第15話 専門家
悟空が洞窟内に侵入した兵隊達を如意棒で打ち払い、洞内から飛び出すと、滝の周囲には九人の天将が並んでいた。胴鎧に九曜紋が描かれ、その中心にはそれぞれの象徴とする貴石が嵌められている。武名も高い天将の一団、九曜星だ。鎧に紅玉を嵌めた天将がズイと進み出る。
「サルめ、汝は十悪の罪業を犯したのであるぞ!蟠桃を盗み、神酒を盗み、仙丹を盗み……」
悟空はけらけら笑っている。
「でっていう。やったがどうした」
「大人しく縛につけば、手下どもは見逃してやる。いやのいの字でも言ったならば、この山もろとも木っ端微塵にしてくれるわ」
「俺に木っ端微塵にされる前に、出来るものかね?」
悟空は言うが早いか絡んできた天将の胸に目掛けて如意棒を突き出した。如意棒は天将の胴鎧を粉砕した。きらきらと光る破片を散らしながら、天将は地平線の彼方に吹き飛んでいった。
「日曜星が!」
「あら、日曜日は好きだから最後に取っておこうと思ってたのにな。まあいいや、まとめてかかってこいよ」
九曜星は各々、虎眼鞭や青銅剣、四明鏟や神臂弓といった天界の業物を手に構えるや、一斉に打ちかかってきた。
◇
「お久しゅうございます、父上。戦況はいかがですか」
空に設けられた托塔李天王の幕舎にツルツル頭を光らせて頑健な僧侶が入ってきた。
「木叉か。修行の方はいいのか」
木叉太子、観世音菩薩の弟子となってからは恵岸行者と呼ばれることが多い。托塔李天王の息子であり、哪吒太子の兄である。
「もちろん修行が辛くて逃げ出してきたわけではございません。主人が蟠桃会に招かれ、私も護衛としてついて行きましたが、化け物猿に台無しにされて宴は中止とのこと。様子見がてら、加勢してこいとの主人の命があったのです」
「九曜星は既に敗退し、今は二十八宿に囲ませているが、状況は芳しくない。お前も菩薩のもとでいささかの神通力を身につけた様子だが、無理はするなよ」
恵岸行者が一礼すると渾鉄棍をくるくると回し、衣を結わえて出て行った。
滝のほとりでは既に二十八宿の半数ほどがのびている。
奎木狼が獣人に変じて激しく敵と打ち合っているが、力及ばず、弾き飛ばされてしまった。
「おや、坊さん。こいつら半殺しにはしてるが、殺してまではいないんだ。読経は結構だぜ」
「私は托塔李天王が二太子、木叉。観世音菩薩様の弟子となってからは、恵岸行者と名乗っている。お前を調伏し、御仏の力を世に示そう」
「坊主は木乃伊になるまで大人しく修行してろい!喰らえッ!」
悟空の如意棒を恵岸の渾鉄棍が素早く受ける。二つの武器が放つ激しい音が島中を震わせた。
「やるじゃないか。あんたの弟も中々の腕だった。まあ、俺様には敵わなかったが」
「ならば、哪吒のお返しもさせてもらおう」
恵岸の渾鉄棍が宙に閃く。悟空は渾身の一撃をするりと受け流す。悟空が避けざまに如意棒を振りぬくと、恵岸行者は渾鉄棍を振り上げて受ける。
二人の戦いを横目に、トサカのある昴日星が奎木狼を助け起こした。
「見ろよ、互角の戦いだ。これはいけるかもわからんぞ」
「違う……サルの反撃は力を抑えた最小限だが、行者は常に全力でかわしている。残念だが、力量の差は歴然だ」
奎木狼の言ったとおり、恵岸行者は五、六十合も打ち合うと次第に呼吸が乱れてきた。
「か、必ず復命せよとは主人の言いつけだ」
恵岸行者は棍を空振りすると瑞雲に乗って幕舎まで逃げ戻った。悟空も少しは疲れたのか、汗を拭いて、滝の水を掬って飲み、追い討ちをかけなかった。
幕舎で恵岸行者は興奮気味に李天王に報告する。
「すごい。すごいやつです。私ではとても敵わなかった。いやぁ、参りました」
「お前、喜んでる場合か!」
恵岸行者は李天王の使者である大力鬼王を伴って、玉帝のおわす霊霄殿に参内した。
◇
霊霄殿では観世音菩薩が陛下に侍立している。観世音菩薩は天女の姿をとり、白衣を纏いて、左手に半開の蓮花を捧げ持っている。菩薩はその美しい顔に慈悲をたたえて、弟子の労をねぎらった。
恵岸行者は斉天大聖によって既に九曜星と二十八宿が打ち破られ、助太刀した自分も敵わなかったという報告をし、更なる援軍を請う上奏を行った。
上奏を受けて玉帝は苦笑する。
「とんでもない化け物もいたものだな。そんな逸材を腐らせて敵に回してしまったとは。これは朕の見る目がなかったというのは認めざるを得ん。もう、いっそのこと、朕自ら出陣して始末をつけようか」
観世音菩薩が薄い唇を開いた。
「陛下が玉体を無闇に戦地に晒すこと、これは好ましくありません」
「ふむ、しかし、他に手段があるのか」
「あの方に出陣を願いましょう。妖魔退治の専門家、第三の目を持つ半神、そして陛下の甥御でもあらせられるあの方です。その三尖両刃刀に敵うものなく、神犬と神鷹から逃れる術はなし。彼の率いる梅山六兄弟と草頭神の軍勢は天界の兵にも勝ります」
「あやつは朕が宮中の官職を与えようと度々呼び出しても、あれこれと理由をつけて断ってきた。すんなりと来るものかな」
観世音菩薩は右掌を下に向け、目を瞑る。衆生の願いを観るための、与願の印である。掌に淡い光が灯ってやがて消える。菩薩は目を開けた。
「彼は陛下に将として評価されたいと願っている故に、廷臣となるのを避けてきたのです。通常の詔ではなく、緊急時の出兵の詔を出せば、その矜持をくすぐり、連れてくることが出来るでしょう」
玉帝はしばし考えたが、やがて厳かに言った。
「筆記の用意を。朕は我が甥、顕聖二郎真君を将として迎え、再度出兵する」
直ちに聖旨が書かれ、かの戦士へ渡ることとなった。妖魔退治の専門家と斉天大聖孫悟空の戦いはいかなる顚末を迎えるのか、次回へ続く。