ある日の駅にて
「またしょげた顔してんな、お前」
力仕事の作業から抜け出さないままの無作法な仕草と言い草でジョバンナ=ルケーニは知人の少年に言った。
無学の木偶の坊のような者が集まって働いている鉄道駅は、柱の木目のささくれや置物の無造作な有様が剥き出しになり、くすんだ明かりの下で無骨さを覆えずに無様にさらしていた。ジョバンナもあちこちの裾があまって垂れ下がったぶかぶかの服を着、手入れの気配がない髪、骨ばかりが皮膚を突いて盛り上がっているという見苦しいばかりの見た目をした若い娘の労働者で、その性格も無頼そのものだった。その前に座っている鶴は同じ年頃の少年とは思えぬほど落ち着いた雰囲気の、顔立ちの涼しく整った、容姿を品良く整えた若者だった。見た目からもわかる通り彼はジョバンナと違って特に育ちは悪くなく、見た目も内面も非の打ち所のない一一一見所がないので文句のつけようもないとも言える一一一少年だ。にも関わらず、この貧しい者の集まる無秩序な場所が、彼の心をいくらか安らがせているのだった。
ジョバンナと鶴とは友人だった。年は近かったが特に旧知の仲ではなく、身分と身の上はまるで正反対だった。だが、お互いに相反する気質がなんとなく惹かれ合い、打ち解けることができたのだった。
「そんなことないよ。別に悲しいことがあるわけでもないし」
苦笑い気味の繊細な微笑を浮かべて鶴が言うと、ジョバンナは無遠慮に鼻を鳴らして側の積み荷に腰を下ろした。
「学生さんってのは何もないのに悲しい顔になっちまうほど大変なもんなのか」
「僕はもう学生じゃないよ」
「ああ、そうだっけな。あんたももう死んでるんだっけ」
実に愉快そうな笑顔は皮肉だった。現在の状況と昔とでは決定的な違いがあることを時々忘れ、実に間抜けなことを言ってしまうのは死人の面白おかしい特徴だった。ジョバンナのように元来面白いもの好きな逞しい性質の者は途中で死に対する哀愁や感傷を吹っ切ってしまうのだ。
「生きてた頃は学校でよく言われたよ。優等生なのに悩んだ顔をして人に気を遣わせるのはみっともないって。情けない顔を見せたらみっともないんだってさ」
「まあ確かに弱そうな顔の優等生ってのは見たことねえな」
「...求められるものが多すぎるんだ。僕はいつもテストの順位や教師に言われることを気にしていた。だからいつだって気が重かった...時々それが顔に出ていたんだろうね。けれど、ひどく煙たがられたよ」
「ふうん」
実のところ、学校に行ったこともないジョバンナにとって鶴が吐露する感傷は共感できるものでなかった。彼の告げる境遇よりさらに苦しく悲惨な境遇を背負っている人間は数多思い当たるだけに、教育も家庭も服も、生きていく上のあらゆることが保証された健全な暮らしの中で育ってきた少年の悲しげな悩みの言葉に素直に同情できるほど心の清い人間ではいられなかった。自分がどれだけ価値あるものを与えられているかも知らずにまだいつでも悲しげに苦悩する顔を見せるなど呆れてものも言えなくなるし、我儘なことを言っていると自覚もない若者たちの姿には激しく苛立った。
だが、鶴は繊細な友人であることを知っているために彼女の鶴の「贅沢な悩み」に対する感情は単純な呆れと軽蔑には収まらなかった。彼の言う苦しみは理解に苦しむものではあったが、ただ皮肉るだけではいられないのだ。
「あたしにはあんたの辛い面ばかり見せるのが理解できそうにねえよ」
「だろうね...」
「けどよ、自分は悩んでると素直に他の奴に晒すのは嫌いじゃない。悪いことでもないと思うぜ」
「なぜ?」
「そうだろうが。私には悩みなどありません、なんて有り得ないこと言って超人ぶってる偉そうな奴を見るとうんざりするんだよ。悩みがない完璧な人間なんかいるわけねえだろ」
「完璧な人間なんかいない...ねえ」
「そういう嫌な奴よりかは、自分は弱いただの人間だって認めてしょげたみっともない顔もさらせる奴の方が私は好きだし、そういう奴の方が勇気があると思うぜ」
鶴はそれを聞いて微かに穏やかな表情を浮かべた。
本当は何となくわかっていたのだが。鶴の浮かない顔は悩みのせいではなく、昔に抱えていた数多くの苦悩のせいで張り付いた儚さが取れなくなっただけらしいということを。
つまり最初に声をかけたのもからかい文句に過ぎなかったのだが、彼としては心当たりのある問題に聞こえたようで予想だにせぬ悩みを与えてしまったのはやや申し訳無かった。だが、結果としてそれと上手く向き合えたのなら悩みがまた一つ小さくなったと考えれば良いことだろう。
ジョバンナは帽子を被り直すとふと鶴の顔を見て言った。
「しかしそっちの方が男前だな。せっかく恋人さんに会うならしけた顔よりそっちの男前な方の顔を見せてやりな」
「待ってくれ、なぜ今日の僕の用事を知っているんだ?」
「ハッタリに決まってんだろ。あんたが引っかかったんだよ」
ジョバンナはくっくっと肩を揺らして笑った。
「ジュネーブ行きの列車はあと2時間で来る。汽車を見せてやりたいならそれを待ちな。待ち合わせに時間があるなら一番口の前で花屋があるからそこで買い物でもしてくるんだな」
そう言って例によってニヤリと口角を上げると、鶴は肩を竦めてみせた。そうして一番口から帰るとジョバンナは仕事に戻っていて、鶴は働く友人を眺めながら長い待ち合わせに戻るのだった。