第四十一話 巨大建造物の王について
ビルとはなんだろうか?
巨大な建造物というのは、ほんとうは、その機能よりも記念碑としての外観の方がより重要な意味を持っているのではないだろうか。
それは、例えばピラミッドのように権力や繁栄の象徴ではないか。機能としてどのように使うかというよりも、記念碑としてどのように人々に崇拝されるのかという意味合いが強いのじゃないか。だから、大きく、美しくあらねばならない。
巨大建造物というのが王の権力を誇示するためにあるとすれば、では、このふぉれすとタワーという巨大な建造物の王は誰なんだろう?
古くは、巨大建造物としては寺院や城郭などがあった。それらは神仏や王の威光を表現していた。
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現代のビルディングはどうか。ロックフェラーセンターは大富豪の名を冠する。トランプタワーというのもある。ロックフェラーやトランプは現代の王だ。中東の世界一の高さを誇るブルジュハリファは王の塔の意だ。大企業の本社ビルというのもあるだろう。米国のシアーズビルというのは百貨店だ。会社の繁栄と成功を世の中に訴求する狙いがある。
だが、このヤオヨロズふぉれすとはそういうものじゃない。
人の名前でも企業の名前でもなく抽象的な名称である。なぜ人や企業の名前がつかないのか?
近年、増えてきているのは複合ビルだ。様々な機能、商業施設、オフィス施設、コンベンション機能、観光スポット的な要素、そういった多様な機能を複雑に組み合わせた総合開発という名目で建設されたビルが多くなってきている。
誰か権力者や富豪一人の思いつきでビルを開発するということが相対的に難しくなっているのかもしれない。建造物の役割が多くなればなるほど目的はぼやける。総合的な開発や地域振興といった抽象的な目的は、建物の名にも及んで抽象的な名称になる。そして、王の存在をぼやかす。
誰がこんな計画を考えたのか。学園都市は国内に何カ所かある。最後発のこの場所は既に人口が減少するという局面での巨大開発だった。人口がどんどん増え郊外に向かって都市が拡大していく時代はとうに過ぎた。中心部の土地や住宅が余っていて、そこに戻っていくような時代に、郊外で巨大開発をする意味はあるのだろうか。
地震の影響があるというのは聞いたことがある。もし首都圏に直下型の巨大地震が起こったら、東京のバックアップとしての意味があるのだとか。だから官公庁や情報通信関連、あるいは大企業のデータセンターが集中しているとかって話だ。
ほんとうにそうか? 後付けの理由じゃないのか。仮にそうだとして、王は誰だ。誰がヤオヨロズふぉれすとを開発しようと決めたんだ?
首謀者は誰なんだ? 地元の首長か、どこかの国会議員か。地場の不動産や建設関連の企業、あるいは銀行だろうか。そういう権力者たちが何人かで相談したのか。それとも最初は誰か一人の発想なのか。
誰なんだ?
世界の裏ですべてを支配している人物や組織がいるなんてことは信じない。でも少なくともこのヤオヨロズふぉれすとという開発計画を立案し実行している何者かがいるんだろう。じゃあ、誰なんだ?
実は王はいないんじゃないか。ふと頭の中にそんな答えが浮かんだ。
王の顔が見えないとか、隠れているのならまだいい。ほんとうは誰もいないのだ。
現代の巨大建造物の特異性とでも言おうか。
複合ビルは、特定の権力者によって造られるのではなく、民主主義の名の下で多くの人間が関与し、その分、個性や責任が薄れて誰のものかよくわからない謎の施設ができあがる。
映画とかでよくある共同制作委員会というクレジットを気持ち悪いと思ったことがあった。民主主義の気味悪さとでも言おうか。正体のよく分からないなにかが支配している、そして、それには俺たち自身も関与しているのだ。
その気持ち悪さに耐えかねて、マスコミや世論は首相や芸能人、会社社長などの権力者をスケーブゴートに祭り上げる。
でも、ほんとうの支配者は顔の見えない大衆だ。インターネットのコメント欄に山のように投稿される悪意。それが支配者だ。責任者出てこいという言葉がある。自分たちに権限が実はあるのに、それを忘れて誰かのせいにしたくなる。指導者を独裁者に仕立てたくなる。批判対象となる悪者がいるというのは楽なのだ。
民主主義というシステムによって世界が自分たちのものになっているとは思えない。かといって首相が絶対の権力者ではない。陰謀説は生まれるがそれも正しくはない。
このビルは、強いて言えば顔の見えない大衆のためのモニュメントだった。
王が誰かという問いに答えるなら、それは時間とともに変化し、定まらず、曖昧な大衆であるという答えはどうだろうか。
あるいは、人間でさえないのかもしれない。経済という目に見えない仮想の存在。実体はないのに現代社会のすべてに干渉し支配する存在のための記念碑。経済原理主義という信仰の象徴か。
闇の中で、王が不明、あるいは不在の塔がそびえていた。
通用口のある方角へまわると、上層階のワンフロアだけに明かりが灯っていた。たしかに残業をしていると判ってほっとした。
俺たちの住むこの世界がどうやって出来たのかということなど考えたことはなかった。暇じゃないと考えないことだ。でも、そのことは有史以来、実は人類がずっと考えていたことじゃないかと思う。世界はどうやって出来たのか? そして、この先どうなって行くのか?
深夜の誰もいないこの場所で、俺が働いているヤオヨロズふぉれすとという世界について小さな疑問が生まれ、それは俺の頭のどこかにしまい込まれてしまった。