ハサミときゅうりと彼女
本当に憂鬱だ。三人しか乗客のいない列車の中で、その思いとともに何回目かわからないため息を吐いた。
会社の事情といえばそれまでだが、本人の意思も尊重してもらいたいものだ。誰が好き好んでこんな田舎に行きたいというのだろうか。一車両編成の電車もというだけでも驚きだが、乗客が三人だけというのはそれ以上の衝撃である。あれだけ嫌だった満員電車が今は愛おしく思えてしまう。嫌なものであっても急にそれがなくなってしまうと寂しく感じてしまうというのは本当のようだ。ああ、都会に戻りたい。
そもそも、こんなど田舎に飛ばされた原因はあのクソ後輩にある。もともとあいつがここに来る予定だったのだが、風邪気味な私を指して「最近、○○先輩の風邪が酷いらしく、どうにかならないかと本人から相談を受けている。この機会に空気の良い田舎に行けばきっと体調も良くなるはず。なのでこの件は先輩のために譲りたい」というようなことをぬかしやがったらしい。確かに私はその時風邪気味だったが、後輩のそのことを相談したことなど一度もない。全てあいつにしてやられてしまったというわけだ。今頃あいつは最近出来た彼女とやらと乳繰り合っているのだろう。そう考えると腹の底から後輩への怒りがふつふつと沸き上がってくるのを感じる。クソ、腹が立つ。腹が立つがどうしようもない。この怒りは何処にぶつければいいのか。そう悩んでいるうちに後輩に抱いた怒りは雲散霧消し、あとに残るのは憂鬱な気分のみ。結局、私がどう思っていても、どうにもならないのが現実である。
会社が借りた家に着き、荷物をおいた私は、まずご近所の挨拶に向かうことにした。都会なら数多くいるご近所さんだが、こんな田舎だと片手で足りるほどしか存在しない。その点は非常に楽だった。
寒い。本当に寒い。寒い上に雪がすごいとは聞いていたがこれは予想以上だ。雪はさほど激しく降っているわけではないのだが、それにかかわらず積もっている量は目を見張るものがある。ぱっと見たところ一メートルは積もっていそうだ。このような地域に住んでいる人はどのように生活しているのだろうか甚だ疑問である。もし都会でこれぐらいの量の雪が降ったら大惨事なのは間違いないだろう。まあ、田舎と都会では人口密度も何もかも違うので簡単に比べられるほどのものではないが。
ご近所さんへの挨拶も残すところあと一件。全部で四件しかなかったので都会に比べれば楽なもんである。しかしその分一件一件の取られる時間が多かった。なぜこうも田舎の御婦人方はお喋りなのか。人が少ないぶん会話に飢えているのだろうか? まあなんにせよ、そのお喋りに付き合わせられるこちらはたまったものではないが。
まあそんなこんなで私は最後の一件へと足を運んだ。
「すいません、どなたかいらっしゃいませんか?」
インターホンを鳴らしても誰も出なかったので声をかけてみるも返事はない。
そういえばここに向かう途中畑の中でなにか作業をしている人がいたのを思い出した。もしかしたらこの家の住人、もしくはこの家の住人を知っている人かも知れない。少し戻って聞いてみるか。
「すいません、少しよろしいですか?」
私が声をかけるとその人は手を止めこちらを振り返った。
「はい、えっと、何でしょうか?」
驚くことに畑で作業をしていたのは二十代前半ほどの綺麗な顔立ちの女性であった。ダボダボの防寒着を着ているせいで男性か女性化の判断ができなかったが、せいぜい四十そこらの年だろうとあたりは付けていたのだが。こんなにも若く綺麗な女性が真冬の雪の降る日に畑で作業しているとは誰も思わないだろう。
「今日からここに越してきたもので○○と言います。今ご近所さんへの挨拶をしている最中なのですが、あちらの家に挨拶に向かったところご不在でしたので家主の方は何処にいらっしゃるのかと探している次第です。あの、失礼ですが家主の方について心当たりはありますか?」
「あの、あそこの家でしたら住んでいるのは私ですが……」
「すいません、そうでしたか。今日こちらに越してきた○○と申します。今日からどうぞよろしくお願いします。これは粗品ですが……」
そう言って手に持ったものを女性に渡す。中身は勿論蕎麦。
「あ、これはこれはご丁寧に。ありがとうございます」
そう言いながら何度も頭を下げる女性。こういうのに慣れていないであろうことが伺える。
「ところで、畑の方で作業をしておられたようですが何をしてらっしゃったんですか?」
「これはきゅうりの剪定をしてたんですよ。これをやらないと美味しくならなくて……」
「きゅうり……ですか?」
きゅうりは夏の野菜ではなかったか?
「きゅうりは夏が旬の野菜なのでは?」
「ああ。えっと、ここの特産品で冬の終わりくらいにに収穫できるきゅうりなんですよ。収穫量が少ないのであまりよそでは知られていないのですが」
そんなきゅうりが存在するなんて初耳だ。この女性の言うとおり、よそではほとんど知られていないのだろう。
「なるほど、それで剪定を」
「ええ、このナイフで枝を選別して切るんです。経験を積まないとどの枝を切ればいいのかわかりませんけど」
「ナイフ、ですか。ハサミは使わないんですか?」
「家にハサミが無かったものですから……」
苦笑いでそう答える姿に私は何とも言えぬ哀愁を感じた。
その日は話もそこそこに別れ私は家路についた。
それから数日私は彼女へのプレゼントを持ってあの畑へと向かった。
「これ、受け取ってください。ナイフでは切りにくいでしょう」
「いえ、でも私……」
「いや、いいんです。私が勝手に買ってきただけですから。そもそもあなたが使ってくれないと意味がありません」
そう言って私は強引に新品のハサミを手渡した。するとそのハサミを手に持った瞬間、彼女の目の輝きが増した気がした。どことなく妖しい光である。
「私、前からハサミは使うまいと意識してたんですよ。でも本心じゃ使いたくって使いたくって仕方がなくて、それでも我慢してて。でもあなたは私にこれを使って欲しいと。本当に、本当に使っていいんですか?」
「え、ええ、どうぞ」
「じゃあ、遠慮なく……」
そう言って彼女は私の腹を手に持ったハサミで切り裂いた。
いたい、痛い。腹が熱い。一体なんで?
「昔は都会の方で腕を鳴らしてたんですが、やはり警察が厳しくなってきたので田舎の方に越してきたんですよ。これを機に引退しようと思ったのですが、あなたが悪いんですよ? 私にハサミを使ってくれなんて」
そういえば何年か前、神出鬼没の切り裂き魔がニュースになっていたことが頭に浮かんだ。その事件では確か被害者は男性ばかりで皆あそこを切られて。
「では、この綺麗なハサミ使わしてもらいますね」
彼女はニッコリと笑って私の股間にハサミを近づけそして……
ジョキン