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竜使いとおおかみむすめ  作者: 江山菰
血脈
22/24

ラディアン

 イェフィムからはるか遠く、馬でも三日はかかる海辺の都市。

 森と岩山に閉ざされる村々とは違い、大河サボデア川の河口に開けた港湾都市は緯度のわりに温暖で明るい色彩と活気にあふれている。

 港から少し離れてさらに城壁に囲まれた丘がある。

 その中央にいくつものクーポラを持ち、広大な敷地に設けられた練兵所から号令が響く王城がある。その周りには貴族の館。

 どれも穹窿ドームを多用し、温暖な地方の建築を導入している。それは、この年が海から吹く風に守られて、さほど積雪に悩まされないことを物語っていた。

 王城から離れ外周に近くなればなるほど、まつりごとの中枢の職、王の縁戚から遠ざかり下級貴族の邸宅となり、城壁の際には御用商人たちの屋敷がある。

 城壁の外は有象無象の庶民たちが暮らし、大都市にはつきものの貧民窟や色街もある。

 

 ここが、王都ヤクトゥだった。

 おそらくこの近隣諸国でも最大の貿易都市だ。

 もともと王都は内陸にあり、当時の様子は古文書にはこう記されている。


――王に近き者ども、呪い事をくし、くすしきわざをなす。

――既に人の域に過ぎ、魔と呼ぶに足る者もあり。


 そのころの王都はモルディクにあり、魔術師(ソルシエル)予見者ヴィジオネル預言者プロフェテ召喚術士エヴォークが跋扈する怪しげな都市であったようだ。

 しかし、百二十年ほど前、小さな港町だったヤクトゥへ遷都が行われた。何に起因した遷都だったのかは詳らかではないが、王室付きの予見者の言葉に従ってのことだ。

 その呪い師の能力は確かなものだったのだろう、それからの王都の発展は目覚ましく、中継なかつぎ貿易で財を成してこれだけ栄えている。結果として、これだけ多民族の集う都となり、ヤクトゥで純粋なこの国の民の血統を保持しているのは王族と貴族、そして大した家柄でもないくせに血統に対して病的な固執を見せて威張る連中だけだ。彼らが田舎者と見下している山深い地方の住民ほど、純粋な血は残っているという皮肉な状態なのだが、そこには目をつぶっている。何しろ田舎者など、税さえ納めていればいてもいなくてもいい連中なのだから。


 この港で取り扱うのは、食料品、建材、糸や布帛などの繊維、毛皮、薬品、粗金属などごく当たり前のものから、何に使うのかわからない歯車やぜんまいを組み合わせた箱、さらには生死を問わず人間や獣人まで。そういったいかがわしいものは、主に輸入する側だ。

 この国では、ある程度の生活水準であれば奴隷を抱えていることが当たり前で、市場の一角にいけば肌の色も様々な貧民たちが二束三文で売られている。もちろん、美貌やたくましい体躯など、目を引く特質があればいい値が付く。

 かなり裕福な階層になれば一転して、下男下女は色素の薄い生粋のヤクトゥの民で揃え、格安の奴隷ではなく清浄な血の者をまっとうに雇っていることを誇示する。一方で、珍奇な獣人の奴隷を揃えて侍らせ、客人に見せびらかしては自慢の種にする。

 いずれにせよ、獣人は家畜扱いだった。


 彼らは神に人間としての尊厳を認められていない。

 醜く呪わしい存在だということになっているため、陸から海から集められたあと、大聖堂の地下へ連れていかれる。そして、聖職者たちに形ばかりの告解をし、神に赦された下等な生き物として市へ出る。

 美しい毛並みや鱗、瞳を持っていたり、人間離れした身体能力を持っている獣人は、たいてい金持ちのおもちゃや高級娼館の目玉として一生を終える。それ以外の、ヒトの基準から見て外観も能力もごく地味だと判断された者は、貧民の奴隷以上に手酷い扱いを受ける。法的に、人でないものに対しては私刑が許されていて、路地に吊るされて子どもが石を投げて遊んでいるのはよくある光景だ。たまには広場などの人混みの中で正義の執行人を気取る連中が所有する獣人を拷問の末処刑し、裏通りに入れば、彼らの体を少しずつナイフで切り取って、泣き叫び、命が失われていく様を楽しむ娯楽すらある。そういう中で逃亡した獣人は、ただ逃げ延びたいという一心で人間を手にかけてしまうことがままあり、それがまた彼らが迫害されるべき証左となっていく。

 もちろん、どんな都市でもそうであるように、人の心を失っていない市民のほうが圧倒的に多く、つましくごく真っ当に暮らして都市機能を支えている。だから表通りには健やかな人々が営々と働き、暮らしている。

