第十六話 会議テーブルは振り回してはいけません
ゲコッ。
水槽のカエルが鳴いて、ぴょんと飛び上がった。
「あら、餌かしら? 待ってて、スパイを倒したら後であげますからね」と美々。
「まだ、あたしを倒せると思ってるの?」
「そうね。たしかに厳しいかもしれませんわ。ん。馬都井、ヤモリ取ってちょうだい。わたくしも餌が必要だわ。パワーアップのためにね」
馬都井が天井からぶら下がっていた黒ヤモリを外す。
ユンケルとかより効くとか言ってたけど、そんなもんでどうにかなるのか。
馬都井が黒ヤモリを投げた。
その瞬間、とおんは背後の壁を蹴って弾かれたように飛び出していた。壁をランチャーに使って初速からトップスピードを叩き出す。壁がとおんというロケットの発射台になったのだ。
放物線を描いて美々の手元へと向かう黒ヤモリを途中で追い抜く。音速の寄せが美々との間合いを一瞬でゼロとした。
とおんが跳ぶ。空中で足の裏を美々へ向けて、そのままミサイルのように美々に命中した。
美々は吹っ飛んで壁に打ちつけられた。長いウェーブのかかった髪が壁面に広がる。
「ぐはっ」
「美々さんっ」
だが、これほどの衝撃を受けたというのに、まだ美々は起きあがってきた。
「そろそろ降参してくれるかな? あたしも忙しい身なんだけど」
美々は自分が打ちつけられた壁面を見た。当たったところがへこんでいた。
そこを撫でる。
「いいお尻のかたちしてると思わない?」
「ふふん、否定はしないけど、自分で言うなっての」
美々は床に落ちていた黒ヤモリを拾った。
「たしかにあなたの戦闘能力は図抜けてる。……それでも正義が勝つべきじゃないかしら」
美々は黒ヤモリの尻尾を持って頭からかじった。
「気持ちわる。よくそんなの食うわ」
「あら、おいしいジャーキーですわよ」
黒い干物は、結局ボリボリと美しい歯並びにかみ砕かれて、紐が巻かれた尻尾だけ残して、彼女の口の中に入ってしまった。
「フォホワアアアーッ」
両手を開いて天井の方へ向けたヨガみたいなポーズで、美々は声を出した。血管が浮かび上がり、筋肉が膨れる。黒ヤモリが彼女の身体に変調をもたらしたのだ。目に見えない妖気が立ち昇る。美々の身体がひとまわり大きくなった。
「その槍みたいな長い脚を防ぐには盾が必要ね」
美々は、会議テーブルを両手で持ち上げると、とおんに向かって構えた。
「これだから素人は…… そんな重量物持って戦えると思ってんの?」
「黒ヤモリをバカにしちゃいけませんわ。ほんとに効きますのよ」
「ターッ!」
とおんがキックを見舞う。美々が俊敏な動きで会議テーブルを掲げその攻撃を防ぐ。テーブルにひびが入ったが、割れはしない。
ガッ、ゴッ。とおんのキックを長い板で器用に受け止めていた。
「くっ。なんてバカ力なのよっ! でも守ってばかりいても勝てないわよ」
「そうね、じゃ」
美々は長板を軽々と振り回して、とおんに向けて振りかざした。
ヴワアン、ヴワワアアン!
唸りを上げて会議用のテーブルが宙を舞っていた。他のテーブルに置いていた資料やらが風圧で飛ばされる。
「つっ!」
とおんが板を避ける。
「危険でございますっ」
馬都井がぼくの頭を押さえつける。その上を重たい板がかすめていった。当たったら身体と頭が離れていってしまう。
とおんもテーブルの射程範囲の同心円から逃れようとする。
美々はとおんを徐々に室内の隅の方に追いつめていった。背後には壁しかない。
「ツアーーーッ」
美々は会議テーブルを横にして、とおんを壁に押しつけた。
「ぐはあっ」
きゃしゃな女の子が壁とテーブルに挟まれていた。
テーブルが床に落ちて大きな音を立てた。
「勝負ありましたか?」と美々。
「い、いえ…… まだ、負けてはいない…… スパイのあたしが素人風情に負けるわけにはいかない」
「そう…… 強情ですわね。じゃ楽にしてあげます」
とおんは追いつめられていた。美々は水晶玉を手に取った。
「おいしい蕪を漬けられる石の重みを味わうがいいわっ」
ヴウンッ! とおんに向かって、美々は水晶玉を持って殴りかかった。
そのとき、とおんがテーブルの足の一本を、残っていた力を振り絞って踏みつけた。
ぐいんと、テーブルが起きあがる。
美々のパンチは立ち上がったテーブルが受けた。
バッシャーン。手にしていた水晶が砕け飛び散る。
美々のパンチは強力で、板を突き破ったパンチは、とおんの鼻先一センチのところで止まった。
美々の腕はテーブルに穴を開け、はまったままだった。
「おりゃあああああっ!」
とおんは会議テーブルごと背負うようにして美々を投げる。
美々の身体と会議テーブルが、とおんの腕を支点に弧を描くように空中を舞った。
ズダアァァン!
テーブルとともに美々は床に叩きつけられた。