ふれあう手 1
その日、エルフの青年は経営を任されている土産物店に来ていた。
人族の町に店を持つエルフは多くない。彼はあるグループに所属し、そこの所有である建物内の店を任されているのだ。
エルフの森を出て初めて訪れたこの町で、彼は露店商から始めた。
森の民でありながら、狩りが苦手で、精霊魔法も魔力が少ないせいでうまく扱えなかった。
同じ仲間であるはずの森のエルフ達からも迫害を受け、ずっと森の奥に引きこもっていた。
そんな彼がこの「始まりの町」である人族の女性と出会い、結婚。
今では店を任され、二児の父親である。分からないものだ。
エルフの青年の名はギード。彼の妻で魔法剣士修行中のタミリア。
彼らの双子の子供達、ユイリとミキリアも一緒に来ている。
この双子の1歳の誕生日を祝いに王都からタミリアの兄家族が来ていた。
実家の老舗商会を継ぐ予定の兄夫婦と、双子には従兄弟に当たる6歳くらいの男の子がひとり。
今、兄嫁と子供達3人は、この館にあるギード達の部屋で遊んでいる。
「強引に押しかけたのに、泊めてもらって感謝している」
居間では、タミリアの兄が頭を下げていた。
この町は案外観光地として人気が高いようで、宿が取れなかったらしい。
驚かそうと内緒で来たらしいのに仕方なく連絡して来た。グループのリーダーである領主様には一応許可は取ったので、こちらに泊まってもらった。
ここにはダークエルフ隊も護衛として常駐しているし、食事は店員である元・料理人の押しかけ弟子も通って来ているので安心だ。
弟子は元々タミリアの実家で働いていたので、久しぶりの再会に兄家族も喜んでいた。
王都を飛び出してしまった弟子の方は少々緊張していたが。
そしてもうひとり緊張している者がいる。
「タミちゃん、お礼を言わないと」
「う、うん」
タミリアは実家の人間が苦手だ。
王都の魔術学校での成績があまり良くなかったせいで、散々小言を言われ続けたせいらしい。
「兄様、子供達にお祝いをありがとう」
素直なタミリアが珍しくてニヤニヤしていると、テーブルの下の足をがっちり蹴られた。
痛いけど痛くない。このくらいは平気なギードであった。
「先日は両親がたいそう世話になった」
「いえいえ、こちらこそお世話になりました」
ギードが頭を下げる。
迷宮の魔法陣設置の件で動く事になったギードは、子供達の世話を妻の実家に頼った。
実際には王都の実家ではなく、こちらの町の領主館の一室を借り、そこへ招待した形だ。
初めて会う双子の孫達。娘にそっくりの孫娘、自分達の血が入ったエルフの孫息子。
かわいくないはずがなかった。
顔だけ出してすぐ自分の店に戻るはずだった父親が、しびれを切らした店の者から使いが来るまで長居したくらいである。
母親はギードの仕事が終るまで孫達にべったりだった。
おかげで双子達のおもちゃや服が山積みになり、領主館の一室は今でも双子用の部屋になっている。
ギードは申し訳ないと謝ったが、領主のシャルネ様も双子をかわいがっているので、むしろ喜んでいた。
「しかしタミリア、お前は相変わらず乱暴だな」
兄が眉を寄せて話始める。
小言の始まりだとタミリアがギードに合図を送る。
(ユイリ、お母さんが呼んでるよ)
「うぁ〜い」
ギードの精霊を使った合図に、奥の部屋からエルフの子供の大声が答える。
「ちょっと見てくる」
タミリアが席をはずす。
子供の事なので反論も出来ず、顔をしかめたままの兄は仕方なく見送る。
顔色を伺いながら、ギードはテーブルの上のお菓子を勧める
「タミちゃん、あー、タミリアは、乱暴なんじゃないですよ」
ちゃん付けはまずいか、と言い直し、ギードは微笑みながら話し始める。
「彼女は恥ずかしがり屋なんです」
兄妹だから知っているはずだ。だが、知っていても分かっていないのだ。それがどんな風に表に出るかは様々であることを。
出逢ってまだ数年しか経っていないギードだが、彼女のやさしさは最初から感じていた。
そして、彼女が自分に対して今のような、他者からは乱暴と取られても仕方ない行動をするようになったのは結婚後からだ。
いや、おそらく結婚した時はまだ普通だった。時が経つ間に少しずつ彼女は変わっていった。ふたりの距離が縮まっていくほどに手数が増えていった。
「タミリアは夫である自分以外の者にあのような事はしません」
気に入らない相手に対してなら彼女は無視をする。
拳で語り合えるのが脳筋のいいところだが、普通の者相手にはそうはいかない。
彼女自身が強者であることを理解しているから、決して手を出すことは無い。
それが欲求不満という形で彼女の中に残る。
言葉にする事が出来ない。小言を言われても、物理的に痛めつけられても、彼女には抵抗する言葉が出ない。
恥ずかしがり屋は、言葉に出来ないから身近の、心を許せる相手に向かって手を出す。
不満の捌け口、心の拠り所、それが自分だとギードは思っている。
「エルフは体が軽いので、殴られようが飛ばされようが、簡単に衝撃は抑えられますから」
最近は痛いなどと思うことは滅多にない。それだけ彼女が安定した状態に近いことを示している。
にっこり笑うと、何故か引かれた。
