めそめそたぬきとしっかりきつね
あるところに、めそめそたぬきとしっかりきつねがいました。
めそめそたぬきは、自分に自信がなくていつもめそめそ泣いています。臆病者で狩りも下手くそでした。
彼は、何でも上手くこなすしっかりきつねのことをとても羨ましく思っていました。
しっかりきつねは、なんでもできる秀才です。小さい頃から狩りが得意で、森の動物たちの尊敬の的でした。しっかりきつねは友人のめそめそたぬきが心配で、彼を見つけては声をかけていました。
そんなある日のこと。
そわそわと山が寒さを感じ始めた頃です。めそめそたぬきは、木のすみにうずくまって泣いていました。あまりにもしくしくと泣いているので、きつねは声をかけました。
「ねえ君、そんなにしくしく泣いてどうしたんだい?」
「自分が不甲斐なくて泣いているんだ。放っておいておくれ。」
「どうして自分が不甲斐ないと思うんだい?」
「だって僕、狩りがとっても下手くそなんだ。もうすぐ寒い冬がくる。たくさんごはんを食べてあたたかい春を迎えたいのに、小鳥にさえ逃げられてしまうんだ。」
「なら、鳥を追わなければいいじゃないか。君は木の実も食べられるんだろう?」
「たしかに僕は木の実も食べられるさ。でも、それじゃあ駄目なんだ。僕はあの飛び回る小鳥を捕まえたい。あんな小さな鳥さえ捕まえることができない自分自身が嫌なんだ。」
「なるほど、そうなのかい。君がそう思うなら仕方がない。自分が納得できるまで小鳥を追いかけるべきだ。
だけど忘れないで。もし小鳥を捕まえることができなくても、君は木の実を食べることができる。それは決して敗北ではないんだよ。できないことがあるなら、何かそれに勝るような自信を身につければいいのさ。
なんなら森の木の実を一種類残らず全部食べてみて、小鳥なんかよりもずっと美味しい木の実を見つければいい。それはきっと、新しい君の自信になるよ。」
「そうかなあ、そうかなあ。君が言うなら、そうなのかもしれない。」
「ああ、そうだとも。」
「そうかい、じゃあ僕、頑張ってみるよ。」
めそめそだぬきは、へとへとになっても小鳥を追いかけました。疲れた時は木の実を探して、美味しい実をたくさん見つけました。
それからしばらくして、雨が降った日のこと。
めそめそだぬきは、またしくしくと泣いています。きつねは、そろりと声をかけました。
「ねえ君、どうして泣いているんだい?」
「水たまりに映った自分の姿が醜くて泣いているんだ。ほら、見てくれよ。こんなにも顔がぼわぼわと丸くて、まるでいがぐりのトゲみたいだ。」
「どうして醜いと思うんだい?それが君の個性じゃないか。」
「僕は君みたいな姿になりたいんだ。ぴんと立った耳に、すらりとした鼻がほしい。
脚だってそうだ。君のようなすらりとした脚があれば、この森中を駆け回ることができるんだろうなあ。ああ、君が羨ましい。」
「何を言っているんだい、自分と他人を比べちゃだめさ。君には君の魅力がある。丸々として何が悪いんだい?とっても優しげで、君の性格を表しているじゃないか。自分自身の姿を、まずは自分が愛してあげなきゃいけないよ。心配しないで、僕の目には、君の姿はとても素敵に見えているさ。」
「そうかなあ、そうかなあ。」
「ああ、そうだとも。」
「そうかい、じゃあ僕、もう少し自分を好きになってみるよ。」
たぬきは、まじまじと自分の顔を見つめてみました。ぼわぼわで丸々だけれど、大きな黒い目やちょこんとついた鼻がなんだか愛嬌があるんじゃないかしら、と思いました。そう思うと、なんだか少し自分の姿も好きになることができました。
それからまたしばらくして、ある日のこと。
たぬきはまたしくしくと泣いていました。きつねもまた、そろりと声をかけました。
「ねえ君、どうして泣いているんだい?」
「僕は人間が怖くて泣いているんだ。
やつら、最近なにかと森にやってくる。大きな銃をもって、火薬のにおいをぷんぷんさせているんだ。一番嫌なのはあの音さ!
