第2話 KOM(キングオブモンキーズ)
天界の二将軍が去って後、岩猿は木々の間を跳びまわりながら果実をもいで食べては眠り、眠っては食べの生活を続けていたが、やがて猿の群れに出くわし、しれっとその群れに加わることとなった。
とは言っても、お互いに虱を取り合ったり、貝殻でお洒落をしたり、芋を海で洗って塩味をつけたり、桃の種でお手玉をして楽しく暮らすだけであり、技術的な進歩などは何もない単調な生活であることは独りのときと変わりなかった。
ある晴れた春の日、猿達が川辺りで水切りをして遊んでいると、一匹の猿が猿の言葉でこんな事を言い出した。
「この川って源はどうなっているんだろう!今日はヒマだし、流れを遡ってみようよ」
数十匹の有志が集まって川を遡ることになり、その中には件の岩猿も混ざっていた。
川辺りを遡ること数里、ついに水源にたどり着いた猿達はその景色に圧倒された。
翡翠のように澄んだ湖の背面に天をも貫く勢いの断崖、その崖の中腹から轟々と流れ落ちる瀑布、滝を落ちる純白の水飛沫には虹がかかっていた。
しばらく腰を抜かしていた猿達だったが、やがて湖を調査し始めた。
そこで判明したのは、滝壺の下に水中洞窟とでも呼ぶべき穴があり、どこに繫がっているかはわからない、ということであった。
「あの洞窟に潜ろうという勇者はおるか」
一匹の老猿が発した言葉に猿達はどよめき立った。
「どこかに通じている保証はない。進み過ぎて行き止まりだったら、窒息して死ぬかもしれん。それでも行く者はおるか」
「俺様が行くぜ!」
岩猿が群れを掻き分け進み出た。
「但し、条件がある。洞窟の謎を明かして無事に戻ってきたら、俺様をこの群れの長とすること。マ、死んじまったら、死体はそのままうっちゃって構わねぇぜ。“死して屍拾う者なし”ってな。所詮はその程度の猿だったって事だ」
猿達は手拍子で賛同の意を示した。岩猿は周囲を睥睨すると、息を吸い込んで止め、勢い良く滝壺に跳びこんだのであった。
岩猿は水中洞窟を進みながら、自分はどうやら泳ぎは得意でないらしいという事に気づいた。それは技術的なものというよりも、何か相性とでも言うべきものなのだろう。四肢の動きが地上や樹上にいるときと違って思うに任せず、いらいらしながら進む。やがて息が苦しくなりつつある時、頭上に光が射しこんだ。
水面に顔を出すと、その周りは岩を並べて固めてあった。
岩をよじ登り、身体の水を振るって落としながら、周囲を見渡す。
洞窟の中である。あるのだが、壁面は岩を削って平面にしてあり、あるいは丸みを帯びて柱のようにされ、岩猿が猿達の噂で聞かされた“人間”の手になるものであることは明らかであった。岩の寝台、岩の机や椅子が数百からあり、その技術力の高さを窺わせた。こんな凄いものをつくる連中が、どうして消えてしまったのだろうか。
岩猿が壁に手をつきながら進んでいくと、両側に松明の台がある祭壇のような一画に出くわした。そこには猿の顔をした戦士が人間の戦士とともに、頭が何個もある奇怪な人間と戦っている様が浮き彫りにされていた。
やがて、入り口にたどり着いた。入り口の傍らに石碑が立っており、そこには“花果山福地 水簾洞洞天”と彫ってあるのであった。岩猿にはまだもちろん読めないのだが。
◇
生還した岩猿は猿達の大喝采にむかえられた。
「あの洞窟は俺様達全員が住んでもまだ寝床が余る。びしょ濡れになりながら木々の間で梅雨をやり過ごすような、しみったれた生活におさらばしよう!さぁ!」
岩猿が再び滝壺に跳び込むと、若い猿達がそれに続き、半信半疑だった老猿達も最後にはみな跳び込んだ。
果たして、水中洞窟を抜けた先には岩猿の言ったとおりの世界が広がっていた。
猿達は人間よろしく寝床に我先にと寝転んでみたり、朽ちずに残っていた敷物を奪い合ってビリビリに破いてしまったり、猿の浮き彫りをわけもわからず拝んでみたりしていたが、岩猿の一喝によってピタリと動きを止めた。
「お前たち!約束を忘れちゃいねぇだろうなッ!」
一匹の老猿が群れから進み出て、祭壇に座る岩猿の前に跪いた。それは湖に跳び込む勇者を募った、あの老猿だった。
「我らが王よ」
猿達は続々と跪き、やがて歓声が上がった。
「王様万歳!王様万歳!」
岩猿は猿達の得意分野、例えば芋を掘る、沢蟹を取る、果物を見つけるといった特技に合わせて役割分担を行い、また能力や長幼の別で身分の上下を設けた。さながら人間の王のようであり、この事からもこの岩猿が猿界に留まる器でないことは明らかであったが、まだこの美猴王の存在を知る者は猿達の他にいなかったのである。
岩猿がいかにして猿の枠を飛び出すか、それは次回に譲ることとする。