第九十七話 プリン
俺はカーテンから出ると同時に口元に手を当てて、しーっというジェスチャーをし盗聴器の仕掛けられた鉢植えを指さす。
とおんは花をのぞき込んだ。
「たしかにいい匂いね……」そう言いながらとおんは棚の上の鉢植えの中を探った。
「あら! お花に虫がついちゃってるじゃない」
植えられた花の片隅にあった小さな機械をつまみ上げると、そのまま分解しコードを引きちぎった。
「あいつらが盗聴器を仕掛けるって聞いたんだよ」
俺は曽根美を偶然見つけて、ここまで尾けてきた経緯を説明した。携帯に録音した曽根美と間島の会話を少し聞かせると、汚い手を使うととおんは悪態をついた。あのかっこつけのイケメンスパイの正体を明かしてやるんだ。
とおんは盗聴器をゴミ箱に入れようとして手を止めた。
盗聴器の部品の後ろにポストイットが貼ってあったのだ。
そこには筆ペンの達筆な字で『バレたか(笑)』と記されていた。
「間島の字、ふざけてるわ」
「わざわざ見舞いに来てくれてありがとう。でも、もう帰った方がいいわ」
「えっ」
「あたし、もう休むから」
な、なんだよ、それ…… 感動の再会ってんじゃなくてもいいけど、早く帰れってのはあんまりじゃないか。
「帰れって言うんだ…… せっかく来たんだけどな」
「……」
とおんは黙ってベッドに寝ころんでふとんをかぶった。
「ずいぶん探したんだ」
「探した?」
「そうさ。とおんがどこにいるか分からなかったんだ」
「曽根美から聞いてないの?」
ひょっとして、とおんは俺が居場所が分かっていたのに、見舞いに来なかったと思ってたのか。
「君のあの上司が教えてくれなかったんだ」
「あたしには教えたって言ってたわ」
「いや教えてくれなかった。それだけじゃない。あの日についての報告書に署名しろって言われたんだ」
「報告書に署名?」
「めちゃくちゃな報告書だよ。とおんに不利になるような、すべてがとおんの失敗が責任だというような報告書」
「あいつ……」
「署名はしなかった。だからか、とおんの入院先を教えてくれなかったんだ」
「そう……」
「だから帰れなんて言うなよ。せっかく会えたんじゃないか」
「違うわ」
「えっ?」
「あたしが睦人に帰って欲しい理由はそういうことじゃない」
「あいつになにを吹き込まれたか知らないけど……」
「曽根美は確かに適当なことを言ったわ。出河睦人がもうこんな危険な任務の協力者を続けたくないと言っているとか。あることないこといろいろ言ったわ。あたしがこんなでチームワークに向かないから、それで協力者が去っていったとか。あいつの言うことを真に受けて睦人が見捨てたんだと考えたりもした。でも、そうじゃないの。あたしが、睦人にはこれ以上協力してもらうわけにはいかないって決めたのよ」
「なに言ってるんだ。そんなの勝手だよ」
「分かったわ。じゃあ聞かせて。こんな危険なこと大丈夫なの? もういやなんじゃないの? 命がかかってるのよ」
とおんが撃たれたときのことを思い出す。もうあんな思いをするのはごめんだ。とおんでも自分でも。
「……」
俺はとおんの質問に答えることができなかった。
「ほら。だから、あたしたちはもう会わない方がいいのよ……」
「見舞いには来る」
「な、なに聞いてたのよ!」
「見舞いには来るよ。任務に関係なくっちゃ俺らは会ったらダメなのか。俺は君の怪我が気にかかってるし、君の顔を見たいと思ってる。危険な任務をしなくたって病院に見舞いくらいには来れる」
「そ、そんなの……」
とおんのあとの言葉は続かなかった。
「ビルの屋上からぶら下がったりしなくたって、売店に行ってゼリーとかプリンを買ってくるくらいはできる。だから見舞いに来させろよ」
とおんは、長い時間ふとんに潜り込んで黙ったままでいた。
感情の高ぶりが少しずつ沈んで午後の日差しにかすかに眠気を覚えた頃、とおんは小さな声で言った。
「プリン、買ってきて……」