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第3話 孫悟空

 贍部洲なんせんぶしゅうのある国の海岸で漁師が網をたぐりよせ、魚や貝を漁っていた。いつもの風景である。

だがそのいつもは、そこに見慣れぬいかだが流れ着いた事で一変した。


「ありゃ、どこぞの戦争難民でも流れ着いたかな」

「流罪にあった罪人かもしれねぇど。面倒なこったなぁ」


漁師達が筏を指差して、あれこれと推理しているが、そのどれもが結果から見れば的外れであった。

筏から降りた人物は足取りもしっかりとしていたが、その人物が近づいてくるにつれ、海岸は大騒ぎになった。

人物は人物ではなかったのだ。


「猿の怪物が船漕いでやってきただ!」

「きっと何かのたたりだぁ!触られたら不漁になるでよ!」


岩猿は逃げ惑う漁民の一人に信じられない跳躍力で飛びつくとその後頭部をぽかりとやった。漁民はその一撃で敢え無く気絶した。

岩猿は漁民の衣服をおもむろに剥ぐと、それに袖を通すのであった。馬子にも衣装とはよく言ったもので、衣服を着ると、人っぽい猿と猿っぽい人の中間ぐらいには見えるものである。

東勝神州は傲来国にいたはずの岩猿がなぜここでこんな事をしているか、これには説明が必要であろう。

話は数年前に遡る。


 傲来国の花果山水簾洞で、帝王として面白おかしく君臨していた岩猿であったが、彼に本当の意味での自我が芽生えるまでにはちと時間がかかった。

実に数百年もの時を要したのである。

ある日の宴で突然岩猿は泣きだした。


「王よ、いかがなされた」


群臣たちはいつにない様子の岩猿を見て、慌てている。


「お前らにはわからねぇことだ」


「そう仰らずに教えてくだされ」


岩猿は木の葉でチーンと鼻をかむと、言った。


「喜びのすぐそばには悲しみが潜んでいる。こんな楽しみも永久に続くわけでなし、それを思うと無性に悲しくなってなぁ」


背中の毛が白い老猿が進み出る。


「大王は“足るを知る者は富む”という人間の言葉を知らぬようですな。我々はこの立派な洞窟に住み、猛獣や鳥達も配下とし、人間の指図も受けず、幸福に代を重ねて参りました。これ以上何を望まれますか」


「確かに、虎も狼も俺達には逆らわないし、人間とやらもやってこない。寝る場所食うものにも困らない。だけどなぁ、どんなに面白おかしく暮らしていても、やがては老いぼれてみじめに死んでしまうんだ。それが無性に悔しくってよ」


岩猿が既に数百年生きているのにぜんぜん老けていない事を祖父やら曾祖母やらから聞かされている群臣たちは、内心で“欲張りすぎだろ”と思った。

今度は全身が白毛で顔の皺がさっきの老猿の三倍くらいある奴が進み出た。


「大王がそのような考えをお持ちになったという事、それすなわち“悟り”の第一段階に至ったという事です。ご慶賀申し上げまする」


「なんでそれが目出度いんだよ」


「大王が恐れているものは“死”ですな。世の中には死を超越するものが三つあると言います。」


「勿体ぶらずに言え!俺様は気の長いほうじゃないんだぞ」


「ま、落ち着いてくだされ。その三つは“仏、仙、聖”です。“悟り”を開き、これら三つになった者は、輪廻の輪を外れ、不生不滅、天地と齢を同じくし、永劫の時に揺蕩うのだと言われております」


「そ、そいつらはどこにいるんだ。」


「人間の住む土地の外れにある、苔むした古い洞窟や、仙山と呼ばれるような深い山にいるのだとか」


岩猿は石の玉座から、ガタッと音をさせて立ち上がった。


「決めた。決めたぞ、俺様は。必ずや仏仙聖を見つけて不老長生の道を極めてみせる。止めてくれるなよ、お前たち」


決めたら早いのがこの岩猿、次の日には松の木を強引に圧し折って筏を作り、夜には下々の猿まで招いて大壮行会、翌々日の朝には群臣たちと涙涙の別れと相成ったのである。

出航してから件の海岸に辿り着くまでも十年程かかったのであるが、さすがにそれは省かせていただく。


 さて、漁民の服を奪った岩猿はどうしたであろうか。

岩猿は村から町へ、町から大都市へと旅を続けたが、それはひとえに人間の言葉を覚えるためであった。一を聞いて百を知るのがこのサルの凄いところで、数年で人間の言葉を概ね修得してしまった。だが、肝心の仏仙聖とやらには中々巡りあえないまま徒に時が過ぎていくのだった。

西牛賀洲さいごけしゅうまで彷徨い歩いた岩猿は、ある日深い森に覆われた山を見つけた。岩猿はあまり期待せずにその山に分け入っていくのであった。

鬱蒼と茂る草木をかき分けて進んでいくと、コーンコーンと斧を振るう音ともに、誰かが唄うのが聞こえてきた。



朝マサカリ手にして出かけ

昼市場で薪を売って


夕方にはお米を買って

仙人とも変わらぬ暮らし


トゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャリャ

トゥリャトゥリャトゥリャトゥリャリャ〜!



