第八十八話 左について
「今日はほんとは一人でくる予定だったんだよね」
「いや、あの時急に思いついたんだ。おまえを誘うためにな」
「反対運動に」
「いや、そうじゃねえよ。いっしょに遊びたかっただけの話」
「なんで?」
「こんな田舎じゃ都会と違って左翼には友達ってのは出来にくいからな」
「ああ。棚木が意外だよ」
「おまえは、その棚木の友達だからな。棚木も言ってたが、俺は左翼のおやじの子供だ。おやじの時代がいいとは言わないぜ。むしろ最悪だった。内ゲバで人が死んだりしてさ。でも、熱い生き方が出来た。正しいと信じて突っ走ることができた。俺はどうしてんだって思うときがあるんだよ」
「迷ってるってこと」
「このままでいいのかななんて思うときがある。結婚とかするのかなってな。我麗磁の雇われ店長もさすがに店長ってなるといろいろしがらみもあるんだ。おまえらサラリーマンと一緒だよ。俺の生き方じゃねえ。でも、そろそろ落ち着かないといけねーのかなって思うときもあるんだ」俺のヒーローが仮面を脱いだ。酒が過ぎたのかもしれなかった。
あらかじめ親を追い越すことが不可能だと知っている子供たちは不幸だった。平和な時代に生まれついた不幸。すべてのものが既に与えられて、奪い取るべきものがないという不幸だ。それでも行き場をなくした若者たちは新しい何かを創る。UFOに憧れているというのはそういうことなのかもしれない。
彼は、彼なりに行き場をなくしていろんな道を探っているのかなって思った。
「ま、とにかく、左翼じゃない奴の知り合いが欲しかったんだ。そこになにか新しいことがないかってな」
「俺がなにか新しいことを見せられるかって言うと……」
「いや、そこまで期待してねーよ。そういう打算じゃねえ。そんなふうに期待されちゃ迷惑だろうしな」
「おまえはどうして今日来たんだよ」
「UFOが見れるかもしれないから」
「そうだったな」
既に分かっていることになっていたはずなのに、聞かれて戸惑う。彼が質問したのは違う答えが得られると思ったのかもしれない。
「気分転換だよ」
「ああ」
社畜じゃない彼に憧れがあるのだ。それは言えない。気恥ずかしいし、会社辞めろよとか言われても困るから。キャンプに来た理由はほんとうはUFOじゃない。ほんとうは、その反対運動って方に惹かれたんじゃないのかと思う。反対運動をしている左翼の浪政にだ。棚木が危険だと言った理由が分かる。彼はうそをついたりだましたりしない。だからやっかいなんだ。
受験、進学、名の通った企業へ就職という道からドロップアウトしている彼のような生き方への憧れはある。実は平穏なサラリーマンってのが一番貧乏くじなんじゃないかってときどき思う。階層の下だなんてバカにしているけど、海で仲間とバーベキューしているヤンキーの方がよっぽど人生を謳歌してるんじゃないかって。
もちろんヤオヨロズクラスター第二次開発計画への反対運動なんかには参加できない。俺はいろいろ考えてしまう性分だ。ほんとうはどちらが正しいのかとか、怒りに任せて突っ走ることは間違いじゃないかとか。で、結局なにも行動できない。
左翼に関しては少し思い出があった。父は田舎の人間だったから左翼を忌避していた。中学の先生が左だった。社会派の先生は熱血で生徒たちに好かれていた。俺もそうだった。先生が言うように戦争は間違いで、正しい教育によってそれは防げるし、防がなければいけないと。
ある日、俺は体育の時に骨を折った。先生はおまえがふざけてたからだと俺のせいにした。ふざけていたわけでも笑っていたわけでもなかった。単なる事故だった。先生のせいにしたかったわけでもなかった。そのときに俺の中で違和感が生じた。この人は本物ではないのかもしれない。そのとき父の言葉の意味が分かった。立派なことばかり言ってるがそんな頭で考えているようにはいかない。世の中は、現実はもっといろいろあるんだって。
ヤンキーと酒を飲んだことがばれたときは、おまえを信用していたのにと俺ばかりずいぶんと怒られた。
今なら先生のことも理解できる。先生には先生の理想があった。理想が高ければ高いほど現実とのギャップに戸惑う。時に現実を無視したくなること、つじつまが合わなくてごまかすこともあるだろう。だけど、まだ許せていない。正義のサイドにいるふりをしていること、それが欺瞞だということにさえ気づいていなかっただろうということにいらいらするんだ。
その先生のことが頭のどこかにあって、折に触れて左翼がなにかということをときどき考えていた。
左翼は平和を主張しているのに、結局、闘争とかって自ら戦うことを選ぶのはなぜなのか。本当は平和など望んでいなかったのではないか。
理想や正義や政治、そんなもので飾って、自分が本当にしたい「ルールを破る」と言うことを正当化する。それが、あの時代の左翼の失敗だったんじゃないか。若者は悪いことをしたがるのだ。もっとも悪いこと戦争でさえもだ。
戦争は悪だろうか。悪に決まってる。多くの人が死ぬのだ。
もしも戦争が避けられなかったのだとしたら。いや全ての戦争がなかったとしたら。
……社会の進歩はなかったのかもしれない。
戦争が必要だとすることは、戦争を誘導するようで危険な思想だ。各地で起こる聖戦やテロはそういう思想なのだ。それによって多くの人が悲惨な死を迎える。ほんとうに、なんとか死なないで戦争というのはできないだろうかと思う。
対立する考え方、それを大ざっぱにわけて、その中の差異は無視し、両者を激しく対立させる。それが戦争のメカニズムになっているのではないか。善と悪とか二つにわけるのは簡単でそうやって戦争を迎えているのだ。ほんとうはそうすべきじゃない。なんだってほんとうは多様なはずなんだ。
若者は反対する。理由はいろいろ考えるけれど、反対したいから反対なんじゃないか。若者には反抗期というのがある。それを否定してるんじゃない。
反抗期ってのは生命の進化の摂理なんじゃないかとも思うからだ。
これ以上進歩は必要だろうか。必要だろう。進歩は生命が本質的に備えていることだ。
猿であることに安穏としていられなかった。だから人間に進化したのだ。平穏なままならば猿は猿のままだったろう。
世界の始まりというのもそうだったんじゃないのか。平穏な無の状態に退屈してビッグバンが始まったのじゃないだろうか。
多くの間違い、痛み、苦しみをもたらすのが若者だ。それでも世の中を変えて、社会を進歩させるのは失敗したり間違ったりする若者なのだと思う。
俺はルールを守る被支配者でいいのか。それが幸せなのだとしても。反逆者、変革者への憧れはある。
浪政はまだいい。暴力でどうこうということじゃない。ただの平和な不法侵入者だ。左翼だけど許容できる。
それからも俺たちは長い間、静かに酒を飲んだ。頃合いになって彼がもうお開きにしようと言った。それぞれにテントに入って寝袋にくるまった。