無意識下の表出
私自身が好んで行う創作の形。表出したものの捉え方は、シュルレアリスムと似てる。無意識下の思考を思考という形になる前に表出させ、表出されたものを後から解釈する。考え方は、自動筆記とも似ているけれど少し違うのは、その表出されたものは、ただの音や記号、意味の為さない絵にもならない線や陰、ただの色であっても意味とし、意義とし、有意義として捉えようとする在り方で、その解釈も縦横無尽。造語もその過程でつくられることが多く詩に放ることもある。(好き勝手)そこから連想するもの、動くもの、発想、関連するもの、影響を与えるもの、例えば風、や息遣い、例えば肌、感触、あらゆる感覚を刺激されたものを全て有りと捉え、表出する。無意識下の表出は、想像や思考とも深く結びつく、それら全てを合わせての思想の表出状態を(私の中では)指すとする。けれど、その無意識下の表出は、その表出状態のために仕方のないことなのだが、表出後のあらゆる感覚、表出した言語の形を変えることそのものが不可となる。無意識下で意識がそれは、表出した元の状態とは別だと拒絶するため。全てを感覚で張り詰めさせた表出の為、在る一面では仕方のないことだが、推敲が難しい状態となり、他者が理解出来る代物とならないことが多い。根本的なそういった他者(他者という言葉には解釈する自分も含まれる念のために)との言語としてのやりとりをもっとスムーズにするため、より無意識下で表出されたものを言語として翻訳していく精度を高めたいと現時点では考えている、表出形態のひとつ。