第五十九話 セミナー第二回 笑顔
「というわけで、典型的なダメ人間の出河さんを再び迎えての第二回セミナーとなったあいなったわけですけれど、前回のスパイ大作戦では危地に飛び込み男性の魅力をアップするということで一定の成果を上げましたわ。しかしっ、まだまだモテるということに関して最下層の彼が一度きりのセミナーでモテるようになるわけがないですし、向上の余地はありすぎるくらいですから、引き続きセミナーを開催します。さてとセミナーのテーマなににします?」
美々さんの俺の貶め方が、なにげに心に刺さるがつっこまないでおく。
「また高いところから吊り下げられてみます。それとも滝に打たれるとか」
やっぱり、この人……
「この前言ってた長谷川の写真の件は?」俺は話を逸らした。
「ああ。探偵の方はどうなの? 馬都井」
「それが、意外に画像の解析に手間取っておりまして。少しお時間を」
「ふーん、じゃ違うネタですわね。モテるという目的のために落差八〇メートルの滝に……」
「いえ、モテはもうしばらくいいってか…… う~ん、しいて言えば営業がサクサクうまくいくセミナーとかってできます?」
最近、結構ヤバい状況になっているのだ。ヤオヨロズふぉれすとのテナント入居が落ち着いて事務用品の需要は右肩下がり。統合されるんじゃないかって噂もある。課長はあんな感じだし、加納は論外、前元は頑張っている方だとは思うが営業をなんとかしなければというのが喫緊の課題だ。
「もちろんできるに決まってますわよ。吉良守美々に教えられないテーマなどございませんわ。でも出河さんの場合はもっと根本的なところからですわね」
「根本的?」
「ちょっとしたアンケートをしますわよ。えー、①なに考えているかわからないとよく言われる。②実は営業向きでないと思う。③はっきり言ってコミュニケーションが苦手だ。④周囲の大多数の人に嫌われている気がする。さて思い当たるのは何個あったでしょうか?」
「えと、何個って、微妙に全部ですけど。つか、これってアンケートの名を借りた俺への悪口ですよね」
「分かりました?」
「分かりますよっ」
「つまりね、自分を売り込めってことなのですわ。営業? いいでしょう。でも商品を売る前に、まず自分を売り込まなきゃ。要はね、アピールですわ」
ああ…… たしかに俺に足りない部分だけどさ。子供の頃からそういう性格だったんだ。クラスの中心でリードしていくというタイプとは真逆のキャラ。できるだけ目立たないよう、アピらないよう生きてきた。
「では今日のセミナーのテーマを言います。自分を売り込むアピール ~まずは笑顔から~ これでいきましょう」
おお、自己啓発っぽいぞ。
ニコッ。
まず、美々さんに言われて馬都井くんが見本を実演した。さわやかだ。ああ、さわやかだね。これなら買うね。
「馬都井、また少し腕を上げましたわね。あやうく、この私までハートを持って行かれそうになったくらいよ」
「恐縮でございます、お嬢さま」
「では、出河さん」
よしっ。がんばろう。
にかっ。
ぶっ! 美々が吹いた。
「笑顔とは変顔をすることではないのよっ!」
「だっ、誰が変顔だよっ!」
「これは大変だわ。じゃ、まず笑顔を作る言葉を言ってみましょう。魔法の呪文よ、ビューティ~ キューティ~ プリティ~!」
「それ、ほんとうに言わなきゃなんないんですか?」
そう言ったのは理由がある。今回のセミナーだけど、会議室が取れなくて馬都井くんとこの前打ち合わせた例のカフェだったからだ。少ないながらも客もいる。
「セミナーっぽくならないでしょ」
はあ、仕方がない。
「ビューティ~ キューティ~ プリティ~」
「睦人さん、失礼ですが…… ちょっとキモいですよ」馬都井くんが口元に手を添えてささやく。
自分でも分かってるよ!