昨日、人間たちが僕のすみかまで来たんだ。あの大きい音を聞いて、僕は気絶してしまった!足を掴まれて宙ぶらりんになったところでやっと目が覚めて、慌てて逃げたんだ。ああ、思い出すだけで心臓がどきどきする。
それにしても、音だけでひっくり返るなんてぼくはなんて臆病者なんだろう。ああ、情けない。」
「あの大きい音には誰だって驚くさ。ひっくり返っても仕方がない。でも、君はあいつらから逃げきったんだろう?すごいことじゃないか。」
「逃げ足だけが速いなんて、かえってマヌケじゃないか。なんだかもっと恥ずかしいよ。」
「そんなことないさ。だって君、逃げ切れていなかったら今頃あいつらの毛皮にされてるぜ。逃げ足が速いことだって立派な技さ。」
「そうかなあ、僕はやっぱり、勇敢になりたいんだけどなあ。」
「じゃあもっともっと走る練習をすればいいのさ。逃げ足だけじゃなくてほんとうに足が速くなったら、いつかきっと君の役に立つよ。」
「ううん、そうかなあ、そうかなあ。」
「ああ、そうだとも。」
「そうかい、じゃあ僕、一生懸命走ってみるよ。」
たぬきは、たくさん走る練習をしました。最初のうちはすぐへとへとになっていたけれど、だんだんと本当に足が速くなっていきました。なんだかそれだけで勇敢になれた気がして、たぬきはまたたくさん走るのでした。
はたまたある日のこと。たぬきはまた泣いていました。きつねは、いつものように声をかけました。
「ねえ君、どうして泣いているんだい?」
「僕、気づいてしまったんだ。僕は生きることが下手くそなんだ。」
「それって、どういうこと?」
「小さなことにいちいち悩んで、まるで世界に不幸しか無いように感じる。みんなみたいに明るく生きていきたいのに、どうもそれができないんだ。何をやっても失敗ばかり。
生物それぞれに得手不得手があるというけれど、僕は生きていくこと自体が下手くそだったんだ。」
「君は難しいことを言うなあ。そうやってずっと考えているから、どんどん難しくなっていくんじゃないかい?」
それを聞いたたぬきは、なんだか腹が立ちました。何でも上手くこなすきつねはこんなことを考えたこともないんだろう。僕は真剣に悩んでいるのに。そんなことをめらめらと考えていたら、彼は思わず大きい声を出してしまいました。
「うるさいなあ!君みたいな何でもできる奴にはわからないよ!もう放っておいてくれ!」
2匹の間に沈黙が流れました。たぬきは、めらめらとした怒りをまだ抑えられずに息を震わせました。
「…………そう、悪かったね。」
長い沈黙のあと、きつねはふと顔を背けてどこかへ行ってしまいました。その後ろ姿を見てたぬきはいらいらしました。
「そんな傷ついた顔して何だって言うんだ。僕には無いものを全部持っていて、悩むことなんてなんにも無いくせに。きっと僕とは見る世界が違うに決まってる!あんな奴に僕の辛さなんてわからないんだ。ああ、いらいらする。
ちょっとくらい強く当たったっていいだろう。みじめな僕なんかとは違うんだから。あの帰り際も何なんだ。感情的な僕への当てつけなんじゃないか?ああ、いらいらする、いらいらする!」
たぬきは葉っぱを蹴飛ばして、意味もなくあたりを駆け出しました。葉がぶわりと舞い上がっても、お構い無しにバサバサと走り抜けました。
どれほどの時間がたったでしょう。息がきれたたぬきは、やっと走りをゆるめました。心臓がばくばく鳴って、顔が熱くなっているのを感じます。
すると、たぬきの足元にぽたりと水滴が落ちてきました。水滴は、立て続けにぼたぼたと降り落ちました。
それは、たぬきの涙でした。
たぬきは、きつねを傷つけてしまったということにもうとっくに気付いていたのです。
それから何日かたったある日、たぬきはもう泣いていませんでした。ずっとずっときつねのことを考えていました。しかしきつねは近頃まったく顔を見せてくれません。愛想をつかされたことくらい、たぬきにもわかっていました。
「ああ、あたりまえだ。彼はずっと僕を励ましてくれていたのに、僕はあんな風に怒鳴ってしまったんだもの。自業自得とはこのことだ。」
たぬきがつぶやいても、返事は返ってきません。彼は一人ぼっちでした。鼻の奥がツンと痛くなりました。悲しくて悔しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
「もう友達でいられないのは仕方がない。でもせめて、最後に一目見てちゃんとお詫びがしたい。」
たぬきは歩き出しました。きつねにどう思われたとしても、しっかりと謝りたいと思いました。
きつねの家は少し離れたところにあります。たぬきは何個か坂を越え、やっときつねの家に着くことができました。しかし、家にきつねの姿はありません。近くを探してみても、きつねはどこにもいませんでした。たぬきは小さくため息をつきました。
もう帰ろうかと思ったその時です。バン!と大きな音がしました。そうです、人間の銃の音です。あたりに響き渡って、鳥たちがバサバサと飛び立ちました。