 どこの都市にもあるような薄暗いものを抱えながら、ヤクトゥは名高い商都として、今日も美しい街並みを輝かせていた。

 

 大きな扉が小さく軋んで開く。

 差し込んだ光が大理石の床に伸び、その明るい帯に大人と子どもの影が青く歪んで映る。

 彼らは肖像画や怪しげな動物の剥製が並ぶ廊下を歩く。大きく五芒星がいくつも重ねて彫り込まれたドアの前で、子どもが立ち止まり小さく叩く。

 ドアの向こうでベルの音がカランと鳴った。打ち出し銅のカウベルが鳴るようなその音は、進入を許すという合図だ。

 扉を開けて入ると、そこは邸の『石英の間』と呼ばれる部屋だった。白く濁った石英の薄板で壁も床も、そして天井、窓枠、調度品に至るまでモザイクされている。重いカーテンで日を遮られ、空気が重苦しい。そして金属でできたものは何一つ、この部屋にはなかった。

 

「ただいま戻りました」


 彼は十歳かそこらの年恰好に不似合いな口調で重々しく言う。

 温暖な地方で栽培される、繊維の長い希少な綿のシャツに刺しゅう入りのジレをつけ、ブレ―にゲートルをつけている。よくある貴族の子弟のいでたちだ。

 赤銅色の髪、散らばる雀斑。子どもらしい顔立ちだが、目つきが妙に鋭い。

 その後ろには、実直そうな日に焼けた家令が控えている。家令は家のすべてを取り仕切るものだが、貴族の子弟が10歳になるとひとりひとりに家令がつく。いずれ分家をすることを見込んでのことだ。

 

「おかえり、ラディアン」


 部屋の奥から、老人がしわがれ声で挨拶を返した。ラシャ張りの椅子に埋もれているさまは、布でくるんだ木乃伊のようだ。どこもかしこも白っぽく粉を噴いているが、赤い目だけが異様な光を帯びている。


「今回の旅はどうだったね」


「お計らいのおかげで、今回も息災でございました」


「ふん……庶民として振舞うのも板についてきたようだな。少々臭う」


 ラディアンは自分の肩口につと顔を寄せ臭いを嗅ぐそぶりをした。


「精油を使って湯浴みはしてまいりましたが」


「もう一度洗え」


「はい、では……」


 部屋を出ようとするラディアンを老人は制止した。


「それは話が済んでからでよい」


 灰色と白、それから薄い茶色で少しずつ色調の違う欠片を継ぎ合わせて作った緩やかに湾曲した杖で、老人は床を突いた。木石とは違う、乾いた音がした。その杖の握りには多孔質の組織が覗く。それは膠で接ぎ合わせた人間の大腿骨だった。もちろんその膠の材料も推して知るべし、というところだ。

 その音で、ラディアンは黙礼し直立不動の姿勢に戻った。


「見つかったかね? あれと、その母親は」


「………」


「私はお前たちの血を信頼しているのだがね。同じ血を持つ者と呼応し跡を追えるという犬のような血を。だからこそお前たち一族を行商団に忍び込ませて巡回させているというのに」


「死んだということはお考えにならないのですか」


「死んではいない。少なくとも一人はな」


 老人は織り模様の入った分厚い服の胸元に手を遣った。

 そこには黒く平たい襟飾りがついている。ゆるく格子に編んだ柳の細枝に黒い絹糸のようなものを通して編み込み、平織り模様を浮き上がらせている意匠だ。まるで、鱗のある黒い生物の、丸く切り取った皮膚のように見える。


緯糸よこいとは力を失っているようだが経糸たていとははるか遠くで命を繋いでいる。これがそう言っているのでな」


 ほんの一瞬眉を顰めたあと、ラディアンは重々しく口を開いた。


「おそらく、私はその髪の持ち主……兄と会って参りました。イェフィムの村はずれで」


 老人は、に白く濁った瞳の上下に血走った白眼が見えるほどに眦を見開き、それから相好を崩した。


「そうか、とうとう見つけたか! 私の愛し子を」


「はい。痩せて貧相ではありましたが、雑木のようにずいぶん背が高くなっておりました」


 ラディアンはちくりと皮肉っぽく片頬を歪めたが、その表情は悦んでいる老人の目には留まらなかった。


「面白いことに、彼は人狼の仔を飼っておりまして、貧窮しているくせにべたべたと甘やかしておりました」


「そうか。ではその話を詳しく聞かせてもらおう。体を洗ってから寝椅子の方へ来るのだ。寒くてかなわぬ」


「はい」


「お前のような犬の力しかない者でも肌は温かいからな。良い知らせに老骨にも春が回りそうだ」


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