第10話 メジャー・スカウト
玉帝は朝政の前に、下界の出来事をまとめた絵巻物に目を通していた。下界ではある王朝が衰運し、それに乗じて良からぬ者が蔓延っているらしい。
「俗人の世も大変だの。まあ、我らからすれば一瞬の内に終わる出来事ではあるが」
朝政をはじめるとすぐに侍従長の邱弘済真人が現れた。手には告訴文を持っている。
「東海青龍王から、恐喝犯の化け物についての告訴状であります。昨日の夜から青龍王はこちらで控えております」
玉帝は読みながら、笑い出した。訴状には猿の化け物に武器や鎧兜を強奪された事への恨み節が綴られている。青龍王の憤懣やる方ない様子が文章から伝わってくる。
「なんとも無礼な猿だ。よし、すぐに兵をやってこの畜生を捕らえてやろう。すぐに青龍王に伝えよ」
今度は葛仙翁天師が進み出る。
「告訴状がもう一通ございます。地蔵菩薩様からです」
その告訴状には、化け物猿が幽冥界を荒らし生死簿から名前を削った顛末、そして閻魔大王が同じ死後の世界を守護する地蔵菩薩に助けを求めたことが記されている。
「はて、するとこの二つの訴状にある猿は同一人物……同一猿物?なのか。誰ぞ、こやつに聞き覚え、見覚えのあるやつはおらぬか」
すると順風耳が目をつむって進み出る。
「それがし、聞き覚えがありまする」
つづいて千里眼が耳を押さえて進み出る。
「それがし、見覚えがありもうす」
二人はそろって言う。
「こやつは既報告にある、傲来国は花果山水簾洞の岩猿でありましょう。例の“光る目事件”のやつです」
「あー、“寝台が眩しい事件”のあいつか」
「あの後も経過を観察しておりましたが、何十年か前に行方をくらましました。どのような仙人に師事したのかわかりませんが、戻ってきた時には強力な仙術を身につけておりました」
「ふーむ、余計な事をしてくれる仙人もいたものだ。……誰ぞ、討伐軍の大将となって、この猿を捕らえようという者はおらんか」
すかさず出てきたのは太白金星であった。
「恐れながら申し上げます。件の猿も天地の育んだ華にございます。また、頭を天に頂き、脚で地を踏みしめ、その上で仙術までも身につけたとあれば、これは人と如何程の違いがありましょうか。これはいっその事、この猿めを天界に招き、適当な官職を与えてしまってはいかがでしょう。従順になるようであれば昇進させれば良いですし、凶状が治らずば、その時懲らしめれば良いのです」
「とりあえず手元においておけば転がしやすい、という事か。よし、この件はその方に預けよう」
玉帝がそう決すると、太白金星は聖旨を奉じて東勝神州へ向けて降りていった。
◇
天から降りてきた光の粒子が集まり、人の形となった。この様子を見て、花果山水簾洞の門番の猿はたまげてひっくり返ってしまう。
「儂は玉皇上帝陛下の聖旨を奉じて、お前らの王を天界に迎えに来たのだ。倒れてないで、早く伝えてこい」
猿は慌てて、悟空の元に走っていった。
「大王様!空から降ってきた、なんかピカピカしたジジイが、なんとかいう偉い人の書付をもってやって来ました!大王を天に招くとか言っております」
悟空は盃の酒を飲み干した。
「さては玉帝が俺に目をつけたんだな?丁度いい、そろそろ天界観光にでも行こうと思ってたんだ」
太白金星は悟空の前に招かれると、聖旨の内容を伝えた。
「というわけであるからして、速やかに天界へ来られたし」
悟空は太白金星の肩をバンバン叩いて言う。
「そう急ぎなさんなって。まま、一杯やりましょうや」
「ははは、儂は公務で来ておる故、ゆっくりはできん。天界に行って、ご栄転なされてから一席設けましょうぞ」
「つっまんねーなぁー。飲もうよー」
冗談めかした声と反対にまったく笑ってない鋭い目。太白金星は、悟空のその落差に、胸騒ぎを感じた。こいつは自分が思っていたよりも厄介な奴かもしれない。
「ま、いいや。お前たち、俺はしばらく留守にするからな。四将に従って、鍛錬を欠かさぬように。天界がここより住み良かったら、みんなで住もうな」
二人は猿達の大歓声に見送られて、天に登っていった。
次回はお待ちかね赤兎馬が登場する回。
そう、西遊記にはなんでも登場するのである。