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第七十四話 穴あけポンチとぶっちゃけうどん

「ハッキングは外部から行うより、だんぜん内部からの方が容易いんですよ。当たり前ですけどね」太いセルフレームのメガネに指先を添えて馬都井くんは言った。


 馬都井くんを平日の夜の社内に入れて会社のサーバーに不正アクセスしていた。たまたま課の人間が全員早めに帰宅して、自分一人になっていたので急遽連絡したのだ。目的は長谷川の調査だった。


「やはり内通者がいるといいですね」

 内通者って…… どんどん自分が悪の道に染まっていってるような気がする。

「ねえ、後でログが解析されて俺のPCからアクセスしたなんてバレないよね」

「たぶん大丈夫ですよ」


「たぶんって……」

「99.99%くらい安全ですよ。いや、絶対にバレたくないということであれば、社内の全イントラをウィルス感染させて破壊することもできますが」

「いや、そこまでは」


 馬都井くんって涼しい顔して結構怖いこと言う。社内のイントラを構築するのに何百万も、いや数千万くらいはかかっているはずなのだ。

 俺のノートパソコンには一度も目にしたことのないイントラの管理者用画面が表示されていた。


「ふむ、金曜日の勤務時間記録はと…… ああ、これですね。長谷川未理緒さん。ああ、残業していますね」

 たしかに残業が記録されていた。システム上は。

 でも、そうじゃないはずなんだ。

「8時に終わって、それから車で片町まで飛ばせば、あの時間にあの店にいることは物理的には可能です」


「可能…… だろうけど。でも、そんな必要ってあるだろうか。急いで来て途中から合流したって感じじゃなかったと思うけど」


「あれほど失礼な行為を受けたにも関わらず、被虐的な性癖ゆえに好意を捨てきれない出河さんが、彼女が金庫を開けたということを信じたくないのは分かりますが、システム上は残業したことになっています」

「まあそうかな。なんか微妙に俺を貶める表現が引っかかるところだけど……」


「とにかく予断はしない方がいいです。出河さんが見ている彼女、あるいは見たいと思っている彼女と現実の彼女は違う。どれほどの差があるか、その差が出河さんにとって受け入れ難いことかどうかは別としてね」


 馬都井くんはいろいろ良くしてくれてて基本的にはいいやつなんだ。けど含みのあるような言い方をわざわざしなくても…… 分かってるさ。


「あのう……」

 そのとき、課のガラスの扉を開けて経理の森っちが入ってきた。

「失礼します。あ、出河先輩いらっしゃったんですね。よかった」

 馬都井くんがとっさにパソコンの画面を切り替えた。こういうタイミングでの森っちの来訪にドキリとする。


「あれ、こちらの方は? 来客中でしたか?」

「いやパソコンの調子が悪くてさ。システム屋さんなんだ」

「こんにちは。わたくし、あちらで外してましょうか?」

「あ、ああ。いや。じゃ、ごめん、システム屋さん、あっちで作業をしたらいいよ。あ、打ち合わせテーブルにもLANケーブル来てるし」

 馬都井くんは打ち合わせコーナーのテーブルに俺のパソコンを持って行った。


「すいません、先輩。えと、ですね、ここ、ほら穴が空いちゃってて数字読めないんで分かったら教えていただけないかなあって。ポンチの穴で」

 経理に提出した書類を手に持っている。

「ポンチ?」


「穴開けポンチ」

「穴開けポンチ? それ穴開けパンチな」

「ええっ!? ずっとポンチと思ってました」

「ポンチってのはフルーツポンチな。そもそもフルーツポンチも食べたことないけどね」


 このこがアレなことはうすうすは知っていたが、ちょうどいい機会だ。気になっていることがある。

「森っちさ、何回か食堂で並んでいるときに気がついたんだけど……」

「は? なんでしょうか?」


「いつも、うどん注文するとき、ぶっちゃけって言ってないか」

「ええ、ぶっちゃけうどんですけど、いなり寿司とセットで。それがなにか……」

「それ、正しくはぶっかけな」

「ええっ! いったいなにをぶっかけるんですかっ?」


「めんつゆだろがっ」

「えーっ…… それ変ですよ。だって基本めんつゆがかかっていないうどんってないでしょう。うどんとめんつゆはセットですよ。だったら、わざわざめんつゆをぶっかけるってことを名前に入れなくても。だいたい、その理屈でいくと、すべてのうどんはぶっかけ天ぷらうどんとか、ぶっかけ肉うどんとかになるじゃないですか」


「いや、ほら、暖かいだしに入ったうどんとかもあるから、それと分けてんだよ。つか、なにをぶっちゃけるわけ?」

「え、だから、ぶっちゃけ…… 麺しか入ってませんけどすいませんね的なおうどんだと」


「長いな、おい。なんでそんなネガティブなんだよ。うどんが謝ってんのか。注文する方もせつなくなるよ」

「あるいは、ぶっちゃけ小麦粉は国産じゃありませんけどとか、ぶっちゃけ原価50円くらいしかかかってませんけどとか。私、日本の食品問題を解決するには、もっと生産者側がぶっちゃけることが必要だと思うんです」


「どんどん食べる気が削がれていくのだが……」

「なるほど、めんつゆをぶっかけてますよ…うどんだったんですね。勉強になりますっ。ぶっちゃけ…… ぶっかけ…… でも、どちらも潔い感じがなんだか素敵ですよね。うふふ」


 うまくまとめたな、こいつ……

「あの、前元くんって体調悪そうだったですけど、まだ病み下がりなんですか」

「ん? 病み下がりってなんだよ、病み下がりって。病み上がりだろ」


「え、でも、アガってないですよね。むしろ体調不良で下がってますし」

「病み上がりって言うんだよ。まあ、ぜんぜん別の意味でやにさがりって言葉はあるけどな」


「やにさがり?」

「いい気になってにやにやする顔のことな」

「ええっ、下がりって言うのにニコニコして機嫌いいんですかっ? うわあ日本語は不思議だあ」


「おまえが不思議ちゃんだよ」

「ありがとうございます。何事にも不思議だなあって感じる心… あなたの、そういう子供のような心をいつまでも大切にしなさいって、先生に言われてました。センスオブワンダーって言うんですよ」

 うんうん、そうかあ、まっすぐ育ってるね…… もお、何も言うまい!


 天然の森っちでも例のこと、あの写真について知っているのだろうか。

「長谷川はどう?」

「えっ、別にどうって…… 今日は帰りましたけど。あ、出河先輩、長谷川先輩のこと気になってんでしょ。うふふ」


 屈託のない天真爛漫な天然娘の笑顔だ。

 知らないんだ…… ほっとした。

「にしてもさ、経理も忙しいんだね。毎日残業かい?」

「そんなでもないですよ。時期がありますけどね」

「長谷川だって忙しいんだろ。たしか先々週の金曜日も残業してたよね」


 俺はかまをかけた。

「ん? んーと、いいえ、先輩は忙しいですけど、その日は飲み会だとかって早くに帰りましたよ。金曜日でしょ。だって、最後私だったんです。その日は七時には鍵返しましたよ」


 あれれ。

「あっ、ああ、そう……」

 動揺しているのを悟られまいと、俺は森っちから視線を外した。テーブルの方で作業をしている馬都井くんと目線が合う。彼も解せないというように眉間にしわを寄せた。


 ポンチ穴で失われた数字を調べて森っちに教えると、「先輩もお仕事がんばってくださいね、もう一踏ん張りですよっ」と明るく言って彼女は経理課へと戻っていった。


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