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第38話 出獄

 山中からの不思議な声はなおも三蔵さんぞうのことを呼んでいた。


「お師匠さま、お師匠さま」


劉伯欽りゅうはくきんは自身の事を指差した。


「あんたのことじゃない。 そこのお坊さんの方だ。 あんたが俺のお師匠さまだ。 俺はあんたに仕えるために待ってたんだ。 ここまで来てくれ。 俺をここから出してくれ」


劉伯欽はその声を聞いて、この山に伝わる昔話を始めた。


「この両界山はげんの時代までは五行山と呼ばれていたそうです。 漢の世が王莽おうもうの簒奪によって乱れた頃、大暴れした猿の妖魔がこの山に封じられた。 それ以来、この妖魔は山の神が捧げる鉄の玉と銅の汁だけをすすって、何百年も死ぬことなく封印され続けている。 坊主に仕えるだのなんだのは初耳ですね」


三蔵は由来を聞き終えるとすたすたと声のした方向へ向かって歩き出した。

劉伯欽はその腕を掴む。


「お坊さん、化け物の言う事を間に受けちゃいけねぇよ。 あんたを取って食うためかもしれんじゃないか」


しかし、三蔵は澄んだ瞳で返す。


「しかし、妖怪であっても仏道に進む意思があると言っている者を放ってはおけません。 本人?から話をよく聞いてから決めたいと思います」


劉伯欽は呆れながらも着いてきてくれるという。

三蔵と劉伯欽はそうして声の出どころまでたどり着くと、入り口が天然の石の牢になった洞窟を見つけた。

洞窟から赤い目が光り、声が響く。


「この俺は天下無双の最強の妖魔でしたが、お釈迦様の法力でこの山に封じられたのです。 棺の中で何百年も今までの悪事を悔い改めていましたところ、観世音菩薩かんぜのんぼさつさまがおいでになりました。 菩薩さまはこれからやってくる取経僧の護衛を引き受ければ出られるだろうと仰せになった。 あんたがその取経の僧でしょ。 天竺までの護衛は俺がやりますから、どうか、どうか、この俺を出してください」


三蔵はその話を聞くと、妖魔に尋ねた。


「本当に悔い改めたのだな」


「はい、本当に本当です」


「よし、出してやろう。 どうすればいい。 あいにくノミやノコギリは持っていないんだ」


それを聞いて、妖魔はキャッキャと喜びの声を上げ、劉伯欽は仰天した。


「お坊さん、本気ですか? この化け物を出すって」


「ええ、本気ですとも」


三蔵の言葉を聞いて、妖魔は嬉しげな声で言う。


「山頂に石の箱があります。 それに貼ってある釈迦如来のお札を剥がしてくれるだけで、出られます。 どうか、よろしくお願いします」


渋る劉伯欽を連れて三蔵は山頂にやってきた。

山頂には確かに苔むした石の箱が置かれており、一枚の札が貼ってあった。

三蔵は手を合わせた。


「慈悲深く慈愛あまねき釈迦如来さま。 貴方様が封じられたという猿の妖魔はすっかり反省し、仏門に帰依して、私のお供になりたいと申しております。 ご許可を頂けるならば、どうかこの封印を外させてください」


三蔵が札に手を伸ばすと、その札はあっけなくハラリと外れた。

同時に凄い轟音が洞窟の方向から響いた。

三蔵たちが再び洞窟に戻ると、一匹の猿がまるで人間みたいに洞窟の前で直立していた。

猿は三蔵を見ると跪いた。


「感謝します。 お師匠さま」


続いて猿は劉伯欽のほうに向き直った。


「お師匠さまをここまで守ってくれてありがとう。 今からその役目は俺がやる。 お疲れさん」


三蔵は猿の妖魔に声をかける。


「弟子よ、お前の名前はなんというんだね」


「苗字は孫と言います」


「それじゃあ、呼びやすいように法名をつけてやろうかね」


猿はかぶりを振る。


「あいにく、既に俺は法名を持ってまして、悟空、と言います」


三蔵は微笑んだ。


孫悟空そんごくうか。 良い名前だ。 それじゃ、私からはあだ名をやろう。 お前は修行中の小坊主みたいだから、孫行者そんぎょうじゃというのはどうだ」


「へへへ、ありがたく、そのあだ名を頂きます」


孫悟空が孫行者とも呼ばれるのはこのためである。

劉伯欽は孫悟空の様子を見て、笑顔を見せた。


「見る限りホントに善良な妖怪のようだ。 いや、信じてみるのも良いことだね。 ……お坊さん、立派なお弟子も出来たようだし、俺と手下どもはここでお別れだ。 お世話になりましたね。 無事にお経を取ったその帰りには、この劉伯欽をまた訪ねておくんなせぇよ」


三蔵も深々と頭を下げる。


「必ずご挨拶に参ります。 こちらこそ、親分さんには大変お世話になりました。 御母堂と御令室にも、どうぞよろしくお伝えください」


「ごれいしつ?」


孫悟空がニュッと顔を出した。


「奥さんってことでしょ。 さ、行きましょうや」


「悟空。 お前ひょっとして見た目の印象より、かなり賢いのか」


悟空はキャッキャと笑うと、馬の手綱を取った。

天上では弼馬温ひっぱおんという馬方の仕事をしていた悟空だから、馬の扱いも手慣れたものである。

三蔵は再び馬上の人となり、この奇妙な弟子と共に天竺を目指すのであった。

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