第百二十三話 溟(くら)い部屋
エレベーターに向かった。
しかし前から白衣が数人でやってくる。
俺は黒スーツを着ていたが、とおんは目立ってしまう。どうしたって女の子だ。
「階段を使おう」俺はスマホに表示させた見取り図をとおんに見せた。
とにかく入口をめざして降りていかないと基地から出られない。入り口が封鎖されてたらどうするか? 一階には窓はなかったように思う。廊下に連なるスクリーンをぶち破れば外に出られるのだろうか。 とにかく一階を目指そう。
マンションでもオフィスビルでも階段というのは基本的に人通りがあまりない。
誰ともすれ違わずに、どんどん降りていける。
ビーッ、ビーッ!
けたたましいサイレンが鳴った。
『緊急事態発生。緊急事態発生。侵入者の活動形跡を確認。隔離室が攻撃を受け捕虜を奪われた。ただちに侵入者及び捕虜を捜索せよ』
バレた!
「うわっ。おまえらっ!?」
階段室へ入ってきた黒スーツにはち合わせた。
ヴィシュッ!
即座にとおんのエレクトリカルブレードが男の腹に電撃を見舞う。
男が起動しかけたエレクトリカルブレードは電気の刃を発することはなかったが、カランカランとやかましい音を立て階段を転がっていった。
「いたぞっ!」
何人もが廊下を駆けてくる。下からも階段を昇ってくる音がした。
「くそっ」
俺ととおんは、もと来た階段を昇るしかなかった。とおんが捕まっていたフロアを越えてさらに上がった。
階段が終わる。上に逃げればこうなる。一番上のフロアだ。
廊下に出て走った。とにかく隠れないと。扉がある。開けた。
「暗いわ」
照明がほとんどない部屋で室内の様子はぼんやりしている。だが、ずいぶん広いようだ。
「人はいないか……」と俺。
ひとまず、ホッとして中に入った。
トクトクトクトク。何かが規則正しく流れるような音がしている。
機械室? 配管でもあるのか。
腐ったような匂いがする。湿気が肌に絡みつく。室温は生温かかった。
だんだん暗闇に目が慣れてくる。
「なんだろ、あれ?」とおんが聞く。
わずかな照明だが部屋の中央になにかがある。
それは宙に浮いた巨大な水槽だった。透明な水槽が天井からつり下げられている。そして、その水槽の下からは、細い透明なチューブが球根の根のように何十本も床の方に向かって伸びている。
近づいていくとチューブの中をなにかが流れているのが分かった。
「こっ、これっ!? うわっ」とおんが口元を押さえる。
細い透明なチューブの中を流れていたのは、ジェル状の液体と……芋虫だった。
種類は分からないが直径一センチにも満たない半透明の体組織が透けた長虫がチューブの中を身をくねらせ流れ落ちていく。
「気持ち悪い。睦人、ここ出よっ。ね」とおんが俺の袖を引っ張る。
ぱきゃ、ぴちょぴちょ。
下の方から変な音がした。なにか異様な気配がする。
たくさんのチューブが降りていったその先には、床面に半地下のプールのように掘られた窪みにチューブの一本一本に接続されたたくさんの人がいたのだ。
「うう…… こ、こいつら、芋虫を呑んでるわ」とおんが泣きそうな声を出して俺の腕をぎゅっとつかんだ。
その貯水槽のような所に埋まった人々が腐敗したような匂いと異様な気配の正体だった。
彼らは椅子に座って、半分くらいまで水槽から流れ落ちるジェルに埋まっていた。プールを満たすジェルの中を口から漏れ出たと思われる芋虫が何匹もクネクネ泳いでいる。劇場の観客席のように等間隔でびっしりと椅子が配置されていた。椅子のサイズは大きい。俺の会社が納入しようとして中止になり、黒崎が自分の会社を作って納入しようとした例の椅子だった。手足を拘束するような器具がつけ加えられている。
等間隔で並んだ椅子に全裸の男たちがそこに座らされていたのだ。
男たちの様子は変だった。うつろな目はこちらを見ているが何の感情もこもっていない。そして肌の色が暗闇でも分かるほど異様に白い。頭にはUFOの実験の時に研究員がかぶっていたようなヘルメットもをかぶって、そのヘルメットからはコードが延びていた。
「あのヘルメットだ。UFOを飛ばしたときの」と俺。
「こんなにたくさんの人間がかぶってる。ってことは、たくさんのUFOを飛ばせるってわけ。そんなにあるの?」
「一機だけじゃないのか」
「も、もういいわ。とにかく、ここ、出ましょ。ね、睦人」
異論はなかった。俺も気色悪くて吐きそうだったのだ。
「けひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ」
並んだ男たちの中から声が聞こえた。
「な、なにっ?」とおんの顔がひきつる。
それは俺の知っている男の変わり果てた姿だった。水死体のようなふやけた白い肌。長いこと貼っていた絆創膏の下のぶよぶよと白くなった傷口にも似ている。うつろな表情。ただ、ほかの周りの人間よりも個性というか人間らしさが残っていた。
「こ、こっちを見てるわ。あいつ、睦人の会社の……」
それが会社を裏切り、俺や長谷川未理緒を陥れようとした男の末路だった。あの機構での実験で気を失っていたがここにいたんだ。化け物じゃないか。
「けひひひひっ。けひっ」
かつて黒崎であったものの口からチューブが外れた。
「あああうう。たぁすぅけーてー」
いや。まだそれは黒崎次長だった。俺を出河睦人だと認識していた。
それがなんだってんだ。こんなやつ放っておけばいい。当然の報いだ。会社を裏切り自分で起業しようとしていたのだ。この男は次長という立場にも満足せず、他人を踏み台にして何かを求めていたのだ。
次長という立場にも満足していない…… そのことは意外だった。こいつもサラリーマンという現実がいやだったのか?
