懐中電灯を持って
ある冬の日の午後五時。既に空は暗くなっていた。
この緑山高校の文芸部室からは辺りに林立している高層ビルの光が見える。
部長の早川は、他の部員が次々と帰る中、部室に1人残っていた。補習のためまだ部室に来ていない、黒いポニーテールがトレードマークの女子部員、宮田を待つためである。
絶賛暇を持て余し中の早川は、本棚を眺めた。そこには今まで文芸部員が作り上げてきた作品が並んでいる。
この中のどれを読もうかと悩んでいると、本棚の一番端に古びたノートを見つけた。
早川は、そのノートを取り出し、開いた。しかし、そのノートは使われていないもので、どのページにも何も書かれていなかった。
「なんだよこれ」
早川は一人で笑いながら呟いた。
それからしばらくした後、そのノートをもとあった場所に戻した。
その時、部室のドアがガラガラと手荒く開けられた。
「すいません!遅れました!」
汗をかいた宮田が部室に入ってきた。
「おう、お疲れさん」
早川は宮田に椅子を勧めた。宮田は息を切らしながらその椅子に腰掛けた。
すると、早川は本棚の一角から薄く、少し汚れたノートを取り出し、宮田に手渡した。
「これは、かつてうちの文芸部に在籍していた先輩の日記らしい。読んでみな」
宮田は早川からポニーテールを揺らしながらノートを受け取り、慎重に開いた。
私は懐中電灯を持って深夜二時の田舎道を歩いている。特に深い理由がある訳ではない。ただ懐中電灯を持って歩きたくなったから歩いているのだ。
あたり一面は田んぼだらけである。緑色の稲が元気に真上に伸びている。私はこの稲のように真っ直ぐ育つ事は出来ただろうか。いや、出来ていないだろう。なぜなら私はこうやって夜道を懐中電灯を持って歩くような人間になってしまっているからだ。
流石は田舎、誰ともすれ違うことはない。ただ、私は田んぼに囲まれた道を前に進んでいくだけである。
懐中電灯が飛んでいる虫を照らす。まるで火の玉のようであった。
歩き始めてから約二十分。体中が痒くなってきた。私は一体どれくらい蚊に刺されたのであろうか。そして何匹の蚊を殺したのであろうか。
これからも私は歩いていく。この懐中電灯の光が見えなくなるまで。きっとこんな田舎の夜道では何かに出会うこともないだろう。
「部長、これおかしくありませんか?」
宮田は最初の2ページを読み終えると、ノートを閉じてそう言った。
「どこがだい?」
早川は宮田の目をじっと見てそう問いかける。
「いや、だってここの辺りは大都会じゃないですか」
宮田は窓の外に広がるビル群を見ながら言った。
「甘いね。高校がこういった所にあるだけで、住んでいるのはもっと田舎な所かもしれないよ」
宮田は自分の推理の浅さにゾッとした。早川は笑いながら続ける。
「推理小説を書きたいんだったらもっと推理力を磨こうな」
宮田は口を閉じて小さく頷いた。
「ま、このノートはさっき俺が適当に書いたものだけどね」
「やっぱりそうじゃないですかぁ」
二人は目を合わせて笑った。
「からかって悪かったな。帰りに肉まんでも奢るよ」
早川はそう言うと、教科書とノートが入ったカバンと部室の鍵を持って外へ出た。
「ちょっと部長待ってください!」
宮田はポニーテールを揺らしながら慌てて帰りの支度をしだした。その滑稽な様子を見て、早川はまた笑った。