表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/43

第32話 李建成と李元吉

 崔珏さいかくは李世民の話を聞くと、少し黙った後に言った。


「ここからは私にお任せを。悪いようにはいたしません」


崔珏は閻魔大王への上奏文をしたためると、李世民を伴って森羅宝殿へ登り、閻魔大王へ拝謁した。

閻魔大王は崔珏の出した上奏文を見ると、赤い顔を少しだけしかめて言った。


「なんと、崔よ。お主の誤字により予定よりも早くこの者は亡くなったと申すか」


李世民は上奏文の内容を聞かされていなかったから内心では驚いたが、務めて平静を装った。

崔が閻魔大王へ返答する。


「恥ずかしながらその通りです。皇帝とあっては亡くなったことによる影響も大きい。どうか、この者の命を、本来の寿命に復させていただきとうございます」


「……よかろう。寿命を貞観三十三年から貞観五十三年へ修正、許可しよう。これからは気をつけるのだぞ」


ことのほか物事は円滑に進んだ。

森羅宝殿を出てしばらく進むと、崔珏はぽつりと言った。


「陛下の御命は本当はもう尽きています」


「なんと。では、崔珏殿は閻魔大王を欺いてまで朕を助けてくれたのか。いったいなぜそこまで」


「理由はすぐにわかります」


崔珏と李世民は地上への出口に向かって進んでいく。

荒涼とした原野の中に、何か黒い塊が見えた。


 それが近づいてくるにつれ、人々の集団であることがわかった。

しかし、その姿は頭がなかったり、腕や脚がなかったり、刀が刺さったままだったりした。

亡者の群れだ。

崔珏は物憂げに言った。


「この度の戦乱で死んだ者のうち、法要を挙げてもらっていないために、彷徨っている人々です」


李世民は亡者の群れの中によく見知った人物を見つけ、凍りついた。


「弟よ、息災であったか?余は見ての通りだが」


それは兄の李建成りけんせいだった。

その胸には矢が深々と突き刺さったままだ。


李世民の脳裏に玄武門の変で兄を射殺した時のことがまざまざと蘇った。


長兄の李建成は、大功を上げ続ける弟の李世民のことを、自身の地位を脅かす者と見なし排除しようとした。

暗殺未遂から生還した李世民は、長安の北門である玄武門で、兄の李建成を襲撃した。


李建成は、玄武門の前で対峙した時、明らかに狼狽えていた。


ーーそこで、そんな顔をするなら、どうして俺に毒なんか盛ったんだよ。兄上ーー


兄の放った矢は、あらぬ方向へ飛んで行った。

世民は棒立ちになった兄に向かって、弓を引き絞り、矢を放った。

世民の矢は、兄の胸を正確に貫いた。



その事を思い出しながら固まっている李世民に、もう一人の、懐かしく、そして忌まわしい相手が声をかけた。


「やあ、兄上。玄武門以来ですね。敬徳のやつはどうしていますか」


弟の李元吉りげんきつが背中を見せた。

そこにもまた矢が刺さっている。

再び、李世民の意識は過去を遡った。


弟の李元吉は、次兄である李世民ではなく長兄の李建成によく懐いていた。

玄武門の変、その時に元吉は長兄の建成の味方をして奮戦した。

しかし、長兄が討たれ、形勢の不利を悟ると逃走を始めた。

李世民はその時、さっと手を挙げた。

配下の尉遅敬徳うっちけいとくがそれを見て、弟の李元吉の背中に矢を浴びせたのであった。



二人は亡者の群れから進み出て、ゆらりと李世民に近づいてきた。


「余を殺したな」


「兄上が先に仕掛けてきたのだ!」


「それを置いたとしても、余の息子を、そして元吉の息子も皆殺しにしたなあ。そこは言い逃れは出来まいぞ」


「それは……男子は長ずれば仇討ちにくるかもしれない。そうなったら世は乱れ……」


「言い訳をするなよ。お前は保身のために年端もいかぬ子供を斬首させたのだ。何が聖君なものか、人殺しめ」


口ごもる李世民の腕を崔珏が引っ張る。


「捕まったら上の世界に戻れなくなりますよ、さぁ」


引きずられるようにして冥府の門へと向かう。

亡者はのろのろとした動きだが、背後から追いかけてくる。

行きには見えなかった大河が、門への道を隔てていた。

桟橋に立つ渡守が船の前でにやにやと笑っている。


「まさかタダで渡ろうってんじゃあないでしょうね」


李世民は服を漁ったが何も出てこない。

崔珏が渡守に言った。


「上の世界の相良そうりょうというものが冥府に銭を沢山預けているから、そこから借りる。これでどうだ」


そう言うと崔珏の掌の上に俄に銭が湧いて出た。


「へへっ、少し足りないが、まあいいでしょう」


李世民は船に乗り込んだ。

崔珏は船の縁を掴んで言った。


「陛下、二つ頼みがございます。一つ目はいま金を借りた河南の相良そうりょうという男に報いる事。二つ目は、先ほど彷徨っていた亡者たちのための法要、水陸大会だいせがきを開いてほしい、ということです」


李世民は崔珏が嘘をついてまで自分を助けてくれた理由を悟った。


「しかと心得た」


船は水の上を走り、遂に門が近づいて来た。


 気がつくと李世民は暗闇の中にいた。

右も左も、上も下も壁のようになっていて酷く窮屈だった。


「おぅい、誰か、ここから出してくれ」


棺の中から響く主君の声に、家臣たちは驚いた。

釘抜きをもって棺を開けると、果たして李世民は蘇生していた。

家臣の尉遅敬徳は目を丸くする。


「亡くなられてから三日も立っておりますのに、これは奇跡というものでしょうか」


「その奇跡に報いなければならん。やることが二つあるぞ」


まず先に着手されたのが、河南の相良という人物の捜索であった。

尉遅敬徳の率いる捜索隊が探し回った結果、開封府にたった一人だけ相良という貧しい百姓がいた。

この男は乏しい稼ぎの中から紙銭かみぜにーー死者の供養や神仏への捧げ物として焚き上げる、紙で作った銭形ーーを購入して毎日焼いているという信心深い男だったので、まずこの人で間違い無いだろうという話になった。

尉遅敬徳は彼の家に行って事情を説明した。


「そういうわけで、きっとあなたの焚き上げた紙銭が冥府に預けられていて、我が君はその金を借りたということになるんでしょうな。さ、褒美の金を受け取ってください」


しかし、相良は平伏して言う。


「あの世のことはあの世のことでごぜぇます。こっただことで、ほうびなんか受け取れません。どうか、その金は世の中のために役立ててくだせえ」


相良の意思は固く、頑として褒美を受け取らなかった。


そこで李世民はそのお金で寺院を建立し、相良の名を取って彼を顕彰することにした。

これが相国寺という寺で、今も開封に残っている。


さて、もう一つの約束である水陸大会がどうなったかについては次回に譲ることとする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=460295604&s 小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