第十五話 セミナー講師吉良守美々vs女スパイ宵宮とおん
女スパイ宵宮とおんは脚を肩幅に開き構えた。二人は互いに間合いを計るようににらみ合う。
あれ、なんか、へっぽこな感じがしない。
ビュッ。セミナー講師吉良守美々の左腕が溶けるようにシルエットを滲ませた。
残像!
左のストレートが宵宮とおんを襲ったのだ。
パアンッ。とおんは右手で弾いた。
続けざまに美々が右のストレートを打つ。
とおんが受け流す。
ブワッ。美々が左腕を振った。ブーメランみたく鋭角に軌道がカーブする。
命中すると思った瞬間、宵宮とおんの上半身は糸が切れた操り人形のように重力にまかせて落ちた。空振りした美々の左フックが空中に残っていた長い髪を舞い散らせる。
とおんはその低い体勢のまま、くびれた腰をひねって美々にボディブロウを浴びせた。
ボンッ! 破裂するような音がしてそのパンチは美々のみぞおちのあたりにきれいにヒットした。
うわっ……
だが、美々は倒れなかった。
ビュッ。今度は逆に美々が右フックを返す。とおんの肩口に命中する。当たる瞬間、とおんは身体をひいてダメージを軽減した。
とおんが背後に飛んで距離をとった。
「こんないいボディ入って、なんで倒れないのよ? あんた鉄で出来てんの?」と女スパイ。
「手加減してくれたからですわね。ま、日課の腹筋では馬都井に鉄球を落っことしてもらってますけど」
美々は涼しい顔でこともなげに言う。鉄球…… なぜにそんな必要があるのだ?
「ふふん、面白いじゃないっ!」
言い終わらないうちに宵宮とおんはその細い脚を振り上げた。左前蹴り、右回し蹴り、さらに左回し蹴り、そのまま回転するようにして後ろ回し蹴り。フィギュアスケートを舞うようなキックのコンビネーションに、美々が腕でしのぎながらも後退していく。いかに鉄の身体だとしても退がらざるを得ない。体格とパワーで上回る美々に対して足技を選択するという戦略だった。
退がっていく美々の後ろには会議机があった。お尻がぶつかって、もう退がる場所がない。
宵宮とおんが前蹴りを繰り出す。
美々が上半身を後ろに反って宵宮とおんのつま先をかわす。そのまま、宵宮とおんの脚が高く上がる。
人の脚ってのはあんなに高く上がるものなのか!?
宵宮とおんのねらいはその後にあった。
振り上げたかかとが美々の脳天めがけて落ちてくる。当たるっ!
だが、美々は机に腰掛けそのまま後ろに体操選手のように身体を丸め、くるんとひっくり返るようにして机の裏に降りた。
かかとは空振りし、たった今、美々の座っていた会議机に落ちた。
バギッ!
会議机が壊れた。真ん中で割れて合板の断面から、ささくれだった木材の層がはみ出てる。
「備品は壊さないで頂戴」
美々が立ち上がって頬を膨らませた。
「ちょこまか逃げずに受けたら良かったじゃない」
いやいや脳天割れるって……
「受けられないこともなかったけど……」
美々が微笑む。
「そのかかと落としも決まり手じゃない。次のフィニッシュブローがあるんじゃなくって。杞憂かしら?」
「ふーん、分かってんじゃない。へえ~」
「長くてきれいな脚ですわ。その素敵な脚で何人の男を蹴り倒してきたのでしょうね?」
「数えきれないくらいよ」
「その脚になら蹴られた男も本望なんじゃない。わたくしだったら惚れますわ」
「ふふんっ、おっぱいにはできない芸当でしょ」
「ミサイルみたいに飛んでってくれたらいいんだけど」
そういや、そんな超合金あったわ。
「吉良守さん、あなたがなかなか手応えがあるのは認める。でも、まだ楽しい楽しいスポーツって域を出ていない」
「あなたのはスポーツじゃないっていうのかしら?」
「違う…… あたしは人を殴り倒すライセンスを持ってる。闘うのは私の職務…… 遊びでやってる奴らに負けるわけにはいかないっ!」
とおんは、美々に襲いかかった。キックとパンチを織り交ぜた連続的な攻撃は目で追えなかった。彼女が繰り出した打撃が数えられない。
ただ、宵宮とおんの攻撃が美々に当たるときの音が打楽器のようなリズムを奏でていた。
1秒の間に6回音拍を数えた気がした。
手が3本ある。コマ送り映像を並べたように彼女が分身したように錯覚させる。そこには、彼女と重ね合わせたように、彼女のゴーストが発生していた。
「ぐっ……」
一発一発の打撃が美々を倒すことはなかったが、彼女は防戦一方で、そのスピードに手を焼いていた。
宵宮とおんの攻撃が止んで、美々はいったん後ろに逃れた。
「ほあっ!」
呼吸をつないで宵宮とおんが再び構える。
美々はガラスボールを手に取った。さっきのプログラムで僕らの悩みやらを記入した色とりどりのポストイットの入ったボールだ。
宵宮とおんが飛びかかってきた瞬間、美々はそのガラスボールの中身をとおんの顔面にめがけて投げつけた。
「なに? 紙つぶてで目眩ましでもするの」
宵宮とおんは意に介さず、突進する。
だが、美々の狙いはそうではなかった。
とおんの足下には付箋が撒き散らされていた。突っ込んでくる宵宮とおんの脚が小さな付箋の一つに乗り、僅かにバランスを乱す。
その隙を美々は見逃さなかった。とおんの放ったパンチを手のひら受けて、そのまま握る。
「つかまえましたわよ♪」
「くっ」
「細くてスタイルいいわ。でも、どうでしょうか? 組んだらわたくしの方がパワーは上なのでは」
とおんの両手を握ると、美々はそのまま彼女を振り回した。とおんの脚が床から離れ身体がメリーゴーランドのように一回転した。振り回している宵宮とおんの脚先が触れた鹿の頭部が飛んできて角が俺の鼻先をかすめた。ひーっ。
大車輪の遠心力がマックスになったときに、美々は壁をめがけて宵宮とおんを放った。
激突する!?
だが、飛ばされた宵宮とおんは壁に触れた足を屈脚させ衝撃を吸収した。壁にはりついた様は、その一瞬空中に浮遊しているようだった。
何事もなかったかのように着地する。
「腕じゃなくて足を持って投げるべきだったわね」
「見事ですわ。猫かしら?」
「空間を把握する能力には自信あるわ。でも、あんたの力もたいしたもんね、プロレスでも行けばいいんじゃない。ルックスだってイケてるし」
「女子プロレスは真剣に考えたことがありますわ」