そういう趣味があるわけじゃないんですよ、お義兄さま。
それは彼女に取っては相手に興味がある印。
「夫婦にとっての『ふれあい』であり、タミリアの『愛情表現』なんですよ」
それを受け止めるのがギードにとっての『愛情表現』なのだ。
そして腹黒ギードは、タミリアが手を出せない相手に対して言葉で攻撃出来る。
「こんな夫婦がいたっていいじゃないですかー」
義兄はいまいち納得していないようだった。
「ぅわぁぁー」
突然、奥の部屋から子供の泣き声が聞えた。
驚いた父親二人がその部屋へ行くと、義兄の息子の方が泣いている。
それに釣られるように双子達もぐすぐすと泣き始めた。
「どうしたのだ?」
義兄が自分の嫁に問いかける。
「何でもないんです。ただおもちゃを取り合っただけで」
この6歳児は普段から泣き虫なのだという。兄嫁は困ったように自分の息子を抱き寄せる。
「だって、この子たち、僕のいうこと聞かないからー」
大声を出して父親が来たことを知った男の子は安心したのか、大人達に訴える。自分は悪くない、と。
「言う事など聞くはずが無いだろう。相手はまだ1歳だぞ」
自分より小さな子供と遊んだ事が無いのだろう。彼は、相手は自分に合わせるべきと思っているようだった。
父親の言葉にも納得出来ないようで、涙が浮かんだ瞳でギッと双子を睨みつけている。
やれやれと言った顔で兄夫婦は息子に言い聞かせようとする。
「お前の方が大きいのだから、お前が譲ってやればいいだろう」
「だって、これは僕のお父さまが持ってきたおもちゃなんだもん」
自分の物と他者の物の区別もついていない。まだまだ子供なのだ。
ギードはこの甥っ子が年齢よりも幼いと感じた。自分がこの年齢の頃はすでに森の奥にこもっている。
義兄親子が言い合いを始めたので、双子達は自分達の親のところへ寄って来た。
この子達もあまり他の子供と遊んだ事が無い。
双子はお互いが泣いていても気にしないが、他の子供が泣くのは初めて見たせいか、驚いている。
ギードはやはり引きこもりは良くないかなと少しだけ思った。
目の前で、父親である義兄がこんこんと6歳児に話を聞かせ、母親は父親に同調しながらも子供に宥めるように話す。
ギード夫婦は双子を連れてその部屋を出た。
しばらくすると、甥っ子がギード達の所に来た。目が赤い。
親に言われたのだろう、「ごめんなさい」とぺこりと頭を下げた。きっと扉の向こうにはハラハラしている大人が二人いる。
ギードとタミリアは膝に乗せていた双子を降ろす。
双子はまだヨロヨロとしか歩けないが、それでもニコニコと笑いながら従兄弟に向かって行く。
母親に似て、言葉より行動の双子である。
とまどう従兄弟にたどり着くと、きゃいきゃい言いながら遊ぼうと引っ張る。
「この子達もあまり他の子供と遊んだ事がなくてね」
ギードは甥っ子に話かける。
「何も気にしなくていい。普通に遊んでいいんだよ」
タミリアは甥っ子を手招きし、双子と三人に隠し持っていたお菓子を渡す。
うれしそうに食べる双子に釣られ、甥っ子も食べ始める。
「おいしい……」
きっと親に言われても納得していなかったのだろう。
涙が浮かんでいた赤い目が戸惑いから喜びに変わる。美味しいモノは正義だ。
食い意地の張ったミキリアが、あーあーと声を出しながらタミリアにお替りをねだっている。
それがあまりにもしつこくなったので、タミリアがぽんっとミキリアの手を叩く。
「えっ!」
甥っ子がぽかんとした。
大人が子供を叩くなど、おそらく初めて見たのではないだろうか。
この甥っ子はおそらく大事に育てられ過ぎている、ギードはそう感じていた。
こんな小さな子供に言葉で理解させることは難しい。それはどんな優秀な子供であってもだ。
それは経験というものが足りないからだ。
だから、手を叩かれるという経験を積ませているのである。
痛かったり苦しかったり、そんな経験を危なくないように積ませてやりたい。ギードはそう思っている。
こんな場面を見る経験も甥っ子には新鮮でいいだろう。
手を叩かれてもミキリアはめげない。身体をゆすり、声もだんだんと大きくなる。
にらみ合うタミリアとミキリア。全く同じ顔が大小ふたつ。
「くっくくっ」
ギードは笑い出してしまう。
そして、その声に釣られるように、義兄夫婦も笑いながら部屋に入って来る。
「そっくりだな。タミリアの小さい頃に」
兄の言葉に、まるで子供のようにタミリアがふくれる。
「昼食にしましょうか」
ギードはタミリアに「負けるな!」と声援を送り、厨房に入って行った。
厨房に入ると、そこは戦場だった。
「え?、何してるの?」
弟子だけでなく、フーニャさんや他にも女性がひとり手伝って、大量の料理を作っていた。
「あ、ギードさん。お子様の1歳のお誕生日会の用意ですよ。知らなかったんですか?」
弟子が厨房で何やらやってるのは知っていた。
お客様がいるのだからその食事の用意だろうとは思っていたが、誕生会?、聞いてない。
「いつ?」「今日の夕方からです」
王都から持ち込んだのだろう。見たこともない食材や飲み物の瓶が並んでいる。
ギードは義兄の派手好きを思い出し、嫌な予感に身体が震えた。