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一、



――行って参ります、とと様かか様。

――我ら鬼の一族は受けた恩は忘れぬもの。

――立派に恩返しを果たしてくるのです。

――はい、とと様かか様。

天に聳える霊峰を臨む谷の底、一匹の鬼が故郷を出た。

昔、人に命を救われた鬼は、恩を返すため、守り鬼となり生涯恩人の身を守るため、独り人里に降りる。



雨模様の空の下、後桐司ごとう・つかさは不機嫌だった。

後桐司はガラが悪い。脱色した金髪と目付きの悪い吊り目、裾をつめた学ランの裏地には真っ赤な龍の刺繍。一目見て粗暴で喧嘩っ早いと分かるような、やや古風ですらある不良中学生だった。

二年生に上がった矢先の五月。クラス替えの新鮮味も薄れて来るこの時期は、何をするにも気分が乗らない。司は不真面目な生徒だったから、朝の始業時間に間に合ったことなどない。早退も日常茶飯事。大概ニ限三限からの重役出勤で、ホームルームの前に帰宅する。

今日も六限をサボってふらりと学校を出た。理由などない、ただ何となく。直後に雨が降り出したのは、天罰だろうか。

傘を持てばよかったと思ったが時既に遅く、どうせ身一つと諦めて家まで歩いた。

学校から自宅までは二十分程かかる。門が見えた頃には頭から足元まで濡れ鼠で、雨で張り付いた髪が鬱陶しかった。

とっとと風呂にでも入るかとポケットから鍵を取り出した時、それに気付いた。

玄関先に人が居る。子供が一人、着物姿で俯いて蹲っていた。見覚えはない。庇の下に居るが、吹き込む雨に蘇芳色の羽織と長着が濡れていた。

「おい」

雨宿りか、或いは迷子か。何にせよ家の前で座り込まれるのは迷惑だと思い声をかける。

子供ははっと顔を上げた。黒髪の下から赤銅色の瞳が覗く。司と同い年か、一つ二つ年下くらいだろう。

「どけよ」

司は子供を足でどかす真似をしながら、玄関の引き戸を開けた。子供はのそりと立ち上がって、司を見つめる。去る様子はない。

「何だ。ウチに何か用かよ」

司は子供を睨みやった。子供は雨音にも掻き消えそうな声で囁いた。

「司に……会いに来た」

「知るか。とっとと失せろ」

ぴしゃりと、目の前で戸を閉めた。これ見よがしにがちゃりと音を立てて鍵をかける。

得体の知れない子供に付き合う趣味はない。放っておいたら帰るだろうと思っていた。

とりあえず、冷えた体を温めるべく風呂を沸かして、たっぷりとした湯船で温まった。

司が風呂から上がっても、雨はしとしとと降りそぼっていた。上気した肌にひやりと湿った空気が心地良い。

頭を拭いたタオルを首にかけつつ廊下に出ると、玄関のガラス戸が視界に入る。

その向こうに、子供の影が透けていた。

「まだ居やがったか、あのガキ」

どすどすと廊下を鳴らして、司は三和土に下りた。がらりと勢い良く戸を開けると、子供はびっくりした様子で振り返る。

それを、じろりと見下ろす。

「何の用だ」

「司に……会いに来た」

先程と同じ答えが返る。

「てめえなんか知らねえよ。けどな、玄関に居座られるのも邪魔なんだよ。とっとと入れ」

きょとんと見返す子供を、司は更に睨みつける。

「それとも蹴り出されてえのか?」

子供は、首を左右に振って、それからぺこりと頭を下げた。

「お邪魔します」

司は子供を風呂場へ連れて行った。ずぶ濡れのまま居られても迷惑だ。適当に着替えとタオルだけ与えて、居間で座布団に腰を落ち着けた。

よく分からない客には心当たりがないこともない。恐らく父親の仕事関係だろうと踏んでいた。

司の父、後桐匡ごとう・まさしは、拝み屋と称する胡散臭い商売をやっている。所謂霊能者の類だ。

能天気で間が抜けていて生活能力に乏しい。そのため、司の母親は司が小さい頃に逃げてしまった。

生活費さえ入れるなら父親がどこで何をしていようが勝手だが、時々妙な客が尋ねて来るのだけが面倒だ。恐らく子供もその一人だろう、と司は考えていた。