「た、助けなきゃ」俺の口から出た言葉に誰より俺が驚いた。
「ええっ。や、やめようよ。だって、あいつ敵になったんだよ」 とおんが反対する。
「だけど、あいつ、まだ黒崎次長なんだ」
俺は芋虫が足下を泳ぐその貯水槽のようなところに入った。ジェルがパンツの裾に染みる。
うへえ。
「たあすーけーてー。けひ」
不気味な白い肌の色をした黒崎。その彼を椅子に拘束している金具を探る。右手を拘束している金具のボタンを押すと意外に簡単に解除された。左手、そして両足の金具も外す。
「次長、ほらこれでっ」
「あひゃひゃひゃ」
「だ、大丈夫ですか」
「ニエを……」
「え?」
「ニエを…… ニエを、生け贄を喰わせろおおおおっ」
黒崎はさっきまで自分の口元に挿入されていたチューブに吸いついた。
チューブに連なっていた芋虫を大量に吸い込む。
「ふがっ、ぐごっ、ぐごっ」
黒崎がのどに詰まらせた。
「足りない、足りない。イノチが…… イノチがもっと」
黒崎はきょろきょろとあたりを見渡した
「けひひひひひひひひひ、でかいのがあるじゃあないか。でかいイノチが…… けひひ」
突然、黒崎は椅子に拘束されていた一人に飛びかかった。
「喰わせろぉ、イノチを喰わせろぉお」
「ひゃっ」とおんが小さく悲鳴を上げる。
黒崎は白い肌に変色した男に噛みついた。
「やめろっ!」
俺は黒崎次長を羽交い締めにして、喰おうとされている男から引きはがそうとした。
黒崎の爪が白い男の皮膚につきたてられる。その白い皮膚がずりむけた。そして俺の指がつかんだ黒崎の皮膚もはがれた。
こいつらみんな身体が腐ってただれている。
ヴィヤッ!
青い光がほとばしって黒崎が崩れ落ちた。
とおんがエレクトリカルブレードを振るったのだ。
「とっ、共喰いしようとしてたわ」
はあっ、はあっ…… 俺の息はあがっていた。
『これより館内を透視化する。各員、周辺視界を注視し侵入者を索敵せよ。繰り返す。これより館内を……』
放送が響き渡った。
「透視化ってなんなの」ととおん。
次の瞬間、その問いの答えを知ることとなった。
急に室内が明るくなった。壁が光っている。違う。壁はあの廊下でスイッチを入れてしまった壁と同じだった。スクリーンのようになって外を映している。壁が透明になって廊下の光が射し込んできているのだ。次に足元が明るくなった。今度は床が透明化した。
「う、うわっ」
足下になにもない。いや、近づいてみればかすかに輪郭は分かるのだがすごい透明度だ。高いところへ宙づりにされた感じになる。俺たちのいた部屋は壁も床も天井も全てガラス張りのようになってしまった。透視図の中に入ってしまったようだ。
この秘密基地は理科の実験でやったゼリーでできた透明な蟻の巣みたいで、どこにも隠れ場所はない。あっと言う間に俺たちは発見されてしまった。
黒いスーツの男たちが階段から上がって押し寄せてくる。透明になった廊下の両方からで逃げ道はない。
透明の扉を開けて男たちが入ってきて、俺たちは囲まれた。