第六十四話 ヘリで行ってしまったんだ
あの日、バリバリと夜空を切り裂く爆音が市内全域にとどろき渡った。
寝静まった草も樹も山も叩き起こすようにして、俺の見たことのないような大型のヘリが上空に現れた。
胸に枝が刺さったとおんが携帯から連絡して、五分もしないうちのことだった。
空中でホバリングしたヘリからロープで降下した数名がまず道路を封鎖した。ヘリが道路に着陸すると救急班が担架を持ってきて、すぐにとおんを乗せた。
傷の様子を救急担当者が診て、服をまくってブラの下のあたりにテープのようなものを貼って応急の止血処置をする。
大勢の隊員に囲まれて、俺はほんとうにとおんがそういう機関に所属する諜報員なのだと認識した。
「とおんは大丈夫なんですかっ! 血を吐いてますっ」俺は救急担当の男に聞いた。
「肺か。出血量がわからん。こいつは急ぐぞ……」脈を取りながら男が答える。
「む、睦人、ごめん…… 今度ぜったい埋め合わせはす…… ゴボッ や、約束守るから。ちゅーの約そ……」意識をもうろうとさせながら、うわごとのように彼女が漏らした。
「バカッ! そんなのいいから。しゃべんなくていいからっ!」
とおんを載せた担架はヘリに運ばれてすぐに離陸した。
爆音を轟かせて飛んでいくヘリを眺めながら、なぜか逆に俺は無音のUFOの異常な静けさを思い起こしていた。何トンもある重量物を宙に浮かべるということが、どれだけの重力に逆らった不自然なことなのか。本来ならばこんな大きな音をまき散らすほどのエネルギーを使うものなのだ。
「とおん、頼むから……」つぶやいた俺の声はヘリの音にかき消された。
あれから彼女に連絡が取れない。携帯もメールも。電源が入ってないようだった。ヘリに乗っていた隊員の一人は去り際に「この件は危険だから関わるな。忘れろ」と言った。
忘れようと努めている。関わらないことが最善だということは理解している。でも、いまだに八木亜門はヤオヨロズふぉれすとで研究を続けている。
とおんは戻ってこない。
どこにいるんだ? 傷は?
彼女は、今、なにを思っているだろう? 俺に呼び出され八木亜門を追跡したことを悔やんでいるのか? もう俺に会いたくないと思っているんじゃないか?
あんな目に遭わせてしまった。謝ることさえ今はもうできない。