第八話 吉良守美々の自己啓発セミナー
会議室の扉を開けるのには勇気がいった。
この手の自己啓発セミナーに関する評判が頭に浮かぶ。よくあるのは悪徳商法やカルト宗教のものだ。ン十万、いや百万を超える金額をつぎ込まされたってことも聞く。
だいいちセミナーに行ったくらいでそんな簡単に人生変わるなんてことはない。一時の高揚感で催眠術のようなものに掛けるのだ。
ここに来たのは、怪しげなチラシをどんなやつが作ったのか見てみたかったのだ。
でも…… 案外、チラシとは逆に、まともだったりして。単にチラシとか広報系のことをやったことのない素人が手書きで作ったからヘンテコになっただけで。たとえば美人の講師がいて、受講生にも若い勉強熱心な、眼鏡とかかけてんだけど外すと実は美人な女の子がいるとか。ユーキャンとかそういうのも流行っているし。
ここにいる本当の理由は、チラシの広報効果の確率と自分に彼女が出来る確率を重ねたのかもしれない。それはゼロに近い。〇.〇三%くらいだとすれば、きわめてゼロに近い。確かに俺に可愛い彼女が出来ることはゼロに近い。でもゼロじゃない。ぜったいにゼロではない。〇.〇三%のチラシでもお客が来ることがある。ただ、そのことを証明したかったのだ。
すりガラスの向こうは明るいが音は聞こえない。
思い切って扉を引いた。
そこは、俺の知っている会議室ではなかった。
鹿の頭がこっちを見ていた。欧米の邸宅に飾られているようなアレだ。そして巨大な水槽を鹿の頭と変わらないくらい大きなヒキガエルが一匹泳いでいる。水晶玉が照明を受けて妖しく光を放ち、そのかたわらには謎の像が三つほど並んでいる。さらに見たこともないような機械やレーダーみたいな装置があって、球形の装置からは煙が立ち上っている。部屋の中央には歯医者の手術台みたいなのまであって、天井からはヤモリの黒い干物がぶら下がっていた。
部屋には一人だけ人がいた。女性だ。妙なポーズで奇声を発していた。
「ほあああーっ!」
こっ、これはカメハメ波!?
彼女の背後には横断幕があって、そこには世界征服と書いてあった。
ああ、そっち系ね…… ダメ人間集まれ!!!ってチラシでまともな訳ないよな。カルト教団の方だったか。
一応、謎が解けて、回れ右して帰ろうとした瞬間。
そこに黒いスーツに身を包んだ長身の男がいた。
「おやっ、あなたはっ! もしかして、セミナー受講希望者の方ではございませんか?」
「い、いや……」
マ、マズい関係者か!?
「お嬢さま、受講希望の方がお見えにっ!」
「ち、ちがっ」
カメハメ波の女性がこちらに振り返った。
「きゃーっ、ようこそっ!」
えっ……
天真爛漫な太笑顔が、黒魔術みたいな怪しげな室内にあまりにマッチしていなかったのだ。長谷川未理緒だって、たしかに美人だったけれど、それはあくまでうちの会社の中でのことだ。目の前の笑顔は女優? ってくらいなまばゆいオーラを放っていた。
うわ~ なんだ? この人。
後で考えてみると、この時、逃げ出すのを忘れてしまったのが敗因だった。脱兎のごとくそうすべきだったのだ。
「さあ、これ引いてみて、ねねっ、引いてみて」
その女性にひもの端を渡される。言われるままにひもを引っぱった。
ぱかっ。
くす玉が割れて紙吹雪が舞った。生まれて初めてだった。人生でくす玉を割る瞬間がおとずれるなんて思ってもみなかった。
パン、パーン、パパーンッ!
えっ、えっ!?
彼女と男の手にはカラフルな三角錐があった。お誕生会以来のパーティーグッズ、クラッカーだ。
「ようこそ、吉良守美々プロデュース、美々の自己啓発セミナーへ」
くす玉から垂れ下がっている幕には美々の自己啓発セミナーとある。
「ちょっと、待ってよっ! 俺は別にセミナーに来た訳じゃないしっ」