茶を入れて一服したところへ、廊下を歩く音が近付いてくる。風呂から出たようだ。

が、居間に現れた子供は着替えていなかった。すっかり乾いた蘇芳色の羽織と着物を身に着けている。

どうやって乾かしたのかと訝しげな司と、子供が見返す視線とぶつかる。

その赤い瞳に、一瞬燐火が浮かんだ気がした。

雨音が、いつの間にかばたばたと屋根を叩くような賑やかさに変わっている。

司は、正体の知れない子供をようやく少しだけ薄気味悪く感じた。

それでもまだ、父の客なら追い返せばいいと判断していた。

「親父ならいねえぞ。あのクソジジイ、いつ戻るかなんて言わねえからな」

どこに居るのか、いつ帰るのかも知らない。と付け加える。

事実に相違ない。大抵の客ならそれで納得して帰るか、渋々引き返す。

けれど、子供は違った。司の前に膝を揃え、三つ指をついて頭を下げた。

「ご無沙汰しております、司殿。この度、お耳に入れたき事有りまして罷り越しました。

 司殿に、危険が迫っております。昔命を救われた御恩返しに、拙は司殿をお守りしたく参りました」

はあ?と呻いた自分の声が、殊更間が抜けて聞こえた。

「恩返し?」

「恩返しに」

「俺に?」

「司殿に」

確かに子供はそう言った。念を押すように繰り返す。

「親父の客じゃねえのか?」

「司殿に、御恩返しに」

子供は顔を上げた。窓から差し込む灰色の光が薄暗く部屋を照らし、子供の瞳に逆光になった司の影が映る。

「拙は鉄菱の山、淦金の谷より参りました。名を仄火ほのかと申します。

 灼けた岩を父に、毒蜘蛛を母に生まれた、焔鬼ほむらおにで御座います」

子供は名乗った。鬼だと。そしてまた頭を垂れた。

「どこをどうラリってんだお前」

ほのかと名乗る鬼に、司は率直な感想を投げかけた。

鬼だとか恩返しだとか、到底信じがたい話だ。お礼参りとでも言われれば、その方が心当たりもあっただろう。

「ヤクでもキメてんのか。客じゃねえなら出てけよ。俺は寝るからよ」

全く信じない様子で立ち上がり、居間を出た。気疲れした気がして一眠りしたかったが、その後をとことこと鬼が付いて来る。

「何だ、うざってえ」

振り向き様にじろりと睨む。その目の前に、鬼が小さな石を差し出した。

青いような緑のような丸くて綺麗な石だが、真ん中に一本白い皹が走っている。

「昨日占いした。司の石、割れた。悪いこと起こる、だから守る」

「知らねえよ」

ぱしりと石を払い落とす。小石はかつんと廊下に跳ね返って、ころころとどこかへ転がって行った。

石を追いかけた鬼を無視して、司は自分の部屋に篭もる。八つ当たり気味に勢い良く襖を閉じて、それっきり鬼のことは忘れることにした。

布団に包まれば外のことは気にならない。イヤホンを耳に突っ込んで音楽をかければ何も聞こえない。

鬼がどうしようが関係あるものか。訳の分からない子供の言うことなどどうでもいい。

そんなふうに考えていたら、いつの間にかうとうとと寝入ってしまったようだ。


――夢を見た。昔の夢だ。思い出すことも無かったような、ずっと小さい頃の夢。

ほのか、という名を司は聞いたことがあった。もう十年近く前、父に連れて行かれた父の田舎でのこと。あの頃まだ母は居ただろうか。

夏のクソ暑い日だった。虫取り網と虫篭を持って出かけた幼い司は、昆虫採集にも飽きて網の柄で水田の泥を突っつきつつ、当ても無く畦を歩いていた。

田んぼの角が接して畦が分かれるところに差し掛かった時、司はそれを見つけた。

子供が一人、泣いていた。司より小さい子だ。雑草が茂った中に蹲り、俯いてしゃくり上げている。

辺りを見回しても、遮るものも無い田んぼの真ん中で、親らしい大人は見当たらなかった。

司は側に寄って行って声をかけた。

「お前迷子か?」

「……」

すんすんと泣きじゃくる子供は答えない。子供は白地に紺色の波模様の浴衣を着ていて、今夜は祭りでもあるのかと思った。

「うちに帰れないのか?」

「……」

子供は頷いて返事した。

「家どっち?」

