走れよメロス
メロスは憤怒した。必ずかの傍若無人な暴君を除かねばならないと決意した。メロスには祖父も祖母も、父も母も居ない。勿論女房も居ない。世話焼きな妹と二人暮らしだ。この妹は結婚間近なのである。それゆえ、メロスは結婚式の衣装や祝いの品を買いにはるばるこの都にやってきたのだ。また、この都にはメロスの竹馬の友も居た。買い物のついでにその友人を訪ねる予定なのだ。買い物を終えて友を訪ねようと街を散策していると、この都の鬱蒼とした空気に気が付いた。以前来た時には無かった重苦しい雰囲気だ。メロスは原因を通りすがりの老爺に訪ねた。老爺は機械的に答えた。
「王様は罪のない人々を投獄します。」
「なぜ投獄するのだ?」
「被害妄想です。」
「たくさんの人々を投獄したのか?」
「はい、初めは妹婿様を、次に、お世継ぎ様、妹様とそのお子様、さらにはお后様を。そして、参謀のアレキス様を始めとした側近たちを次々に。」
「驚いた。国王様はノイローゼか?」
「いいえ、ノイローゼではございません。ただ疑心暗鬼に陥っているだけです。この頃は一般市民の不届きもお疑いになり、貧民の家督には人質を一人づつ差し出す事を命じています。命令に背けば、強制収容所に投獄されます。今日は6人も投獄されました。」
メロスは激怒した。
「呆れた王様だ。懲らしめてやらねば!」
メロスは国王に直訴しに参った。メロスは国王の前で拳を振り上げた。
「その左手で何をするつもりだ?申せ!」
「暴君の顔を殴り飛ばし、都を暴君の手から救うのだ。」
「お前が?
仕方がない奴だ。お前には余の苦悩が分からん。」
「言うな!
人を信じないのは最も恥ずべき不徳だ。王様は民の忠誠心さえも信じていらっしゃらない。」
「疑うのが正当な心構えだと余に教えてくれたのは市民たちだ。他人の心は当てにならない。信じられるのは、結局のところ自分だけだ。
余の圧政は平和を望んでのことだ。」
「なんの平和だ!罪のない人々を投獄して何が平和だ!」
「黙れ、はみ出し者。
綺麗事など口で言うだけならいくらでも言える。余には人の心の奥底が見え透いてならん。
ここまで無礼を働いたんだ。お前は投獄だけでは済まされんぞ。」
「私は死刑も覚悟で来ている!命乞いなどはしない!
ただ……」
「ただ?」
「ただ私に情けを掛けたいなら死刑までに1週間期限を与えて下さい。たった一人の妹の毛婚式を祝ってやりたいのです。1週間のうちに私は村で結婚式に参加し、必ずここに戻ってきます。」
「バカな!
逃げた囚人が帰ってくると思うのか?」
「そうです!帰ってくるのです!」
メロスは顔を真っ蒼にして必死に言い張った。
「そんなに私を信じられないなら、よろしい。この都に檀一雄という小説家が居ます。私の唯一の親友だ。彼を人質としてここにおいて行こう。1週間経っても私が戻ってこなかったら彼を煮るなり焼くなり好きにして下さい。」
「え?」
国王は戸惑ったが、この男を試してみるのもありかもしれないとほくそ笑んだ。
「願いを聞きれよう。その身代わりを呼ぶがよい。1週間後の日没までには帰ってこい。1秒でも遅れたら、その人質を、代わりに投獄するぞ。」
「有難き幸せ!」
メロスの唯一の親友・檀一雄は深夜宮殿に強制連行された。暴君の面前にて2人は半年ぶりに相見えた。国王はメロスの親友に一切の事情を語った。檀一雄は無言で受け入れ、メロスと熱い抱擁を交わした。その後メロスはすぐに出発した。初夏の満面の星空である。
檀一雄は自宅で軟禁されながらも大人しくメロスの帰りを待った。そして、軟禁されてから、1週間後の夕方、メロスは一向に姿を現さない。檀一雄はこの時、生まれて初めてメロスを疑った。
しかし、檀一雄はすぐにハッとなって思い直した。彼が裏切るはずがないと。檀一雄は彼が戻ってきたら、一瞬でも疑った事を謝罪し、彼に自分の頬を思いっきり殴らせようと心に決めた。
ところがどっこい、日没になってもメロスは帰ってこない。流石の暴君も本当に投獄するわけにはいかないので、檀一雄の軟禁状態を続けながらメロスの帰りを待った。ところが待てど暮らせどメロスは帰ってこない。
期限の日から5日過ぎても帰ってくる気配を一向に見せないメロスに、しびれを切らした国王と檀一雄はメロスの妹の元を訪ねる事にした。
国王と檀一雄はメロスの妹と亭主の新居を訪ねた。するとメロスの妹の亭主が二人を迎え出た。
「え?お義兄さんですか?お義兄さんなら縁側に居ますよ?」
裏庭に回った二人は、メロスと妹が呑気に将棋を指しているのを見つけた。
「待った!」
「待ったは三回までよ、お兄様。ふふっ。」
檀一雄は激怒した。
「待つ身が辛いか?待たせる身が辛いか?」
メロスは顔面蒼白になりながらそう開き直った。檀一雄は村いっぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。国王は呆れてしまった。
「仲間を売った奴など殺す価値もない。裏切り者に帰る場所などないからな。」
国王は妹とその亭主にメロスの事を全て暴露してしまった。メロスはその場に居られなくなり、妹夫婦の家を後にした。国王はさらにメロスの裏切り行為を村中に言いふらした。
たちまちメロスの噂は村中に広まった。悪事千里を走る。メロスの噂はSNSやネット掲示板・動画サイトなどで拡散され、メロスは国内中からつまはじきにされた。メロスは人気のない場所に逃げ出した。人目を避けるメロスは誰も居ない暗い洞口に身を潜める事になった。そして、メロスは夜しか出かけなくなった。卑怯な蝙蝠のように…。
ところが物語はここでは終わらず、メロスは自身の体験を活かした小説を書くことにした。
熱海の旅館に泊まっている主人公:太宰治が宿のツケを払うための借金を頼みに行く為に、身代わりとして友人を旅館において行く話である。その主人公はきちんと約束を戻り、借りてきた金でツケを払うのである。そのタイトルは…。
「走れ太宰治」であった。
その本は飛ぶように売れ、教科書にも載るような名作として語り継がれるのであった。