第40話 あの痛くなる輪っか
悟空に置いて行かれてしまった三蔵は仕方なく馬を連れて一人で歩き始めた。
程なくして、三蔵は道端の石に腰をおろしている老婆を見つけた。
「もし、お婆さん。 どうなされたのですか」
「足をくじいてしまってねぇ。 もう少し先に家があるんだけれど、困ってしまったわ」
そう聞くと三蔵は根っからの善人ですから、すぐに老婆を背負ってしまう。
「ありがとうねぇ。 お坊さんはどこに向かうところだったのかね」
「皇帝陛下の命を受けて、天竺までお経を取りに行くところです」
「おんやまあ、そげな遠いところまでお一人で旅をなさるおつもりかえ」
そう言われると、三蔵は苦笑いをした。
「先ほどまで弟子がおったのですが、叱りつけたら飛び出していってしまいました」
老婆はたしなめるような口調で言った。
「お弟子さんにも悪いところがあったんだとは思いますけどね、気を長く持たないといけませんよ。 きっと、そのお弟子さんは戻ってきますからね。 あ、ここがわたしの家です。 もう降ろしていただいてけっこうですよ」
荒屋の前に老婆を降ろす。
「お礼に良いものを差し上げます」
老婆は、金属の細い冠のような物を三つと巻物を懐から取り出した。
「これは緊箍児と言ってね。 これをお弟子さんの頭にはめて、この巻物の定心真言というお経を唱えるだけで言うことを聞かせることができるという不思議な宝物なんですよ。 銅の緊箍児ってやつが一番効き目が弱い。 銀の禁箍児がちょっと強い。 金の金箍児なんて、ちょっと可哀想なくらいの効き目ですからね」
「ありがとうございます。しかし、お婆さん、どうしてこんなものを」
三蔵が自身の手に乗せられた三つの輪と巻物から視線を戻すと、既に老婆は消えていた。
◇
一方で孫悟空はと言えば、飛び出したはものの故郷に帰る気もせず、海の底の東海青龍王の宮殿で油を売っていた。
お茶を啜りながら壁に目をやると、橋の袂で女性的な容貌をした若者が老人に靴を捧げる様子が描かれている。
描かれた青年が、先ほど仲違いした三蔵を連想させたのもあって、悟空はじっとその絵を眺めていた。
東海青龍王が静かに口を開く。
「その絵が気になりますか? それは“圯橋にて三たび履を進る”という画題です」
「なにそれ」
「漢の張良という若者が、同じ老人が橋の下に靴を落とすところに3回も遭遇した。 張良はそのたびに嫌な顔もせずに拾って老人に靴を渡した。 老人は実は仙人で、張良に感心して無敵の兵法書を授けてくれた。 張良はその兵法書でもって、謀を帷幄の中に巡らし千里の外に勝ちを決する、と謳われる名軍師となったのです」
「ふーん、そのココロは」
東海青龍王は総髪の髪をなでつけると厳しい声で言った。
「何事も忍耐が大切だ、ということです。 取経の弟子になるならばという約束で出してもらったのに、すぐに投げ出した大聖殿にはわからないかもしれませんが」
悟空は恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
「ばっか、おめえ、な、投げ出したりなんかしてねぇし。 ちょっと休憩してただけだもんね! すぐお経取りに戻るもん。 じゃあ、またな」
悟空は踵を返して、竜宮をあとにした。
◇
悟空が上空から觔斗雲で見渡すと三蔵は石に腰掛けて巻物を読んでいた。
「よっすよっす。 さっきは失礼しました。 弟子の悟空がもどりやしたぜー」
「戻ってきたはいいが、また方々で乱暴をはたらくんじゃないだろうね」
「それは相手の出方によりまさぁね」
悟空は話も適当に、三蔵が傍らに置いた三つの輪を眺めていた。
「このキラキラしたやつはなんです」
三蔵は一計を案じて、言った。
「ああ、そいつはね。 頭にはめると難しいお経もすらすら暗記できるという宝物だよ」
悟空は金色のやつをひっつかむと早速頭につけてみた。
「へえ、ぴったり……なんだこれ、取れないぞ。 んん、お師匠、さては俺をはめやがったか」
悟空がゲンコをつくって三蔵にちかづくと、三蔵は咄嗟にお経を唱え始めた。
悟空の頭に激痛が走った。
「痛い痛い痛い割れる割れる頭が割れるやめてやめて」
三蔵が読経をやめると、悟空は如意棒をふりかざした。
「このハゲ、よくもやりやがったな」
三蔵はすかさずお経を唱える。
「ちょっ、タンマ、今のナシ、痛い痛い痛い痛い」
こんな危険なやり取りが何回か繰り返され、お互いがぜえぜえと肩で息をするまでに追い詰められた。
「もしお前が乱暴狼藉をやめるなら、このお経は唱えない。 だが、また人を殺すようなことがあったら」
「わかったわかった。 わかりましたよ。 ……暴力で縛られるなんて、不健全な師弟関係だなぁ」
悟空は空を見上げる。
「聞いてますか観世音菩薩さま、あなたの差金でしょう」
返事はなかった。
ともかくも、三蔵と悟空の師弟は再び合流し、天竺を目指すのであった。