「……」

涙を拭っていた小さな手が、そろそろと山の方を指差す。青々と木々に覆われた、天に聳えるような山だ。

「じゃあ連れてってやるよ」

「……」

子供の手を取って立ち上がらせた。

手を引いて、山に向かって歩き出す。子供は大人しく付いて来た。

山は大きく、とても遠くに見えた。けれど心配はない。司はそこまで行ったことがある。

祖父に連れられて、カブト虫を取りに行ったのだ。祖父と一緒に歩いた道もちゃんと覚えている。

「お前、何て名前だ?」

「……」

尋ねても、子供は答えなかった。

「ないのか?」

「……」

「名前ないのか?」

「……ほのか」

「俺は司」

道中の会話はこれだけだった。

山は鬱蒼としていて、木陰を渡る風が涼しかった。司は大きな楠の下までやって来た。前に祖父と来たのはここまでだ。ここから先の道は知らない。

子供が司の手を離して駆け出した。木の根元のところで振り返る。子供はもう泣いていない。笑っていた。

「家この辺なのか?道分かるか?もう帰れるのか?」

「……ありがとう」

子供はにこにこと手を振って、消えた。急いで帰ったのだろうと思っていたけれど、もしかしたら違ったのかもしれない。

あの山の名が鉄菱と言うのだろう。そのどこかに淦金という谷があって、子供はそこへ帰って行った。鬼はそこから来た。と、今の司なら思う。

――


とんとんと襖を叩く音が司を眠りから覚ました。遠慮がちにとんとんと、音は止まずに聞こえる。

気のせいだ。絶対に気のせいだ。だから反応なんてしない。

そう思ってふと気付く。何故音が聞こえるのだろう。今、司の耳にはMDプレイヤーの再生するロック調の音楽だけが届くはずだ。

しかし、ギターやドラムの騒々しいリズムの中に、とんとんとんとんとか細い音が不自然に割り込んで来る。

気付いてしまった。音は廊下に面した襖から聞こえているのではない。

押入れの襖、その二枚が重なった枠の辺りが、ノックにあわせてかたかたと揺れている。

司は飛び起きた。理解した訳ではない。予感があった訳でもない。

ただ自分の部屋に何かが侵入しているのが不愉快で、一発ぶん殴るつもりで押入れに手を掛けた。

がたんっと叩きつける様に戸を開く。その向こうは暗闇だった。

不自然にのっぺりとした闇が、墨を引いたように押入れの中を覆い隠している。

そんなはずはない。ついさっき布団を出した時には普通だった。箪笥も衣装ケースも読み古した雑誌もガラクタの入ったダンボール箱もあった。

なのに、今は鼻先も見えない真っ暗に染まって、中棚の位置も分からない。

「夢か……」

まだ眠っているのか、とぽつりと呟いた途端、闇が雪崩れ落ちて来た。

どっと圧し掛かる重みに押し潰されそうになって、慌てて払い落とす。ごそりと束になった毛を振り払う感触がした。

押入れから毛束が這い出てくる。長い長い真っ黒な髪の毛だった。ぞっとした。畳の上にのたくった髪の毛がざわざわと蠢いている。

司は部屋を飛び出した。

廊下の真ん中で鬼が座り込んでいた。見つけ出したらしい緑の小石を掌に乗せて眺めていた。

血相を変えて出てきた司に、目を丸くして驚いている。その暢気な顔が、耐え難く腹立たしく思えた。

「てめえの仕業かあー!」

とりあえず襟首掴んで怒鳴りつける。しかし、すぐ後ろに髪と畳の触れ合う衣擦れのような音が追って来るのが聞こえて、そのまま玄関に向けて走った。

裸足にスニーカーを突っかけ、表へ飛び出る。雨は止んでいた。それどころか、地面は乾き切って陽炎まで立ち上っている。

空には雲一つ無く、天頂から照りつける眩い日差しに目が眩む。肌がじんわりと汗ばんだ。

じーわわわわわ、と何処かで蝉が鳴いている。これ以上ない立派な真夏日だ。今は五月なのに、だ。

「なんじゃこりゃあ」

正直な感想だった。家の門を出たばかりの所で、司は呆然と空を仰いで立ち尽くした。

幸い、押入れから這い出した毛は外にまで出て来る気配はない。玄関のガラス戸の向こうでゆらゆらと小さな影が見えた気がしたが、すぐにそれも消えた。

