第三十九話 課長が深夜に急な納品を
『はい』
長く着信音が鳴ってたので出ちゃったのだが、ディスプレイの表示に気持ちが萎えていった。出なきゃよかった。何時だと思ってんだよ。
『出河くーん?』
いい歳して甘えたような語尾を伸ばすしゃべりかた。こんな時間に最も会話したくない人物、課長だ……
『そ、そうですけど。どうしたんすか、こんな夜中に』
もうすぐ十二時になろうとしていた。
『はあーっ』相手は大きくため息をついた。
『どうしたんですか』
『はあー、弱ったな』
この上司には用件によっては、じらすようになかなか言わないようなところがあった。ちなみに加納も真似しているような節がある。
『いやね、緊急事態なんだよ。弱った、弱った』
『だから、なんなんですか?』
緊急事態ならさっさと言えよと思う。
『え、聞きたい~?』
聞きたくはない。
『あのね、ちょっと急な納品が入っちゃってさ。次長からの依頼なんだよね。いや~困っちゃったよ』
『うえっ、次長からですか』
次長は体育会系というか、とにかく少々無茶なことでも突撃しろというタイプだった。金沢市内ダーツの営業とかって言って、住宅明細図のダーツの刺さったビルに飛び込みで営業に行かされたことがある。ちなみにそのビルは同業他社のビルだった。
『そうなのよ。でさあ、その納品、分かるでしょ。頼まれてくんない?』
『ええっ、俺がですか。納品ってなに納品するんですか?』
『たいしたことじゃないんだよ。ケルビンデザインって会社に無線……だったっけ。その部品一つ届ければいいだけだし』
『ケルビンデザイン…… 聞いたことあるような』
『うちのビルの上の階にあるとこだよ』
『へ、ふぉれすとビルに入ってるんだったら、明日の朝、ちょっと早めに届けりゃいいじゃないすか』
『いやさ、それが、次長、今から届けろって』
『ええっ、今からって? なんでこんな夜中に。どうせ、その会社だって明日になんなきゃ仕事始まらないでしょ』
『なんか、深夜まで残業して作業してるってらしくってさ。荷物は加納ちゃんの机の横にあるらしいから』
『あっ、あれだ』
今日、夕方、宅配便が届くのが少し遅れて18時過ぎになったんだけど、加納は自分の机の上に段ボールを置いてさっさと帰ったのだった。
『それ、加納の案件じゃないすか。あいつに行かせてくださいよ』
『いや、もちろん加納ちゃんにも電話したんだよ。でも、彼、もうお風呂に入っちゃったからって』
『ああ、しょうがないなあ。なら…… ん、ちょ、風呂ってどういう理由ですか。おかしいでしょ。それは理由になんないでしょ!』
『いや、何度も電話するのもね』
加納は創業者一族の遠縁にあたるらしくて課長は妙に気にしているところがある。社長の息子とかそんなんじゃないから気にし過ぎだと思うのだが。
『あいつに行かせるべきでしょ』
『いや、せっかくお風呂に入ったのにまた夜風に当たらせるのも』
『俺だって風呂くらい入ってますよ』
『いや、ほら加納ちゃんはさ、イケメンだからスキンケアっての、お肌とかに気をつけてるかもしれないし。夜はちゃんと寝ないとお肌とか頭髪とかによくないでしょ。出河くんはどっちかって言うとそういうタイプじゃないし』
『じゃ、あんた行ったらいいでしょっ。あんただってイケメンじゃないだろーがっ!』
なんで、加納は風呂入ってたら免除で俺に対してはこんな粘るんだ? 理不尽だろ。
『うう。もっ、もういいよっ。次長には出河くんが行ってくれなかったからって言ちゃうからねっ』
『違うだろっ。加納にガツンと言ってくださいって! じゃなきゃ課長が行ってくださいよ』
『ああそうですかっ。なら僕が行くよっ! きみがそういう態度なら僕にだって考えがある。言っとくけどね、僕はいや~な気分で仕事をしているとものすごく足がくさくなるんだ。自分でも気絶しかけたことがあるくらいさ。その僕の素敵な靴下を君のスリッパの中につめといてあげるよ。あははあはは』
『やめろっ! この、くそハゲっ』
……
電話の向こうで沈黙があった。
『ハ・ハ・ハ・ハ・ハゲって言った。ハゲって言った。ハゲじゃないのに、ハゲじゃないのに。うぐっ、うぐっ、う、ううう。ほんのちょっと人より髪の毛が細いだけなのに』
泣き出した。
うわ~ ほんとめんどくさい。大の大人が。
『わ、分かりましたから。もう、いいですよ。行けばいいんでしょ。行きますよ、行きます。分かりました』
『ほ、ほんと、行ってくれるの?』
『はいはい』
『ね。ぼく別に薄くないよね?』
『くっ。ええ、ええ。薄くないです。少し髪の毛が細い人なだけですよ』
たしかにハゲはNGワードだった。課長はこの期に及んでいまだ自分の頭髪を受け入れられていない。それに靴下はほんとに勘弁だ。スリッパが死んでしまう。こいつリアルにやりそうだし。
『あー、よかった、よかった。次長って言い出したら聞かないからね~ じゃ、よろしくう~』