第六十五話 セミナー第三回 パーティー
年に何回か、加能商事はヤオヨロズふぉれすとでパーティーを行う。対象はビルに勤務している社員とか、得意先の会社なんかも含めてだから結構な規模になる。俺自身は食べるものだけ食べたらすぐ帰ったりしていた。そういうの苦手なんだ。
「絶好のチャンスじゃないですの。さりげなく、その経理課長に聞き出せますわ」と美々さん。
そうかあ?…… 商品券と裏金が消えたんじゃないかなんて、どう、さりげなく聞き出すんだよ。
「そうですね。ともかく商品券と裏金が消えたというのが事実かどうか確かめないことには、長谷川さんの疑惑を明らかにすることはできませんからね」と馬都井くん。
「自信ないな。なんかこういう立食のパーティーとかって苦手だし」
「普段、まともに会話する友人さえいない出河睦人さんが、まさかこの手のことが得意だとは思っていませんわ」
「は、はっきり言ってくれちゃいますね」
「この前のセミナーも、そういう出河さんの人として致命的な欠点を克服するためのものだったのですからね」
人として致命的って…… 美々さん。
「ちゃんと笑顔の練習してますの?」
「ま、まあ。トイレの鏡とかでは」
「そう、気持ち悪。思い出してしまったわ」
「お嬢様、トラウマになってしまったのでは?」と馬都井くん。
「これでも営業とかでは少しはうまく行きかけたんですけどねっ!」
「とにかく、今日も対人コミュニケーションが吐き気をもよおすほどダメなあなたのために特別にプランニングした自己啓発セミナーをしますわよ」
「吐き気をもよおすほどって…… ほんと、清々しいくらい歯にもの着せないですよねっ!」
「私はね、常々、日本人が世界で活躍するのに必要なことはパーティーに主体的に参加する力だと思っているのよ。とにかくテーマはパーティー! 吉良守美々のパーティーセミナー、始まりますわよおっ!」
ふぉれすとビルの各フロアは吹き抜けになっている。吹き抜けの位置は一階層ごとにすこしづつずらして配置されているが、真ん中はずーっと三十二階から一階まで広大な空間があいている。床面積の八割が吹き抜け空間という設計は、一部に税金が投入されたビルとしては、無駄が多すぎると批判されたこともある。入居者の八割は空気だ。
ビルのテナントは、下の階の方は店舗、上の階の方は企業のオフィスになる。屋上と一階、それと中層の十七階と二十七階の二つの階はテナントが入居せずパブリックスペースになっている。仕切が設置されてないのので広々として、展示会や各種イベントに使えるようになっていた。今日のパーティーも、その十七階で催されていた。
会場はたくさんの人で、わいわいがやがや賑わっていた。
身体の線が際だつ無地のパール色のワンピース姿の丸っこい顔のショートカットにした女の子。腕に茶色の皮革でターコイズが配されたブレスレットを何重にも巻いて、薄いガーゼのような素材の服を着た女の子と話している。「ねえ、井川さんってばさ」プラのスティックが刺さったクラッカーにエビとテリーヌがのってるのをつまみながら、一人が言った。そこにネクタイを締めた奴らが声かけた。照れて恥ずかしそうにしている。
フードコーナーにはオードブルがずらりと並んでいるほか、寿司やステーキを焼いているコーナー、パスタ、ピザとかもある。点心のシューマイとか団子、ローストビーフに鴨のロースト、いろんな種類のチーズ。
白いひだのついたクロスが丸テーブルを覆って各テーブルの中央には色とりどりの季節の花々による大きなフラワーアレンジメントが据えられる。
会場は多重露光した花火みたいに華やかさと色彩に溢れていた。
紺色の全体に小さな紋が刺繍されたポロシャツにふくらはぎくらいまでの丈のパンツをはいた格好の若い奴。取引先の誰かだろう。職場から普段のそのままの格好で来る人もいるし、女の子ならパーティドレスみたいなのを着てくる人もいる。そういうところはぜんぜん自由だ。
赤いフレームのめがねの男と黒い細いネクタイに白いぴったりしたシャツの袖をまくり上げた男がしゃべっている。
「久しぶり」「このまえの見積もりも、どうも」
ドリンクのコーナーでは生ビールのサーバーが人気だ。カクテルコーナーや焼酎、日本酒の瓶は地酒の銘柄なずらりと並んでいる。ソフトドリンクもある。
えらい人を囲んで注ぎにまわる人は順番で列ができている。つか挨拶をしたうちの会長だった。乾杯の音頭をとった取引先の社長と談笑している。
ひといきれがすごい。ごった返してる。パーティ開始時刻を三十分過ぎても、まだまだ入ってくる流れはとぎれずに人、人、人の波で埋められていく。
空調の営業の棚木淳也、広報宣伝の桜井ちゃん、取引先の三輪電業の大下さん、知った顔もちらほら、知らない顔はもっとずっと多い。そこここで乾杯や挨拶、名刺交換が行われている。冗談を言い合ったり議論したり。もうすでに真っ赤な顔をしているものも。
「ま、一杯」「今日、車なんですよ。ウーロンで」
長めの髪を真ん中で分けたクリエイター風の男が若い女の子たちのグループの一人になにか説明している。ほかの女の子は女の子同士で喋っている。「ジュリってばさ、九月に結婚だって」
ピースして記念写真を撮る女の子たち、お皿の料理をアピール。「もっと真ん中に寄って~ チーズ」
「まいっちゃったよ。骨折だよ骨折」「あとでまた」「またまたあ。口ばっかりなんだから。ちゃんと誘ってくださいよ」「ステーキ焼きたてですよ」「みさきちゃん、こっち、こっちだってば」
お酒とかパーティーとかってのは人を動物的にさせると思う。大声を出したりバカみたいに騒いだり。そういうのに気後れしてしまうんだ。どれだけの会話がここで交わされているのだろう。情報が氾濫して目が回る。
ちぇっ。少し飲んだ方がいいな。お酒を飲んで勢いつけなきゃやってらんない。
「これ、うめえー」「青かび系苦手で」「今日も、暑かったっすね」「例の人、まだ、続いてんの」「っとに、バカなんだからあ」「先月提案してもらった件だけど、反応ぜんぜんでさあ」「きゃー、それ好き、好き~」
わざわざ浴衣を着てきた女の子もいて、なんだか夏祭りを思わせた。
ステージの横断幕には加能商事納涼パーティーとつけられている。
会話に花が咲いて、ふざけあって蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
給仕するアラビア風の赤い服のウェイターとオレンジと金の制服を着たコンパニオン。人の輪がいくつもできて談笑している。大きな身振りになって、わいわいがやがや、けらけら。
幾種類かのピザ、トマト系のソースとクリーム系のパスタ、俺の好きなほうれん草を練り込んだ平打ち麺もあって皿に取って食べた。
知り合いを見つけてお互いに指さして笑い合っている。グラスやジョッキをぶつけ合う。コサージュ。大振りなネックレス。パーティーヘアー。バーコーナーで語り合っている外国人は先端大の研究員だろうか。
ガラスの向こうは手取川扇状地に重なる夕焼け。ピンクと水色が溶け合う空。パーティーは、まだ宵の口。始まったばかりだ。
天井にはクリスマスのような電飾がされて、光のチェーンがめぐらされている。スクリーンに映し出される抽象的な幾何学模様の環境映像。
ダウンライトがグラスで作ったシャンパンタワーに反射してキラキラ輝く。
会場にいる誰もが色の付いたガラス細工なのではないかと思う。みんなは光り輝いていて共鳴しあっている。俺だけが粘土か何かでできているような気がするんだ。