司は、大きく溜息をついて座り込んだ。

「つーか何だコレおい。俺もラリったか」

筋金の入った悪太郎の自覚はあるが、違法薬物や有機溶剤に手を出したことは無い。

ではこの陽気とあの髪の毛は何だ。

そうか、夢だ。きっとそうだ。まだ自分は眠っているのだ。と、己に言い聞かせようとしてて、その無意味さに空しくなった。

ふと視線を向ければ、隣に佇む鬼に気付く。重い色の羽織が陽光の下で暑苦しい。

「そういえば、お前なんか言ってたな。危険とかどうとか。

 あの気色悪りい髪の毛、てめえがやったんじゃねえだろうな。素直に白状したら拳骨一発で勘弁してやるぞコラ!」

突然立ち上がった司が鬼の襟を掴み上げる。

「ち、違う。あれは多分……」

ピリリリリリリ!ピリリリリリリ!

青褪めた鬼の否定の言葉を、軽快な電子音が遮った。

音の元は、司の右のポケット。着信状態の携帯電話に、“非通知”の文字が表示されている。

通話ボタンを押して、思いっ切り怒鳴りつけた。

「どこのどいつだボケ!今取り込み中なんだよ!」

『あ、司ー。良かった、無事だったんだねー』

電話の向こうから届いた能天気な声が、殊更司の神経を逆撫でた。

顔が引きつり、握り締めた携帯がみしりと音を立てる。隣で鬼が少し縮こまった。

「おうクソ親父、てめえ今どこに居やがる、ああ?今すぐ家見に来いや。

 てめえの家がよお、化物屋敷になってやがんだよ。鬼とかいう餓鬼が来やがるし、五月ど真ん中に蝉が鳴いてやがるしよお」

『何言ってるのかよく分からないけど、司が元気そうで良かったよー。

 実はお父さんちょっとお仕事でしくじっちゃってねー。大変なことになってるんだー』

「てめえの息子も今一大事だっつーんだよ!

 インチキ商売でもバレたか?警察に捕まったか?訴えられたか?それともヤクザに簀巻きにでもされてんのか?」

受話器の向こうの声は、とても大事とは感じられないのほほんとした口調で続ける。

『何言ってるんだよー。お父さんのお仕事は拝み屋じゃないか。悪いお化けをやっつけて人様のお役に立ってるんだよー。

 でもね、今度祓ってくれって頼まれたのがね、何か凄くタチの悪いものだったらしくて、お父さん祟られちゃったみたいなんだよー。

 多分司のことも家の住所も知られちゃったと思うんだ。だってほら、何せ向こうはお化けだからー』

「てめえが一番タチ悪りいんだよ!」

叩き切ってやろうと終話ボタンを押したが、回線は切れない。何度押しても、声は途切れない。

『何だか危ない目に会いそうだから、お父さんはちょっと遠くに隠れておくねー。

 司もとばっちりを受けるといけないから、家の中に居なさいねー。あそこなら何があっても安ぜぜぜぜぜぜぜぜ……』

唐突にぶつりと切れた。

「もう遅いわボケーーー!!」

司は携帯電話を思い切り地面に投げ付けた。がしゃりと割れて、中の基盤や電池を撒き散らしつつアスファルトに転がる。

「あのクソジジイ、ふざけやがって!しかもよく見たらこれ俺の携帯と違うじゃねえか!」

不気味なことこの上ない。何故か司のポケットに入っていた、見たこともない旧式な携帯は、もううんともすんとも言わなくなった。

日差しは暑いのに背筋だけ妙に寒い。父は家に居ろと言っていたが、髪の毛の化け物が出た以上安全では無くなったということだろう。

たった今まで、司は父の商売をインチキだと思っていた。

自称霊能者やスピリチュアルなんちゃらのように、幽霊やら妖怪やらが見えるなんて嘘だと思っていた。でなくば、思い込みか頭がおかしいのだと。

たった今から、司は考えを変えることにする。

この世には少なくとも化け物の類がいて、そして時々人間に危害を加えるのだということを認めることにする。

しかもそれはどうやら、司自身の身に降りかかって来たようだ。




―  続  ―



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