第二十二話 八木亜門
もし、とおんの言うとおり、ほんとうに陰謀があったとしたら……
一息ついたとき窓から覗いたオフィスの中の一人に目が留まった。
俺はその男の顔をすでに知っていた。知っていたのだが……
なんだこの人?
髪型が変わっていた。整髪料べったりつけてぺったり後ろに流して固めてるのだが、なぜか両サイドが盛り上がって先端がとがっている。角のようだ。
『クワガタみたい』とおんが言った。彼女もモニターしているのだ。
面構えは、あごがずいぶん長いものの端正と言っても良い目鼻立ちだ。切れ長の目はとっつきにくい印象もある。
教授をしていた大学ではゼミ生が揃いの服を着たり、表情が似通ってきて気持ち悪いとか噂されていたと言う。
実験で泊まり込みが多く帰ってこないと家族から大学にクレームがあったり、学生が「終わりのない闇が訪れる」と口走ったりとかいう話もあった。大学になじめずカルトな思想とかにはまったりする奴もいるけれど。
大学の研究者をやめ転職したのも、そういったことが問題となったのだろうか。ほんとうにとおんの言うように機密を持ち出したのだろうか?
窓の中の部屋はなんらかの実験室で食品卸の商社には見えない。なら、とおんが言うように研究成果を持ち出したということにも信憑性はある。大学のPCに入っていた実験データはウィルスに感染し消えたらしいし。
デッ、デッ、デンデン、デッ、デッ……
気分を盛り上げる例のスパイテーマのBGMが脳内に聞こえてきた。
『睦人、また謎のハミングしてるし。調子乗りすぎ』
「してねえよ。あれっ?」
デッ、デッ、デンデン……
こっ、これは? 脳内BGMじゃなくリアルに音がしてんだけど。
「あ、携帯?」
尻ポケットの携帯が鳴っていたのだ。
『ちょっ、早く止めなさいよっ』
インカムのとおんが言う。
全身タイツの下のズボンのポケットだ。あたふたしているうちに音は鳴り止んだ。
『任務中は電源切っときなさいって言ったじゃん』
「ごめんって。マナーにしてあったはずなんだけど。あせった。誰だよ~こんなときに。あ、職場か」
あ!
その八木亜門が顔を上げて窓の外を眺めていた。
こっちを見ている。目が合っていた。
しまった。音で気づいたのか。
向こうも驚いている。そりゃそうだ。窓の外に人間がぶら下がってりゃ。
マ、マズい。
八木亜門は払い出し窓を開けた。三十センチほどの隙間が開いたが、換気用の窓は高層ビルからの転落防止のためそれ以上は開かない。
「貴様、そこでなにをしているっ?」
窓から顔だけ出し人差し指で俺を指して八木はいきなり詰問した。貴様って…… 初対面の相手に言うか? 喋っている途中で声が裏返って高くなるところが、こめかみに響く。
ど、どうしよ、なにか言わなきゃ。
「えと、通りすがりの…… 窓掃除みたいな」
おおっ、ナイス言い訳。我ながら機転が効く。
「ふはははは…… だまれいっ! 窓掃除だと。いい加減なことを言いおって! その妙ないでたちはなんだっ?」
全身黒タイツはどう見ても窓掃除には…… 苦しい。
「降りて来いっ、怪しい奴め」
「い、いや、ちょっ、それは……」
「おい、おまえ達っ!」
八木亜門は大声で部屋の中にいた人間を呼んだ。
「はい?」
「なにをグズグズしているのだ、こっちだっ!」
「亜門様、どうかいたしま…… えっ、おまえなに?」
そいつはがっしりした体格だった。黒いスーツは研究者という感じではない。
「貴様、その覆面はなんだ? なぜ顔を隠している?」八木亜門は痛いところをついてきた。とおんの指示で俺も覆面をさせられたのだ。
「あ、これは…… なんて言うか、い、いや、その……」
どうしよう。いいわけが思いつかない。もう踊ってごまかすくらいしか。
はっ! 踊ってごまかす……
「あの、そ、そ、創作ダンスの練習を。あ、ほら、この覆面は衣装みたいな」
「あ?」八木亜門が怪訝な顔をする。
「ほら、あるじゃないすか。サーカスみたいなので宙づりになったりしてやるやつ」名前が出てこない。
「ああ、シルクドソレイユ? 亜門様、わたくしディズニーへ行ったとき拝見いたしました」スーツの男が答える。
ナッ、ナイスフォロー! まさかの敵に塩を贈る的な。
「それっ。それです。シルクドソレイユ」
「……」
数秒、八木亜門は沈黙した。
「っじゃないだろっ。明らかに怪しいだろうがっ」
「怪しくないです、怪しくないですって。だいいち、そんな言うんだったらあなただって相当怪しいですよ」
「は?」
「だって、変な髪型だし」
「変な髪型とは何だっ!」
「ヴフッ」
変な髪型という言葉に部下の一人が噴いてしまった。ほら、やっぱりみんな変だと思ってんじゃん。
「おまえ、なに笑ってるんだっ」
「笑ってなどおりませんでありますっ」部下は息を止め直立した。
「おっ、おまえ、髪型のことは言うんじゃない。失礼だろっ」顔を赤くしながら部下は俺に怒鳴る。
「だって変だし……」
「たっ、たとえ変な髪型だとしても亜門様が偉大な指導者であることに変わりはないのだっ」
なにげに認めちゃったよ……
「とにかく、これっぽっちも怪しくないんですってば。ほんとに創作ダンスの練習をしていただけで……」
「適当なことを……」
「ほんとに、ほんとなんです」もう言い張るしかない。
「うむう、創作ダンス…… そういえば、巷ではそのような舞踊芸術も認められているとも聞く。あるいは……」
説得できるかもしれない。もう一押しだ。
「ほんとに創作ダンスなんですって! 決してスパイなんてしていませんからっ」
「スパイっ? スパイだとおおおっ!」
ぼっ、墓穴掘ったあああっ!
だれかのへっぽこが伝染っちゃってるっ。