この端末の情報を知っただけだ。そもそもこのディオニシュス?とやらは本当にA.D.544年に死んだかどうかってのは、こいつの最期を看取ったやつにしかわからん。そしてそいつもとっくに死んでたぜ、9000年前に」
「なんでそんなのわかるの?」
「推測だよ。持ちうるすべての情報をもってな」
「それに散々無駄話をしてたが、肝心な華音坊の歴史ってやつはまだ聞いてないぜ」
「確かにそうだったな。いままでは100億人が屠られたことや、海が復活したこととか、そんな無駄話をしてたわけだしさ」
「なんか機嫌が悪そうだな」
「揶揄を揶揄で返しただけだよ。華音坊ってのは、2つの名前を組み合わせたものだ。まずはこのまん丸い島を命名しようとしたら、なんとなく響きの良い名前がいいって思うだろ?島の形が大砲の弾丸に見えるから、キャノンボール。でもカタカナだけだとつまらないし、漢字を宛ててみようって連中は思ったのさ」
「連中って誰だよ」
「科学文明の落し子さ。連中は科学の果てが科学を粛清してた頃は寒空の深淵向こうだったからさ。連中を始末するよう科学の果ては小隊を仕向けたらしいが、鉢合わせしなかったか、返り討ちにあったか知らんが、連中はA.D.5678年に青い海の星に戻ったらしいぜ。まだ地表をたがやしていた最中の科学の果ての目をどうやって盗んだのかはいまだにわかっていない」
「連中は外宇宙で何してたのさ?」
「さ〜。暗闇の雲で宇宙船の駅でも建ててたのかな。そっちの方は都合がいいぜ。オイラはな、いつか太陽系の外に行ってみたいんだ。こんな窮屈な島で数十年もやってられるか」
「で、島の名前の由来は?」
「おっとそうだった。連中はヤマトって国の言語の特に響きの良い名詞を沢山書き出して、なんとなく選んだとさ。華奢の華、観音の音、そして坊やの坊。華音坊。やばいですね」
「ツッコまない。オレはツッコまないぞ」
「まあ、いまや宇宙船がしょっちゅう上がったり戻ったりするから、みんな『宇宙人の植民地』なんて呼ぶようになってきたぜ。みんな青い海の星生まれなのになぁ」
「それもそうだが、なんかあんたみてえの見かけたら、人間って感じしないだろ?それこそ宇宙人って感じしね?」
「あのなぁ、オイラのどこが宇宙人だよ」
「あんたそれぐらい自覚しろよ?その頭にかぶってるなにか。帽子?マスク?兜?その下どうなってんだ?ハゲ?目からビームが出るから隠さないと行けない系?鼻は花粉アレルギーだから隠さない系?耳たぶは仏みてえにでかいからはずかしがって隠さないと行けない系?」
「お前、なんでオイラは何かを隠したがってる前提で話をしてんだ」
「だってそうだろ?隠す必要がないなら顔を出せばいいのに」
「あのな、一体いつから頭に何かをかぶってると錯覚していた?オイラはな、小さいときに目が弱くてろくにものが視えねんし、耳も弱くてろくに音が聞こえんし、鼻もガラクタでなんの匂いも嗅げなかったんだ。そんなオイラの世界に光をもたらし、声を響かせ、香りで満たしてくれたこれは、もうオイラの頭そのものなんだよ!得体のしれぬ何かを隠すために兜とかかぶってる連中と一緒にするんじゃねえ」
「へえ、あんたも苦労したなぁ」
「だからさ、オイラの頭の機械の部分の下がどうなっているか気になるんだったら、オイラを殺してバラバラにしてからじっくり観察してろ。できるもんならな」
「物騒なことを言わないでくれ」
「物騒とはなんだ。分解して観察して報告を書く。科学研究の基本のキだぞ」
「いやそういう意味じゃなくてだな、オレは気になるときは聞く。そして、教えてくれないなら諦める。なんでオレがあんたを殺さなきゃあかんってことになるんだよ」
「いやだからさ、お前に教えたところで、オイラは事実を言ったという証拠はどこにあるって言うんだ?オイラには何らかの事情があって、お前にウソをつかなけりゃなんねえってことも十分ありうるし」
「だから教えてくれないなら諦めるって言ってんじゃん」
「いーや、お前が諦めることなどありえん。気になることがあったら、それは究明せにゃならねえ。謎を謎のままにほうっておけるやつなど、オイラは一度もあったことがねえ」
「わかったよ。じゃあ、いつかきっとあんたの仮面の下の姿を暴いてみせるから、首洗って覚悟してなさいよね!」
「いいぞいいぞ、それでこそ科学者の卵だ。いい心意気だぞ」
「いや科学者になりたいとは思ってねえし」
「何を言う。この世界に科学者になりたがらない者などいるはずもない。好奇心は人の第一の欲求だ」
「あんたくっつきすぎだろ。自分が科学者になりたいからといって、みんなもがなりたがっているとは限らんぞ」
「おっと、確かにそうだったな。オイラとしたことが!頭わるすぎやしないか」
「てらすふぃあ?」
「いまお前が両足で踏みしめてるこの惑星さ」
「わくせー?」
「惑星ってのは、でかい岩石の塊だ。お前、地面が真っ平らに見えたからといって、世界も真っ平らだなんて思うなよ?」
「へえ、そんなの考えたこともなかったよ」
「おいおい、てめえ頭もってんだから、考えないと、そこら中に転がってる石ころとお前の頭となにが違うんだよ」
「それも考えたことない」
「まあ考えたくない人もいるってことさ。そもそも悩みたくないから考えないという選択肢は誰しもが持ちうるんだな、マジで。今日はそれを思い知ったぜ」
「なるほじょ」