第九十八話 間違い探し
あの病院に見舞いに行った日、とおんはネット上に保管していた携帯で撮影したUFOの画像を俺の携帯でアクセスし削除した。データは俺に転送し、その後、国際部とやらに報告した。
八木亜門の実験内容を撮影したという成果は評価されたということだ。だが事故についても同時に評価された。危険が大きいため、とおんの任務は退院後に解かれることとなったのだ。 経済部の意向もあるらしい。
だが、とおんは任務を継続したいと考えていた。任務を解かれないためには、もっと重大な八木亜門に関する事実を突き止める必要があった。やおよろずアジェンダがなんなのか解明するようなこと、あるいは八木亜門の開発しているUFOの設計データのたぐいを手に入れられればという状況だった。
エントランスの自動ドアをくぐりながら、それでも病院という建物自体が苦手なのは変わらないなと思う。
とおんといっしょで注射は怖いし、独特の目に見えない重苦しさを感じてしまう。
たとえば、ここの隣に大型ショッピングモールなんかがあったら素敵じゃないだろうか。死の匂いとか不吉な雰囲気というのがずいぶんと中和されるんじゃないか。こういう建物は静謐な環境よりも、むしろ猥雑に生命感に溢れたところに立地している方がいいと思う。そういう楽しい雰囲気のところにあれば、それだけで元気になる患者もきっと多いのに。高岡の大きな病院のすぐそばにはイオンがあるらしい。ちょっといいなと思う。
いや、俺自身は建物はともかくここに来るのはとても楽しみなのだ。
入院してれば彼女はおとなしいし、「みかん剥いてよ」とかかわいいことも言う。怪我の影響で右手を動かすとまだ傷に痛みが走るらしい。スプーンで「あーん」とかもそのうちできるような気がしていた。
悪くない、ぜんっぜん、悪くない。「俺が一生とおんの介護をしてやるよ」そんなコクり方ってのもありなんじゃないか。病気で気弱になっている今がチャンスなのだ。最低? いやいやあんな可愛い女の子を手に入れるためなら悪魔にだって魂を売るね。あ、いっそ俺も入院したらいいんじゃないの。
「ああー、風邪とかひかねーかな。よく病院で菌もらうとかって言うじゃん。いや風邪じゃ入院は無理だ。思い切って盲腸とか伝染んねーかな?」
てなことをブツブツつぶやきながら廊下を進んでエレベーターを使ってとおんの病室のフロアへついた。病室のドアを開ける。
ガラガラッ……
組織によって隔離され宵宮とおん一人しかいないはずの大部屋に二人いた。
「え? 美々さん!」
「ごきげんよう、出河睦人さん。さて、ここで問題です……」
「は?」
「間違い探しです。この部屋のなにかが間違っています。当ててみてください」ベッドの脇の丸椅子に腰掛けた美々が芝居がかった声で言った。
いきなりのクイズ! しかもノーヒント?
「え、と……」
病室の中を見渡す。入院しているのがとおんだけなので、基本的に他のベッドになにか私物が置いてあるわけではない。だとすると、とおんのベッドの周りになるのだろうけど、とおんも彼女のものはペットボトルのお茶があるだけだ。なにかが間違ってる? どういう意味だ。持ち物じゃないのか?
壁、天井、床、ベッドのシーツ、特に変わったところがあるわけではない。何回か通っているいつもの病室だった。
しかし妙な違和感はあった。
なんだろう? なんか変だ。
とおんの胸が不自然に……大きい。彼女の胸はこんなにもない。
ははーん。その胸は偽物、偽乳だな。
「間違っているのは、胸だあっ!」
俺はベッドのとおんのそれを鷲掴みにした。この豊満ななにはパッドとかに違いない。
あれ? なぜかリアルな触感が……
「とてもよくできた感じのニセ乳? シリコンゴムのような?……」
パンッ!
「な、なにするんですのっ!」とおんがびんたをした。あれ、声が……
「い、いや、とおんの胸がこんなでかいはず……」
パンッ!
「誰の胸が小さいってのよっ!」
今度は、丸椅子に腰掛けた美々さんからもびんたを食らった。声が変だ。てか、美々さんなのにとおんの声だった。
あれれ? なんでとおんの胸のことで美々さんが怒るんだ。てか、とおんの声だ。もしや?
「まだ、気づかないようですわね。私はとおんちゃんじゃないですわ」とおんの姿に美々さんの声だ。
えっ!? どこからどう見ても、とおんだと思っていたけれど、そう言えば、胸だけじゃなくて少し顔とかもふっくらしているか?
「で、私が美々に変装してるってわけ。変装術ってのは、スパイに必須の技術の一つよ」今度は美々さんの姿をしたとおんの声だった。
「すげえ!」
俺は二人を見比べた。言われてもにわかには信じがたい。
美々さんの姿をしたとおんが小さな機械を出した。
「これに録音した声をしゃべらせたのよ」そう言って機械のボタンを押す。
『間違い探しです。この部屋……』機械は美々さんの声を再生した。
「少し事故があったけど、それもこの変装術があまりに完璧だったせいですわね」とおんの姿をした美々さんが言う。
そうだ。事故なんだ。不可抗力だから仕方ない。とおんの姿をした美々さん、許してくれ。俺はまだ残っている右手のふにゃんとした感触を申し訳なく思っていた。決して役得とかじゃない。
「こんなの序の口よ。今は市販のメイク材料も進歩しているから、同年代の女の子に変装するのなら特殊なものを使わなくったってメイクだけでここまでできちゃうし」と美々さんの姿をしたとおんが言う。
そう言えば、金沢駅とかにいる二人連れの女の子が同じ顔をしているってことはある。でも美々さんととおんが入れ替われるくらいに化粧で変身できるなんて……
「メイクの技術だけじゃなくて声を変えるってのもポイントだわね」美々さんの姿をしたとおんが機械を触る。
「変装は諜報員の伝統芸みたいなものよ。目の大きさ、形、唇の大きさ、形、場合によってはパテで鼻の形だって変えることもできる。ハリウッドでやっている特殊メイクを使えば顔の輪郭だって変えられるのよ。私は外国人にだって変装したこともあるわ」
「が、外人?」
「そうよ。あれはサンクトペテルブルクの夏、金髪に青いコンタクト入れてロシア人諜報員に変装したの。プロフェッショナルの諜報員を相手に欺くのはハードルが高いわね。表情や仕草とかまで相手をリサーチしてね。観察力と演技がポイント。女優になるのよ。女はね、みんな生まれながらにして女優なの」
どこかで聞いたようなセリフを……
「ま、違う人種になることに比べれば、日本人同士なんてぜんぜん簡単な方よね。そもそも一般ピープルが対象を識別する能力なんってたいしたことないのよ。髪型変えても気がつかれないことってあるじゃない。ま、睦人はそういうタイプだわね。にぶいのよ」
「でも、その…… そこの部分は見破ったけど」俺はとおんに変装した美々さんと美々さんに変装したとおんの胸のあたりに交互に視線を送った。