第4話 空の道
須菩提祖師には三十人からなる弟子がいた。午前中は香をたきしめて台上から弟子達に講義をし、午後は薪を集めたり農作業をしたり、というのが祖師の一日である。
ある日の講義中、悟空はくねくね動いたり、身体を揺すったり、脚をバタバタさせて、甚だ落ち着かない様子であった。
「これ、講義中じゃ。大人しくせんかい、悟空」
「祖師様の話があんまり面白いんで、身体が勝手に動くのを忘れちまったんです。ハイ」
祖師は髭をしごきながら言う。
「儂の話が面白いじゃと?口からでまかせを言うでない。儂の話す内容がわかるものなど、そうそうおりゃせんのじゃからな」
「そんな事ありませんよ。わたくし、ここに来てから季節めぐりて七回は桃を食べましたが、最近は師匠の仰ることが理解できるようになりました」
「七年もおったのか!そんなに辛抱して儂から何を学び取りたいと言うのじゃ」
祖師の話がさっぱりわからず、夜中の内に荷物をまとめて出て行ってしまう弟子も多いのだ。
「道に関する事ならば、なんでも」
「お前、なんでもとは言うが、道の教えには三百六十もの傍門があるんじゃ。方向性くらいは決めんとあかんの」
「師匠のお指図に従います」
「じゃあの、術の道はどうじゃ。吉凶を占う事を通して未来を予見する道じゃ」
「そいつを習うと不老長生になれますか?」
「無理じゃろうなあ」
「えっと、他のやつでお願いします」
「流の道なんかどうじゃ?儒家、道家、釈家、墨家など色々な教えの流儀や作法を極める道じゃ」
「不老長生につながるやつですか」
「ははは、これで不老長生に至ろうというのは家の中に柱を立てるようなもんじゃの」
悟空は頭をポリポリ掻いて言った。
「わたくし、猿ぐらしが長かったもので、その手の比喩がイマイチわからないんですが」
「家の中に柱を立てると長持ちしやすいが、倒れるときは倒れるの。気休め的なそれじゃ」
「次のやつお願いします」
「静の道じゃ。ひたすらジッとして精神を研ぎ澄ます。やがて鬼神とも交信できるようになる」
「そいつが不老長生には……」
「静は、茶碗を土で作る道じゃ。竈にくべて焼き物にする工程を欠くから、雨に降られたらイチコロじゃのう」
「それでは満足できませんなぁ」
「動の道はどうじゃ。やりたい事はなんでも挑戦する。精神肉体をひたすら活用するのじゃ」
「お、割と面白そう!不老長生につながりますか」
「動の道で不老長生に至ろうとは、さながら水面に映る月を掬うようなものじゃの」
悟空はぴょこぴょこと尻を持ち上げて言う。
「師匠、わたくし、比喩が多いとわからないんですってば!」
「ムリじゃと言っておる」
「他には、他にはないんですか?」
祖師は台からヒラリと舞い降りる。その手には戒尺が握られていた。
「お前は、教えを請うておきながら、アレもいや、コレもいや。儂を馬鹿にするのも大概にしろ!」
祖師は悟空の頭を三回叩くと、後ろに手を回して奥にもどり、内側から鍵をかけてしまうのだった。
講堂は騒然となり、弟子達は悟空を口々になじったり、謝りに行くように急かしたりするのだった。
◇
月明かりが夜露を照らしていた。子の刻、猿ながら狸寝入りをしていた悟空は、そろりそろりと寝床を抜け出し、庭の裏道に入っていくのだった。
表門は鍵をかけて閉められたきりだが、果たしてやはり裏門は開けてあった。うっかり、という事はあるまい。
奥座敷には文机の前に座り、目をつむった須菩提祖師が座っていた。
「悟空、こんな夜更けに、なぜここに来た」
「三回叩いたのは三更、つまり子の刻に来い。後ろ手に手をまわしたのは、裏門を開けておくからそっちから、と解しました」
須菩提祖師は目を瞑ったまま、にやりと笑った。
「あれだけでわかったか。なるほど、お前は確かに天地の華じゃの」
「道を、教えていただけますか」
「全ての物事は移り変わっていく。それ故に、全ての物事は空である。だが、空とは決して無を意味しない。個々では実を持たない現象も、縁によって結ばれる事でその刹那に意味を持つ。お前と儂が出会ったのも何かの縁。……空の道を教えようではないか」
悟空が須菩提祖師からいかなる仙術を伝授されるのか、それは次回の話としよう。