「はいっ、もう一度。最後のィにアクセントを置くのよ。ィの発音にはね、口を横に開く効果があるの」
「ビューティ~ キューティ~ プリティ~」
「もっと口角を上げるっ!」
「ビューティ~ キューティ~ プリティ~」
「顔の筋肉を動かしてっ。心の底から絞りだすようにっ!」
き、きついっ……
うがっ!
「かっ、顔がつった」
「ふう、手こずらせますわね。ちょっと休憩。じゃ、ここで豆知識。英語のキューティーの意味って知ってます?」
「かわいいとかって……」
「かわい子ちゃんの他に、もう一つ意味があるのですわ」
「え?」
「策略家。ちなみにプリティには相当なって意味もあるのですわ。あの娘相当よねとかとも言いますわね」
ふーん。
「言葉には意味が秘められている。キューティー、プリティどちらも表の意味の裏には隠された本質があるのやもしれませんわね。同じように笑顔も素直な感情表現というものにとどまらない。たとえば営業とか恋愛とかにおいて目的を達するためのひとつの重要なツールなの。合コンで女の子が男子を落とす最大の攻略法はなにか知ってます? 気の効いた話題やファッション、かいがいしく働く姿、ノリ、どれも違いますわ。合コン、最大の攻撃、それは意中の男の子に話しかけられたときにする笑顔なのです」
「ははあ」あ、そうかも……
「笑顔ってのはね、武器なのですわ。いいでしょう。わたくしの必殺の笑顔を見せてあげます。刮目して見よ! スマイルビームいくわよ」
なぜか、馬都井くんは胸ポケットからサングラスを出して掛けた。
にこっ。
パアァアアアアアア!!
「睦人、大好き」
「ぐはっ!」
たしかにビームだった。光線に射抜かれた俺は頭の中が痺れるような感覚に襲われた。
カフェの後ろにいたおっさんの顔まで赤くなって、入り口につないでいた犬が小さくくーんと鳴いた。
笑顔すげえ。
「でもセリフ言うの反則でしょ」
「違うのですよ。これは本気の笑顔が私の脳に言わせた言葉なのですわ」
「え?」
「感情が笑顔を作るって一般的には思われてます。でも最新の脳科学では逆に笑顔が感情をつくっていると言われてますの。楽しくなくても笑顔を作ることで、いわば強制的に楽しくなるのですわ」
「はあ」
「生物学的に笑顔がどうやって始まったかって知ってます? 動物が獲物を威嚇するときの表情からという説がありますわ。獲物をほふる歓喜、生死を賭けた闘いの極度の緊張、勝利の予感、喜び、恐怖それがないまぜになった特殊な感情が顔という筋肉の集合体に現れ出たものこそ、笑顔の原型と言われてますの」
「たしかに笑顔が武器だってのは……」そうか。
「分かってもらえたかしら。危険な武器よ。わたしの笑顔はね、ヤマトの波動砲、最終兵器ですわ」
うーん、巻き込まれないためには、馬都井くんのようなサングラスが必要だ。
「思わず、睦人大好きなんて反吐が出そうなことを口走っちゃいましたけど、私自身この最終兵器 美々'sスマイルビーム・エクスクルーシブに振り回されてるってことですわね」
「せ、正式名称それですか…… なんか名前が長くなってないですか」
「ねえ出河さん、女子はね、中学生くらいから毎日三十分、鏡の前で不断の鍛錬をしてるの」
そ、そうなのか?
「そんな、ちょっとやったくらいでどうにかなるなんて甘っちょろいですわ。とにかく一週間はがんばってみなさい。今は吐き気を催す変顔だけど、なんとか相手に笑顔と認識されるくらいになれば、あなたの努力を認めてあげますわよ」
というわけで、笑顔のマスターがセミナーの宿題となったのだ。次の日、とりあえず後輩の前元に試してみた。
「せっ先輩、すいませんっ! ぼく、なにかやらかしちゃいましたか!?」
「えっ」
「いや、殺意の込められたような、世にも恐ろしい不気味な表情を……」
くっ…… そ、そんななのか。そこまでなのか?
学校でPCとかより先に笑顔を教えるべきだと思う。