第29話 袁守誠
大唐帝国の都である長安を流れる涇河の底に一匹の龍王がいた。
川という川には全て一匹ずつ龍がいるので特段珍しいことではない。
それらの龍王はその河川に沿った地域の降雨を司るので、涇河龍王は長安の担当ということになる。
その涇河龍王には最近懸念する事があった。
それは、さいきん自身の眷属たる魚や蟹といった水族達のうち、黄金色の鯉だけがやたらに釣り上げられてしまうことであった。
龍王がその事を思い出して眉間に皺を寄せていると、事情を調べにやらせた水の夜叉がちょうど帰ってきた。
「龍王様、仔細がわかりました」
夜叉が言うには、長安の西門街に住む袁守誠なる者が元凶であるそうだ。
袁守誠は良く当たると評判の占い師なのだが、占いが当たると報酬になぜか金色の鯉を要求する。
そのため、客たちがこぞって金色の鯉を釣り上げては袁に献上しているのだ。
「不届な人間め、わしが懲らしめてくれようぞ」
涇河龍王はその身を巡らして水面へと浮かびあがろうとした。
すると、夜叉は必死に取りすがって彼を止める。
「龍王さまがそのお身体のままで地上に上がられますと、雷やら大雨やらで長安は大変なことになりますぞ。玉帝陛下にも叱られるやも知れません。せめて、人間に化けて力を抑えるべきと存じます」
それもそうだと納得した龍王は、身を翻して白皙の美青年に変じると、水面から静かに長安の都へと上がっていった。
◇
涇河龍王が長安の西門街に来ると、空の魚籠を持った婦人が“神課先生”と書かれた看板の店から出てくるのが見えた。
あれが例の不届きな占い師の店だと当たりをつけ、涇河龍王はその門をくぐった。
涇河龍王は息を呑んだ。
それというのも、その占い師は呪文でこれでもかというほどの美男子に化けた龍王よりも、さらに眉目秀麗で気品溢れる風貌だったからだ。
「あ、あなたが占い師の袁守誠かね」
占い師は卓上に膝をついたまま返す。
「いかにも。今日は何を占ってもらいたいのだね」
龍王はおほんと咳払いして、言った。
「明日の天気を占ってほしい。雨の量まで正確に」
そう言う龍王に袁守誠はぶっきらぼうに答える。
「辰の刻から雲が張り、巳の刻に雷が鳴り、午の刻から降りはじめて、羊の刻には止む。雨は全部で三尺三寸と四十八滴だ」
そんなに正確にわかるものかペテン師め、と龍王は思う。
「当たっていたら、報酬に黄金の鯉も、望むだけの金もお渡ししましょう。だが、外していたら……私は気の短いたちでしたな。暴れて、こんなちっぽけな店などめちゃくちゃにしてしまうかもしれません」
袁守誠はため息をついた。
「どうぞご自由に」
◇
涇河の中に帰った龍王は、不在間に玉帝より聖旨ーー指令書のようなものーーが届いたと聞いて、速やかに目を通した。
龍王はわなわなと震え出した。
「そんな、そんな馬鹿な」
聖旨の内容は、長安に雨を降らせろというものだったが、その詳細は袁守誠の述べたものとぴたりと一致していたのだ。
がっくりと肩を落とす龍王の耳に鮗の軍師が囁いた。
「なに、少しばかり雨の量を変えればいいのです。そうすれば占いは外れることになり、占い師との賭けに勝つこととなりましょう」
龍王はその献策に飛びついて、次の日の雨の時間をずらし、量も少なく降らせた。
雨を止ませると人間の姿に化けた涇河龍王は、再び袁守誠の店を訪ねた。
「きさまぁ!まるで占いと違っていたではないか」
龍王はわざとらしく怒鳴って、掛け軸やら椅子やらを破いたり蹴飛ばしたりした。
しかし、袁守誠は泰然として机に膝をついたままその様子を眺めていた。
「さあ、どうするつもりだ。店をたたんでこの街を出ていくか……」
「あなたこそ、玉帝の聖旨に背いてどうするつもりだ」
「あ……?」
静寂があたりを包んだ。
「あなたは涇河の龍王であろう。あなたは玉帝の意思に背いて天候をまげた。死罪はまぬかれんぞ」
龍王は何か言い返そうとして言葉に詰まり、ふと空を見上げた。
すると、空には赤い光が差しそれが帯のように広がっていった。
不吉な気象を見て、龍王は自身が玉帝の怒りを買ってしまったことをようやく認識した。
そして、それを看破したこの占い師はただ者ではない。
龍王はがばと身を伏せた。
「今までの非礼を詫びるッ。あなたは占い師に身を変えた名のある聖仙とお見受けする。私が助かる方法はないか。どうか教えてくれ」
「私にはあなたを助けることは出来ない。あなたを助けることが出来るのはただ一人。それは」
袁守誠はそう言うと窓辺に立ち、長安の中心部、太極宮に視線をやった。