なんだかとても嫌な予感がしたので、たぬきは急いで音がした方へ向かいました。
がさがさと葉っぱをかき分けて探していると、少し遠くにきつねのしっぽが見えました。
「君!大丈夫かい!?」
叫びながら目の前の一番大きな葉をどけたとき、たぬきは立ちすくみました。
腹のあたりからダラダラと血が流れ赤く染まった毛並み。浅く苦しげな呼吸。かたく閉じられた瞳。
きつねは、人間に撃たれていたのでした。
「きみ、きみ……」
たぬきは呼びかけました。しかしきつねからはただ喉から漏れる呼吸音だけが返ってきて、目を閉じたまま動きません。このままでは死んでしまう。それは明らかな事実でした。
「だれか…だれか…!」
たぬきは助けを呼びました。しかし動物たちは先ほどの銃声でみな逃げてしまっています。
たぬきは、どうしようもない恐怖でいっぱいになりました。
助けなきゃ。どうやって?誰もいない。じぶんだけで?ひとりで、彼を。そんなこと、できる?ああ、喉が、笛のように鳴っている。鮮明な赤が広がっていく。死ぬ、死んでしまう。はやく、はやく、助けないと。怖い、こわい。
足から全身に恐怖がかけぬけ、体はがくがくと震えました。彼にはどうもできない死が、もう眼前まで降りてきているのが見えていました。横たわる友人が本当に動かなくなってしまうことが、こわくてこわくて仕方がありませんでした。
ぱちり
恐怖に後ずさった彼の足元で、何かが弾けました。
木の実です。丸くて小さな木の実が、たぬきに踏まれて潰れていたのです。
そのとき彼はハッとしました。
「そうだ、木の実だ。これなら彼を助けられるかもしれない!」
たぬきは一目散に駆け出しました。というのも、彼は怪我にきく木の実を知っていたのです。それは、小鳥を追う間に見つけた木の実でした。
小鳥を捕まえられなくて泣いたあの日、たぬきはきつねに励まされました。自分が納得できるまで、小鳥を何度も追いかけまわしたのです。
疲れたときは、森に広がる木の実たちを採ってまわっりました。たくさん木の実を集めるうちに、彼は偶然怪我の調子がよくなる実を見つけていたのです。
山の向こう側でみつけたあの木の実。少し苦い味がするけれど、きっとあれが役に立つはず。
たぬきは自分でも気づかぬうちに、森の木の実にすっかり詳しくなっていたのでした。
たぬきは山のむこう側へ走りました。
毛が不細工にぼわりと逆立ちましたが、今はそんなこと気になりません。自分のぼわぼわとした容姿を気にしていたたぬきは、もうそこにはいませんでした。
またさらに走って走って、それからまた走っても、足はまだまだ元気でした。それは、彼が走る練習をしたからです。人間から逃げるための逃げ足よりも、今駆けている足のほうがずっとはやく走ることができました。
たぬきが努力していた日々は、たしかに彼の力になっていたのです。
きつねのもとへと急ぐたぬきは、もうめそめそしていませんでした。
それからいくつかの月日が経ちました。きつねはなんとか息を吹き返し、少しずつ元気になっていきました。
そんなある日、たぬきがきつねの家を訪ねた時のことです。きつねはずっとくすくすと笑っています。たぬきは耐えきれず、きつねに問いかけました。
「ねえ君、そんなにくすくす笑ってどうしたんだい?」
「君が面白くて笑っているんだ。」
「僕が?なんだい、失礼だなあ。」
「いやあ、だって、君が随分変わったものだから。」
きつねは穏やかにたぬきを見て、また喋り始めました。
「ねえ君、前に言ったろう。『僕は生きるのが下手くそだ』って。僕は、そんなことを考える君は馬鹿だと思うよ」
たぬきはそれを聞いてぷりぷりと怒りました。
「なんだって!僕は真剣なのに!」
きつねは、なお穏やかに話を続けます。
「ごめんごめん。怒らせたいわけじゃないんだ。
でもね、僕は本当にそんなことはどうでもいいと思うんだよ。
君は自分の行い全てを失敗のように思っているみたいだけれど、本当にそうなら僕のことを助けられるもんか。僕は怪我をなおす木の実なんて知らなかった。あの山のむこうまでなんて、とても走っていけないよ。こんなこと、誰にでもできるわけじゃない。
僕が今ここで生きているのは全部君のおかげなんだ。
君は君のままでいいんだ。僕はそのままの君が好きだよ。助けてくれて、ありがとう。」
たぬきはそれを聞いて、声を上げて泣きました。自分をみじめだと思った気持ちも、走り回った必死さも、決して無駄なことではなかった。生きてきた時間は決して間違えではなかった。
彼の話は、自分の存在をすべて肯定してくれたような気がしました。やっぱり自分は生きるのが下手くそだとは思うけれど、そんな自分も許して生きていきたいと思いました。
たぬきはめそめそするのをやめて、少しずつ自分を好きになりながら生きていきました。
その隣には、きつねがにこにこと寄り添っています。
彼らは、いつまでも仲良く暮らしました。