第四十話 深夜のヤオヨロズふぉれすと
マニュアルミッションのギアをバックに入れた。営業車をパーキングエリアの所定の場所に停める。今日はたまたま営業先から直帰で自分のアパートに車があったのだ。よかったというか、悪かったというか。それでなければ、俺は電車通勤で車を持っていないから「納品しろ」と言う指示は断れたかもしれない。
営業車は経費削減のため軽のマニュアル仕様だ。最初のうちはエンストばかりで坂道発進が怖かった。慣れると割ときびきび走って小回りも利いて楽しい。最近は忙しさもあって週の半分くらいは営業車で帰っていた。
車から降りて、構内をふぉれすとビルの方へ向かう。
下方にいつも利用するループトラムの駅があった。ふぉれすとの全エリアに共通する意匠をループトラムの駅舎も採用している。特殊な樹脂を含浸させた強化木材が構造材に採用され、ガラスの壁面越しに柱や梁の木目が透ける。
通勤快速の場合、ふぉれすとのある辰口を出発点とすると、鶴来、野々市、西金沢、香林坊、金沢、松任、寺井、能美古墳、再び辰口と、一周、約三十分の環状線になる。各駅停車だと、その倍くらい駅があるのでもっと時間がかかる。アパートのある野々市からだと通勤快速で十分、各停で十五分だ。
ループトラムの路線は拡張される計画があって、現在の能美古墳から寺井に行くのではなく、能美古墳から小松のサイエンスヒルズまで延伸される工事がされている。ふぉれすとにはコマツの研究機関が立地していたが、サイエンスヒルズやコマツの工場にも関連する開発の拠点があるのと、空港へのアクセスもあってのことらしい。
ふぉれすとにあるコマツR&Dセンターでは、重機とロボットの複合領域の研究を行っているということだった。歩行する重機を開発しているのだそうだ。工場の中に入ったものが見たという話で、「開発中の実験機体が人型でガンダムみたいだった」とか、「機械仕掛けの恐竜みたいだった」という噂があった。
案外信憑性はあるのではと思う。建設機械でもなんでも、重機を使うためには、まずそれを運ぶための道路が必要だ。たとえば林業なら、林道整備の方に木を植えたり、木を伐ったりするよりも費用がかかっている。歩行する重機を開発できるようになれば、これまでのような道路整備が不要になり産業の構造が大きく変わるだろうと言われている。
現在の国家予算の何割もが道路建設と維持に使用されているし、ふだんは誰も通らないような道も少なくない。道路が必要だから造るのではない。道路を造る人が給料をもらえるということことが必要だから道路を造るのだ。毎年アスファルトをやり直したりしているのはそういうことなのだろ思う。
ま、コマツのガンダムの話もあながちなくもないのだろうけど…… まだ三十年後のことだろうか。
階段を登ると、視界が開けふぉれすとビルがそびえていた。
「あれ……」
こんなだったっけ。
深夜の一時、終電が終わったこんな時間に帰ることは何度かあった。そのときは営業車を使うのだが、くたくたに疲れていてまっすぐ駐車場に向かって歩いてる。じっくりとビルを眺めることなんてない。ふぉれすとビルはいつもとは雰囲気が違っていた。
照明はすでに消えている。展望レストランは一〇時三〇分までやっていて、その時間まではビルの内側から照明を透過させ幾何学的な柱と梁の構造を輝かせている。だが、この時間では真っ暗だ。
分譲住宅やアパートが建っているエリアはあえて少し距離を取っている。その方が精神衛生上よろしいということでだ。コンビニも五百メートル下に離れている。この場所は孤立していた。
闇の中にぼんやりとシルエットだけが浮かぶ巨大建造物は岩山や要塞のようで、いつも通勤しているオフィスビルというよりも得体の知れないなにかが住んでそうだ。
人工的に造られた街であった。暗い夜空の底にあって、その作り物の街は光の届かない海底の魚礁のようだ。造られたばかりでまだ魚が居着いていない。
違和感は小学生の頃、学校に宿泊体験をしたときの感慨に近い。いつもの場所がいつもの場所じゃない。ここは何処なんだと思う。こんな山の中を切り開いてビルを造るということがとても異質だと気づかされる。
ヤオヨロズふぉれすとは開発途中だった。今後、ホテルやホテルと一緒になった第二のオフィス棟も建設予定だ。でも、夢の未来都市という喧伝とは逆にゴーストタウンのように思えた。鉱山街や軍艦島、百年、千年後の未来に行って、すでに廃墟となったビルを眺めているように錯覚する。
たとえば千年後にこのふぉれすとは遺跡となって残るのだろうか。
有史以来、巨大建造物は遺跡として現代まで残っているものがたくさんある。現代の人類が作り出した巨大な建造物のうちいくつが残るのだろう。
現代では高層のビルは珍しいものではない。たくさんある。その時代の一番大きなものは文化遺産として残るだろうけど、そうでないものはきっと残らない。
ここはどうか? ふぉれすとビルは国内で見ても、それほど高層な訳ではない。ただ、それまでの鉄とコンクリートによるものとは違い、本格的な木造のものとしては初めての高層建築として知られていた。どうしても後世へ継承しなければならない価値がそこにあるだろうか。そうでないなら、建物としての機能が必要じゃなくなったときに失われるだろう。
廃墟になるのだろうか。いや、廃墟にさえなれないかもしれないと思う。廃墟として遺跡として保存されるならいい。そうではなくて全くの更地になって、いつしか森に覆われてしまうか、その上にまた新たななにかが建設されるか。
ほんとうは、すべての巨大な建造物は廃墟となる栄誉を目標に造られているのかもしれない。