「お師匠様ー!」


いきなり飛び土下座をかました岩猿に、小唄をくちずさんでいた木こりはびっくり仰天です。


「なんだって俺があんたのお師匠様なんだい」


「だって、仙人とも変わらぬ暮らし、と歌っていたではないですか。俺様は仙人を探しているんです」


「あいや、それは勘違いってやつだよ。俺が毎日生活が苦しいとこぼしていたら、ほんとの仙人様がさっきの小粋な歌を教えてくれたんだ。日々の生活は仙人でも俗人でも大して変わらないってね」


岩猿はいささかガッカリしたものの、気を取り直して木こりに尋ねた。


「その仙人様はどこにおわすんで?」


「ここからそう遠くない。数里先に霊台方寸山れいたいほうすんざんという山があって、そこには斜月三星洞しゃげつさんせいどうという洞窟がある。そこに仙人様がおわすんだ」


「かたじけねぇ!木こりさん、商売頑張ってくんな」


人間の礼儀を身につけた岩猿はぺこりと頭を下げるのだった。


「良いってことよ。猿っぽい兄ちゃんも、達者でな」


 霊台方寸山は先程の山とは違い、鬱蒼としつつも木漏れ日が差しこみ、不思議と晴れやかな気持ちで歩を進める事が出来た。斜月三星洞と思しき洞窟も、苔むしてはいるもののジメジメとした印象がなく、なんなら苔についた水滴を飲めるんじゃないかと思わせる程に、清浄な気を醸し出しているのである。困ったのは門が閉まっている事だが。

洞門の前の松の木に実が沢山なっていたので、岩猿はしばし猿気分にもどって木に登り、松の実をシャリシャリやっていたのだが、やがて一人の道士が洞門を内側から開くのだった。


「誰だ。やたらめったら門の前に種を放る奴は!」


岩猿は木から軽やかに飛び降りる。


「失礼つかまつった。私、ここにおわす仙人様に弟子入りしたく、遠路はるばる参った者にございます」


「ああ、それなら入れ」


「嬉しい限りではありますが、ずいぶん簡単に入れてくれるんですね」


道士はニヤリと笑った。


「外に新たな弟子が来ているから入れてやれ、と師が申された。奥座敷に居ながらにして、どうやって気づいたのか我らにもわからん。我らが師、須菩提祖師しゅぼだいそし様は凄いお方だという事さ。失礼のないようにな」


奥に通され見えた須菩提祖師なる人物、玉のうてなの上に乗り、三十人ばかりなる弟子に囲まれて講義をしていた。色は浅黒く、取り立てて美形でも醜形でもない、白い髭鬚ししゅの老人。その目は遠くの一点を見つめ、澄みわたっていた。


「須菩提祖師様、どうか俺様、違った、わたくしめを弟子にして下さいまし」


岩猿は叩頭して須菩提祖師に迫る。


「まずは生まれを申してみよ」


「東勝神州傲来国は花果山水簾洞の生まれです」


「弟子たちよ、この嘘つきをつまみ出せ!」


仙人のいきなりの剣幕に岩猿は大慌て、頭がめりこまんばかりに再び叩頭して続けます。


「嘘偽りはございません」


「東勝神州からここまで何百里あると思っている!ふざけるな!」


「わたくし、ですから故郷を離れてここに至るまでに十年もかかりました」


仙人はふわっと台から降りると岩猿の肩に杖をあてて言いました。


「更に問う。汝の姓はなんじゃ」


「そんなものはございません」


「嘘つけ!木の股から生まれたわけでもあるまいに」


仙人は杖を振り上げて今にも打ちかかる勢いである。


「わたくしは、石から生まれました。花果山の頂上にある猿の如き岩が、私の素となりました」


「つまり、お前は天地のはなというわけか。不細工なはなもあったもんじゃの」


仙人は鼻を鳴らした。


「見れば見るほど猿っぽいのう。どれ、ちょいと動きまわって見せてくれ」


岩猿は洞窟の壁を登ったり、飛んだり跳ねたりしてみせた。

周囲の道士達はその様子を見て、指を指してしきりに笑った。しかし、仙人が杖を地にコツコツと打ち付けると、静まった。


「さて、弟子たる者、姓くらいはなくては格好がつかんな。猿にまつわる文字といえば、こうそんがあるが、猻からけものへんを取って“そん”というのはどうかの。修行する者がいつまでもケダモノのようではいかんしの」


岩猿は嬉しくって手をバチバチ叩いて言った。


「それじゃあ、弟子にしてくださるんですね!姓と言わず、名までつけて下さいまし。名付け親の須菩提祖師様を、実の親のように敬ってお仕え申し上げますよ!」


「まったく、調子のいいサルじゃのう。“悟空ごくう”というのはどうじゃ。求道者ぐどうしゃらしい名前じゃろ」


岩猿もとい孫悟空そんごくうは華麗にバク宙を決めると、兄弟子達に向き直って言うのだった。


「新入りの孫悟空そんごくうです。どうぞヨロシク!」


孫悟空がいかにして仙術を修行するのか、平和な時は続くのか、それらは次回に譲ることとする。

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