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第八十二話 告解

「さあ、もういいでしょ。行って。しばらく一人になりたいの」

「ああ、君がお金を取ってないってことも分かったし、恋愛はいろいろあるだろうけど人の自由だからな。分かった。行くよ。変な気起こすなよ」

 この話はそれで幕引きだ。俺は帰ろうとした。


「待って」

 彼女の声が背中にかけられた。

「えっ」

「聞いて。ちゃんと言っておきたいことがあるの」

「なにを?」

「分かったの。本質的な部分ではゴシップは正しいのかもしれない。いえ正しいのよ。私は彼がいるのにボーイズバーの男の子とキスした。みんなが言うとおり…… 確かに長谷川未理緒はケガレている」


「わざわざそんなこと……」

「ううん、今、言わなけりゃ、ずっとあなたに…… いいえ、わたし自身に嘘をつき続けることになる」


「あんまり聞きたいことじゃないけど。俺はどうすればいい。許すと言えばいいのか」

「ううん、そうじゃない。ただ聞いててくれればいい。あとほんの少しここにいて」

「ああ……」


「ポッキーでキスをしたってのは本当よ。その後もキスはしたわ。酔うとろくでもないことをするのよ。酔ってた。イケメンだった。そういう気分だった。私を幸せなどこかに連れて行ってくれそうだった。だからキスした。死にそうなくらい寂しくて、君は可愛いよ、君が好きだよ、君は大丈夫だよって、認めてもらいたかった。酒が入って理性が飛んじゃった。こうやって女の子って墜っこちていくんだって思った。魔が差したんだということにして、お酒のせいににようとも思ったわ。彼は私を許せなかった。殴ったわ。いつものようにね。うまくいってなかったの。俺に恥をかかせたって何発もあざができるまで殴られた」


「殴る彼だったんだ……」

「私も私を許せなかった。どれだけ自分を見失っていたせいだって弁護しても、そんなことに負けた自分を許せなかった。自分が軽蔑している人たちと同じになってしまった。落ちるところまで落ちたの。たとえ許したと言われても、きっとダメなのよ。同じ罪を犯した人とでないと共有できない。人間って自分と同じ罪を犯した人しか許せないんじゃないかって。本当の意味での許しってのはね…… だから許してもらうために他人を自分と同じ罪に引きずり込みたいってことまで思ったの。自分の罪に引きずり込みたい、この罪を拡散したい。にこにこ平和そうに笑っている女達を自分のところまで引きずりおろしたいって。そんな自分をなおのこと嫌いになったわ。わかる? 私はそんな女なのよ」


 長谷川の知らない部分を見せられていた。彼女の利口でしっかりしたイメージが崩れて俗さが俺の気持ちを汚そうとする。


 それでも強くせつなく生きなきゃいけないような気がした。


「生きてればさ、泥にまみれることもあるじゃん。人間なんてそんな立派なものじゃない。だんだんに立派になってきて、それが当たり前みたいになっているけど。本来人間ってそんなものじゃないのか。もちろん悪いことしない方がいいけどさ。それはダメなことだけど、ダメ人間は死ななきゃいけないってのも極端すぎないか。失敗をしたらお終いなのか? 二度としないようにすればいいんじゃないのか。俺だってそうだ。本命の彼女ができたら絶対に幸せにするんだって思うだろうけど、それでも、可愛い子がいたら、そっちともつきあいたいって少しは思うもん。いや、中東とかアフリカとか第四婦人まで許されててうらやましいななんて思うし」


「だ、だいぶわたしのシリアスな悩みがB級な感じになったような……」

「なあ、俺ってばバカすぎるだろ。こんなの見てたら死んじゃうなんてバカらしくなってこないか」


「……」

「時間が許すと思う。知らないうちに傷がふさがって、傷跡は残るけど痛みはひいて。古傷が痛む夜もあるだろうけど」


「彼と別れたのは殴るからだって理由にしていた。けど、ちがうのかも。こんな話をできなかったせいね。弱いわたし、どうしようもないわたし、そんな部分をさらけ出せなかった。つき合っていくうちにどんどん苦しくなって、私が私じゃなくなっていくような気がして…… 出河睦人にはこんなに喋れるのに」


「きっと同期のただの友達だから本音で話ができるんだよ。愛されたい、幻滅させたくないって思うから彼氏には言えなくて、だから言えないことってあるんだよ」


「ずーっとまじめにしてたら見直してくれるかな。あなたは許してくれる」

 今度は俺が沈黙する番だった。足りない頭で考えた。どう言えばいいかってことは分からなかった。ただ、勘のいい女の子だから、きっと嘘をついたら見抜かれるという直感はあった。


「長谷川、正直に言う。俺は無理だ。たいていの男ってのはそういうの無理なんだよ。ろくでなしで自分のこと棚に上げてズルいけど、過去にこだわってしまう。だから、この先、ほんとうに好きになった人には言わない方がいい。こんなこと黙ってればいいのかもしれないけど、俺がアドバイスできるのはそれだけだ」


「そうだよね……」

 彼女の顔が悲しげだった。ここは夢の国じゃない、現実はやっぱり現実だ。

「少し休むわ。会社辞めようかな」

「えっ、こんなことでやめんの?」


「こんなことじゃない。女の子はこのために生きてるのよ」

「せめて次のとこ探してからやめなよ。いや、つらいんだったら、今すぐやめんのもありだと思うけどさ」

「うん、とにかく、しばらく謹慎してる…… そして、それから考える」

「う、うん」


「ここに来たのは、死のうと思ってじゃないわ。風に吹かれてみたかっただけ。でも、車の流れを見てるうちに、めんどくさいこととか、うっとうしこととか全部、私も含めてなくなっちゃえばいいのにと思ったの」

「おい」


「もう行って……」

「長谷川……」

「大丈夫、大丈夫。死んだりしないから」

 その言葉は本当のように思えた。

「じゃ行くけど」

「少しここにいるだけよ。そして、それでもうこの場所には来ない」

 最後に彼女はそう言った。

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